ダイアナ妃没後20周年企画 #01

ダイアナ妃が極秘取材で語った、その生涯とは。

特集

8月31日に、ダイアナ妃が亡くなって20周年を迎える。イギリスでは各TV局で特集番組が組まれている中、14日にチャンネル4で放送された「Diana: In Her Own Words」が大きな話題を呼んでいる。1991年に行われた極秘インタビューをもとにした本番組では、ダイアナ本人がプライベートについて赤裸々に語っており、イギリス国民の度肝を抜いた。

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©Tim Graham/Getty Images

36年の生涯を彗星のように駆け抜けた“プリンセス・オブ・ウェールズ”、ダイアナ。その人生を新たに掘り起こされた彼女自身の言葉と綴れば、“リアリスト”としてのダイアナの新たな側面が浮かび上がってくる。そんなダイアナの生涯を、ゲッティイメージズが保有する世界最大規模のアーカイブ写真、そして同時代を生きながらダイアナに深い思いを寄せてきたゲッティイメージズ ジャパン代表取締役・島本久美子氏のコメントとともに振り返る。
 

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Her Childhood 少女時代

1961年7月1日、ダイアナは名門貴族のスペンサー伯爵家の3女として誕生する。6歳と4歳上の姉ふたりと、下に3歳違いの弟がいたが、物心ついたころには姉ふたりはボーディング・スクール(寄宿学校)に入学していて、ダイアナと弟はナニーに育てられる。

1962

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父方の先祖と母の名前をとって“ダイアナ・フランセス”と名付けられた。写真は1歳の誕生日の頃。「白いひらひらなドレスを着た恥ずかしがりの少女が、世界中のファッションアイコンになるとは誰も想像しなかっただろう」と島本氏は振り返る。
© Hulton Archive/Getty Images

両親は不仲で、ダイアナが6歳のときに別居。当時の暗い思い出を、ダイアナは苦々しく語っている。

「私は、とても不幸な子ども時代を過ごしました。父が母の顔を平手打ちするのを見てしまった私は、ドアの後ろに隠れていました。そして母は泣いていました」

両親の離婚は8歳のときに成立。子どもの親権は父親が持った。

1971

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まだあどけない10歳のダイアナ。この5年後、運命の出会いが訪れる。
©Central Press/Getty Images

9歳になると、ダイアナも姉たちにならい、ボーディング・スクール「リドルズワース・ホール」に入学。その3年後には姉たちが通った「ウエスト・ヒース・ガールズ・スクール」に転入し、18歳になるまでこの学校で過ごしている。恋愛小説に熱中するティーンエイジャーのダイアナは、勉強を怠り、優等生ではなかった。実家に帰っても姉たちと比較されるばかりで、肩身の狭い思いをしたのだろう。

「父からいちども“愛してる”と言われたことがありません。家族にはいつも、“あなたがいちばんバカな子”と言われていました」

代わりにスポーツは万能で、ダンスや水泳、テニスなどで活躍。ピアノでも才能を発揮したという。特に子どものころから習っていたバレエには熱心で、ダイアナはロイヤル・バレエ団のバレリーナを志すも、10代後半で180cm近くまで身長が伸びたため、その夢は断念した。

>>おとぎ話そのもののような結婚の裏で、ダイアナが抱いていた思いとは。

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Her Wedding 結婚

姉セーラと交際していた皇太子チャールズと1977年に初めて出会ったとき、ダイアナはまだ16歳。 チャールズにとってダイアナの初対面の印象は「陽気で明るいティーンエイジャー」でしかなかったが、2年後に美しく成長したダイアナと再会したことをきっかけに距離が縮まり、翌年には交際がスタート。その後、わずか1年で婚約、挙式と猛スピードで駒を進めている。伯爵令嬢ダイアナがロイヤルファミリーの一員になることは、おとぎ話そのもので幸せの絶頂のように見えたが、実際のダイアナは未来を察知し、不安に苛まれていた。

「私は大きな役割を果たしていることに気づいていましたが、何が起こっているのか分かりませんでした」

「どこに行っても追いかけてくる報道陣は耐え難いものでした」

「彼はひざまずいて、“結婚してくれますか?”と語りかけてきました。私には、結婚に関するすべてのことが大げさに思えてきて、その気持ちは大きくなるばかり……。ここにいるダイアナは、ただの幼稚園教諭。つまり、すべてが馬鹿げていたってわけです」

