エリザベス女王のお気に入りのイケメンから王室追放へ......アンドルー王子の人生を振り返る。
Celebrity 2025.10.30

かつては勇敢な軍人、そして愛情深い父親として知られていたアンドルー王子。しかし、度重なる性的スキャンダルによって、ついにウィンザー家から完全に追放されることとなった。四面楚歌の中、彼はヨーク公爵の称号を手放さざるを得なかった。

アンドルー王子は、最愛の存在だった母エリザベス女王が望んでいたように、英国王室の中で重要な地位を担う運命にあると思われていた。しかし、彼の過去の暗い影がついに彼を追い詰めた。10月17日、チャールズ3世の弟であるアンドルー王子は、長年にわたる性犯罪者ジェフリー・エプスタインとの親交をめぐる疑惑、そしてヴァージニア・ジュフリーによる性的暴行の告発を受け、ヨーク公爵をはじめとするすべての称号を返上すると発表した。さらに中国のスパイとの接触疑惑という新たなスキャンダルが、彼の避けがたい失墜を決定づけた。65歳となった今、アンドルー王子はウィンザー家から完全に追放されたのである。
最新の『サンデー・タイムズ』紙の報道によると、ウィリアム皇太子は、アンドルー王子が称号返上を発表する前に「相談を受けていた」という。次期英国王のウィリアム皇太子は、叔父を王室のイメージと安定に対する「脅威」とみなし、激怒している。そして、叔父を永久追放すること、具体的には戴冠式を含む「公私にわたる王室行事への参加」を禁じることを検討していると報じられている。こうしてアンドルー王子との決別は決定的となり、覆すことは不可能となった。2010年に英国のタブロイド紙で最初の報道が明るみに出るまでは、エリザベス女王の息子であるアンドルー王子は常に清廉潔白のイメージを保ち、長年かけて築き上げられた揺るぎない評判を誇っていた。

