ティモシー・シャラメの母はニューヨークの高級不動産エージェント⁉︎ ニコール・フレンダーの素顔とは。

Celebrity 2025.11.27

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ティモシー・シャラメの母ニコール・フレンダーは、ハリウッドのきらびやかな世界とは一線を画し、ニューヨークの高級不動産業界で順調なキャリアを築いている。彼女は子どもたちの人生の歩みを注意深く見守りつつ、長男ティモシーの名声とは適度な距離を保っている。

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全米映画俳優組合賞に出席したティモシー・シャラメと母親のニコール・フレンダー。(2025年2月23日、ロサンゼルス)photography: ABACA

3月のある曇り雨の午後、ニコール・フレンダーはマンハッタンにセカンドハウスを探しているイタリア人の夫婦を案内していた。場所はタイムズスクエアを見下ろす、17階のアパートだ。「いつもなら光がすごくきれいなんですけどね」と、米メディア「Curbed(カーブド)」が「UGGを履いた小柄な不動産エージェント」と形容する彼女はそっと言う。その間、夫妻は窓越しに、霧の中で光を放つ巨大なクリスピー・クリームのネオンサインを見つめていた。彼らは自分たちを案内してくれている人物が、いま最も注目されるハリウッドスターのひとり、ティモシー・シャラメの母親であるということはおそらく知らない。

ひそかな活躍を見せるエージェント

ニコール・フレンダーは、ニューヨークを拠点とする大手高級不動産会社コーコランに10年以上勤めている。しかし、彼女はその道に進むことを全く予想していなかった。というのも、不動産エージェントの職に応募したのは、フランス人の夫マーク・シャラメ(当時フリーランスジャーナリストで、現在は国連で働いている)がその求人を見つけたことがきっかけだった。最初の試験は順調に進み、彼女の魅力が発揮された。「私は販売が得意だったんです」と、彼女は「ニューヨーク・マガジン」の不動産情報サイト「Curbed」に打ち明けた。

彼女の最初の取引は見事な成功を収めた。なんと、ブロードウェイの名作「屋根の上のヴァイオリン弾き」で知られる作曲家ジェリー・ボックの150万ドル(約2億円)のアパートメントを手に入れたのだ。ニコールはその情報を「人脈」を頼りに入手したということで、彼女のふたりの有名な子どもたち、ティモシーとポーリーンの映画界でのキャリアとは何の関係もなかった。

それ以来、ニコールは高級不動産業界で名を馳せてきた。彼女の成功の秘訣は?「人と話すのが好きで、親しみやすくあることが大切です。それはショーをする感じに似ています」と彼女は語り、不動産業界でのクライアントとの出会いのプレッシャーを、女優としての役を勝ち取るためのプレッシャーに例えた。この例えは、彼女のキャリアを考えると非常に納得がいく。

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芸術的な能力が自然に備わっている

ニコール・フレンダーは、幼いころから芸術の世界に浸かっていた。彼女の父親、ハロルドはコメディアンであり小説家で、その著書『Paris Blues(原題)』は1961年に映画化され、シドニー・ポワチエ(黒人俳優で初めてオスカーを受賞した俳優であり、バハマ出身でも初めて最優秀主演男優賞を受賞した)、ポール・ニューマン、ジョアン・ウッドワードが主演を務めた。母親のエニッドはブロードウェイのダンサーだった。また、彼女の兄ロッドマンはかつて子役スターで、その後は脚本家・映画監督となった。ニコール自身も芸術の道を歩んでいく。イェール大学で学んだ後、彼女は「ハロー・ドーリー!」や「コーラスライン」といったミュージカルを上演するカンパニーでダンスをしていた。しかし、アメリカ人の彼女は芸術だけにとどまらず、いくつかの分野で活躍することを決意する。そこで、ニューヨーク大学でフランス文学の修士号を取得し、その後しばらくパリに住み、英語を教えることになる。そこで彼女は、後に夫となるマークと出会ったのだろうか?その真相はわからない。ただし、1985年に結婚し、ふたりはニューヨークの中心部のアパートに暮らし始めた。

第一子である女の子、ポーリーンが1992年1月25日に誕生した。次に、第二子である男の子ティモシーが1995年12月27日に生まれた。マンハッタンに住むシャラメ家の子どもたちは、ニコールと彼女の兄が過ごしたのと同じように都会で子ども時代を過ごした。ラガーディア高校を卒業後、リンカーン・スクエアの近くでダンスのレッスンやオーディションをこなし、ブロードウェイの劇場でショーを観て過ごすことも多かった。「彼らには才能があると感じていたけれど、私たちはいつも『どうなるか見守ろう』と話していました」と、ニコール・フレンダーは子どもたちのキャリアについて語っている。

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第90回アカデミー賞でのティモシー・シャラメとニコール・フレンダー。(2018年3月5日)photography: ABACA

地に足ついた"母親"

一部のハリウッドのママジャーたちとは異なり、ニコール・フレンダーは子どもたちのキャリアを管理するために仕事を辞めることは決してない。むしろその逆だ。ポーリーンとティモシーが幼い頃、彼女はダンスを教え、舞台芸術の雑誌に記事を書き、時折女優としても活動していた。それでも、必要だと感じた時にはきちんと介入した。例えば、ポーリーンがテレビシリーズ「ロイヤル・ペインズ」の撮影で主演からエキストラに降格された際、ニコールは俳優を守るための労働組合である映画俳優組合・米テレビ・ラジオ芸術家連盟に連絡し、契約の変更を勝ち取った。「彼女は何年もの間、権利収入を得ることができた」と語っている。

現在、彼女のふたりの子どもたちは自立し、羽ばたいている。ティモシー・シャラメはハリウッドに欠かせない俳優となり、最近ビバリー・ヒルズで1100万ドル(約16億円)の家を購入した。「もし彼がアドバイスを求めてきたら? いいえ。彼は『聞いてくれ、家を買ったんだ』と言ってきたのよ」と、彼女は「Curbed」で冗談交じりに語った。ティモシーは現在、西海岸に住んでおり、恋人のカイリー・ジェンナーの家からも近い。ニコールはカイリーについて「とてもかわいらしい」と語り、「私にとても優しくしてくれるの」と述べた。

一方、ポーリーンは数ヶ月前に初めて母親になり、パリに暮らすようになった。距離があっても、ニコールは子どもたちを追ってニューヨークを離れるつもりは全くない。「どこに行っても母親についてきてほしいと思いますか?私は子どもたちの元を訪れることが好きなんです」と、彼女は断言する。

 

「奇妙な電話やメール」

代理で得た名声のために、時折「奇妙な電話やメール」を受けることがあるという。自分の子どものサインを求める人々からだが、ニコールはプロとしてキャリアを続けている。「ある男性が電話をかけてきて、53丁目にあるとても素敵なアパートを売り込んできました。私は『どうやって私のことを知ったんですか?』と尋ねたら、彼は『あなたの息子の映画が好きなんです』と言いました」と彼女は語った。

マンハッタンのコーコランの同僚たちに囲まれたニコールは、「第二、第三のキャリアを歩む母親たちのグループ」の一員として、単なる「母親」としての枠を超えた仕事における自分のアイデンティティを築いてきた。彼女は現在も公立学校で臨時教師として働き、最近ではセントラルパークでアマチュアの鳥類学者を描いた短編映画にも出演している。映画はいつも身近に存在しているようだ。

From madameFIGARO.fr

text: Ségolène Forgar (madame.lefigaro.fr) translation: Hanae Yamaguchi

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