1981

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婚約したダイアナとチャールズ。ダイアナの左手薬指で存在感を放つ、英国王室御用達ジュエラー「ガラード」のサファイアのエンゲージリングは、現在キャサリン妃に引き継がれている。
©︎Tim Graham/Getty Images

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7月29日、セント・ポール大聖堂で挙式したふたりは世界中で祝福を受ける。この頃のダイアナは過食と嘔吐を繰り返しており、2月の婚約発表時と比べるとほっそりした印象。「ふんわりと大きく広がったパフスリーブ、長いチュールのベール。80年代のファッションを象徴する、美しい花嫁だった」と島本氏。
©Jayne Fincher/Getty Images

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さらに、カミラの存在が日増しに強まっていた。チャールズから紹介を受けて、最初こそ相談役として心を許していたが、疑心はやがて確信に変わる。挙式直前にふたりの関係に気づいたダイアナは、複雑な思いで結婚式に臨んだ。

「人生で最悪の日でした」

「皆、私たちが幸せだと思ったのでしょう。誰もが万歳と祝福してくれて、素晴らしい気分でした。心に大きな疑問があることを除けば」

チャールズがダイアナとの結婚を決意したのも、カミラの助言ゆえだった。そのことを知ってしまったダイアナの苦しみは、察するに余りある。ハネムーンの最中にも、チャールズの愛に希望を見出そうと懸命にもがいた。

「大きな望みを持っていたけれど、2日目には断ち切られたのです」

悲劇はすでに始まっていた。ケンジントン宮殿での結婚生活は、紆余曲折を経て、15年で破綻する。

>>ふたりの王子の誕生、孤独、そして離婚へ……

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Her Loneliness and Divorce 孤独、そして離婚
1982

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セント・メアリー病院での第一王子お披露目。民間の病院で将来の国王が誕生したのは、ウィリアム王子が初。「緊張しつつもとてもうれしそうに我が子を抱えている姿が印象的だった」と島本氏。ダイアナ自身も、妊婦生活については「皆が毎日のように私を監視していたかのよう。国中が息を止めて成り行きを見つめていました」とコメントを残している。
©Anwar Hussein/Getty Images

1982年6月にウィリアム王子を出産、さらに1984年9月にはヘンリー王子が誕生する。若く美しい母ダイアナは、世界中からより一挙一動を注目されることになる。しかし、カミラと不倫し続ける夫との愛のない生活、王室という慣れない環境、過熱するメディアの容赦ない報道に、ダイアナは深く傷つき、摂食障害、自殺未遂を繰り返す。そんな中で目の当たりした夫の裏切り行為は、絶望でしかない。ヘンリー王子誕生時には、夫婦仲は完全に冷え切っていたという。

「“何が起ころうとも、いつも君を愛している”と彼が電話で囁いているのを聞いたのです。ドアの後ろでそう聞いたと彼に告げると、酷い口論になりました」

「不倫をやめて欲しいと懇願するも、彼は“英国史上初の愛人を持たない王位継承者にはなりたくない”と冷たく言い放ったのです」

1990

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1990年、ナイジェリア大統領主催の宴会では、険のある表情が目撃されている。「ゲッティイメージズのアーカイブを通して、ダイアナが女性として変わっていく姿、それに伴って変わっていく彼女のファッションを追えるのも感慨深い」と島本氏。
©︎Princess Diana Archive/Getty Images

「私はとても必死でした。自分の何が悪いのか、分かってはいました……だけど周りには、私を理解してくれる人間はひとりもいませんでした」

「私の頭の中で起こっている苦痛と苦悩を人々に理解してもらうために、休息をとって家庭を見守る必要がありました。私は常に笑顔でいるようにしていたので、皆、私が素晴らしい時を過ごしているものと思ったことでしょう。その方が皆喜ぶから、私はそうしていたのです」

ダイアナの情緒はますます不安定になり、ケンジントン宮殿に寄り付かなくなったチャールズに反発するかのごとく、彼女もまた元騎兵連隊将校ジェームズ・ヒューイットとの不倫に走っていった。

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そして1992年12月、夫妻の別居生活が正式に発表。その後、チャールズとカミラが電話で愛を囁き合う録音テープが公開され、またダイアナ自身もヒューイットによる暴露本が出版されたりと英国王室にスキャンダルの嵐が次々と巻き起こる。