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陽気で笑顔あふれる子ども時代
元ヨーク公爵アンドルー王子は、生まれながらにして大きなアドバンテージを手にしていた。それは、母エリザベス女王の無条件の愛である。1960年に生まれた王位継承順位2位のアンドルー王子は、誕生直後から母の心をつかみ、その後の教育や活動においても、長男チャールズ皇太子以上に母の手厚い関心を受けることとなった。子どものころのアンドルー王子は、陽気でよく笑い、明るく育てやすい性格だった。こうした資質は、母エリザベス女王と父フィリップ殿下に高く評価され、ふたりはすでに、王子が将来王室内での役割を立派に果たす姿を思い描いていた。
王立海軍の欠かせない一員
スコットランドのゴードンストーン寄宿学校で学んだ後(父フィリップ殿下や長兄チャールズ皇太子も通った学校)、アンドルー王子は19歳で王立海軍に入隊する。当時まだ若い王子だったが、すでに祖国に仕えたいという強い意欲にあふれていた。その意志は、3年後の1982年、フォークランド紛争で実を結ぶ。アンドルー王子は航空母艦HMSインヴィンシブルに乗艦するヘリコプター・パイロットとして動員され、負傷者の救助活動に従事した。帰国後、王子は英雄として国民に称賛され、両親からも深く愛され、誇りに思われた。
紛争後、22歳となった若き王子は中尉に昇進し、その後も精力的に軍務に従事し続けた。
恋愛面では、アンドルー王子は「ランディ・アンディ(やんちゃなアンディ)」と呼ばれるようになった。というのも、彼は数多くの女性と交際し、若い女性に囲まれた夜の社交を楽しむことで知られていたからである。
献身的な父親
1985年、エリザベス女王の息子であるアンドルー王子は、ロイヤルアスコットの合間にウィンザー城で開かれた昼食会で、快活で明るいセーラ・ファーガソンに一目で恋に落ちる。ふたりは幼少期からの知り合いであり、「ファーギー(セーラの愛称)」の父親はチャールズ皇太子のポロの師でもあった。その日、ふたりは自分たちが運命の相手であると確信した。
夫妻はそれからわずか1年後の1986年に結婚し、続いてふたりの娘をもうける。ビアトリス王女は1988年、ユージェニー王女は1990年に誕生した。写真に映る家族は幸せそうで、アンドルー王子は父親としての役割に全力を注いでいるように見えた。しかし、舞台裏では夫妻は互いを理解し合えず、結婚生活は崩れ始めていた。セーラ・ファーガソンは、夫の度重なる軍務による不在や、親しい義姉ダイアナ妃と絶えず比較されることに耐えられなくなっていた。夫妻は1992年に別居を発表し、公式には4年後の1996年に離婚した。
エプスタイン・スキャンダル
1999年、アンドルー王子は、ビジネスマンであり、性犯罪者のジェフリー・エプスタインと、彼の恋人で共犯者のギレーヌ・マクスウェルを通じて初対面する。彼女はイギリス出身で、ニューヨークの社交界では欠かせない存在となっていた。3人はすぐに親しくなり、2000年6月には、アンドルー王子の40歳の誕生日祝いの際、ふたりはウィンザー城に招待された。
その関係は2010年に公のものとなる。2008年に未成年者の売春斡旋で18か月の実刑判決を受けたジェフリー・エプスタインとアンドルー王子がセントラルパークを散歩する写真が、タブロイド紙『ニュース・オブ・ザ・ワールド』の一面を飾り、「アンドルー王子と小児性愛者」との見出しが報じられた。大きな論争の渦中で、エリザベス女王の寵愛を受けてきた王子は、2001年から務めていたイギリス特別代表の職を辞任した。この年、彼は王立海軍も退役している。
事態は2015年にさらに深刻な展開を迎える。ヴァージニア・ジュフリーという女性がフロリダ州でジェフリー・エプスタインを相手取って訴訟を起こしたのである。文書の中で、30歳の彼女は、2000年代初頭、17歳だった当時、ジェフリー・エプスタインとそのパートナーであるギレーヌ・マクスウェルに採用され、「性奴隷」として扱われたと主張した。彼女は、アンドルー王子との性行為を3回も強要されたと訴えた。当時、アンドルー王子は目立たぬ態度を取り、沈黙を守っていた。おそらく、この論争が他のニュースにすぐに埋もれてしまうのを待っていたのだろう。
メディアでの大失態
しかし2019年、ジェフリー・エプスタインは再び逮捕され、「性的搾取およびそれに関連する共謀」の罪で起訴されるが、刑務所で自殺する。アンドリュー王子はついに口を開かざるを得なかった。BBCとの衝撃的なインタビューで、ヨーク公はエプスタインとの関係を弁明し、証拠となる写真があるにもかかわらず、ヴァージニア・ジュフリーと会ったことは一度もないと主張した。「無神経」と評された彼の発言はイギリス中に衝撃を与えた。これを受け、バッキンガム宮殿の発表により、アンドルー王子はすべての公務から退くことになった。
2年後、ヴァージニア・ジュフリーはマンハッタンの裁判所に正式に訴訟を起こした。ニューヨークでの裁判を避けるため、アンドルー王子は彼女に数百万ドルを支払った。
2025年4月25日、アンドルー王子を告発したヴァージニア・ジュフリーが41歳で自ら命を絶ち、この悲劇がスキャンダルを再び浮上させた。「彼女は生涯にわたって性的暴行と性的人身売買に苦しみ、自ら命を絶ちました」と、彼女の愛する人たちは語る。「愛しいヴァージニアの死に、私たちが今感じている深い喪失感を言葉で言い表すことはできません。(中略)暴行の重荷に耐えることは、彼女にとって耐え難いものだったのです。」オーストラリア出身の彼女は、死の直前4年間、回顧録『Nobody's Girl: A Memoir of Surviving Abuse and Fighting for Justice(原題)』を執筆していた。この本は死後10月21日に出版された。
この書籍の中で、ヴァージニアは再び、アンドルー王子と3回にわたって性的関係を持たされたと非難している。そのうち1回は「乱交」で、ジェフリー・エプスタインやほか8人の若い女性が同席していたと、BBCは報じている。彼女はアンドルー王子について次のように綴っている。「彼はとてもフレンドリーだったけれど、常に“権利意識”を持っていました。まるで私とセックスすることが生まれながらの特権だと思っているようでした。」衝撃的なこれらの発言は再び王室を揺るがし、王室は事態の沈静化を図るため、アンドルー王子を完全に追放する決断を下した。
From madameFIGARO.fr
text: Solene Delinger (madame.lefigaro.fr) translation: Hanae Yamaguchi