1995年にはカミラ夫人が離婚し、その翌年8月についにダイアナとチャールズも離婚を発表。ダイアナは1995年BBCのインタビューで「結婚生活には3人がいました」と発言。さらに自分はイギリス王妃にはならないことと「人々の心の王妃」になりたいという希望を表明した。

1993

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遊園地で最もはしゃいでいたのは他ならぬダイアナだった。別居後は王子たちと隔週の週末だけ一緒に過ごせた。
©Julian Parker/UK Press via Getty Images

>>慈善活動に取り組み、恋愛も謳歌した、最期の日々。

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Her Last Days 最期の日々

チャールズとの離婚により、ふたりの王子たちの親権は平等に持ち、莫大な慰謝料も獲得。ケンジントン宮殿にも引き続き居住が許された。王室の公務がなくなり、身も心も軽くなったダイアナは、かねてから関心の高かった国際的な慈善活動への取り組みを本格化させる。とりわけエイズ問題、ハンセン病問題、地雷撤去問題に熱心だった。

1997

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1月、BBCの取材チームとともに内戦の多いアンゴラを訪問。自ら地雷原を歩く姿を撮影させ、地雷問題への関心を集めた。「ダイアナは生涯を通して人道支援にも力を注いでいた。エイズや地雷などの社会問題に積極的に取り組むことで、それらの偏見を取り除き、世界中の人々が身近な問題として注目するようになったのも、ダイアナの活動のおかげかもしれない」と島本氏は指摘する。
©Tim Graham/Getty Images

恋愛面でも、ようやく自由に謳歌できる時がやってきた。パキスタン人の心臓外科医ハスナット・カーン、続いてエジプト人の大富豪の息子ドディ・アルファイドと交際。
1997年7月に、ダイアナとドディがヴァカンス先でクルージングを楽しんでいる様が、大々的に報じられると、マスコミの追跡は加熱する。

8月30日に、運命のパリに降り立ったふたりをマスコミは待ち伏せし、ダイアナとドディはその翌日未明の0時20分頃にホテル・リッツの裏口からメルセデスベンツで脱出。猛スピードでカーチェイスを繰り広げる途中、ドライバーが運転を誤り、中央分離帯に激突して車は大破。ドディは即死、ダイアナも頭と胸に致命傷を負い、午前4時頃には正式に死亡が確認されている。

ダイアナの人生において、再三悲劇は繰り返された。しかし最後の最後に胸をすく思いにさせられるのが、かつての夫チャールズの行動だ。事故の報告を受けると一晩中ラジオで情報収集に徹し、女王の意向に従わずに、パリに赴きダイアナの遺体を引き取る決心をした。元妃に再び対面したとき、チャールズは亡骸の前に立って30分も涙したという。その姿にダイアナの魂がわずかでも救われたと願わずにはいられない。

この時代にダイアナが残したものについて、ゲッティイメージズ ジャパン代表取締役・島本久美子氏は振り返る。

「ダイアナ妃は、“写真で世界を変える”ことのできる女性でした。一般の女性だったダイアナがロイヤルファミリーの一員として、少しずつ自分の立ち位置・影響力を理解するようになったことが、彼女の軌跡を追いかけると浮かび上がってきます。

英国王室を撮り続けたフォトグラファー、ティム・グラハムの言葉にあるように、ダイアナ妃は自分の伝えたいことをどうやったら効果的に視覚化できるのか、どのような写真を撮られるといいのかを的確に理解した皇太子妃に変貌を遂げたのです。

ダイアナ妃は、特にエイズ問題、地雷問題などの世界的な課題に皆が目を向けるよう、その活動に関わっている自分の姿がメディアに取り上げられる機会を多く設けました。ダイアナ妃を通して、写真やメディアの影響力や面白さをも伺い知ることができます。

残念ながら、ダイアナ妃は36歳という若さでこの世を去りましたが、息子のウィリアム王子やヘンリー王子が彼女の遺志を引き継ぎ、いまもなお英国王室に影響を与えていることでしょう」

1997

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9月6日、ダイアナのための準国葬「王室国民葬」がウエストミンスター寺院で取り行われた。葬儀後ダイアナの棺は、スペンサー伯爵家の地所オルソープへ移され、湖に浮かぶ小島(通称「ラウンド・オーバル島」)に葬られた。
©Anwar Hussein/WireImage/Getty Images

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texte : ERI ARIMOTO

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