愛おしい日々をとらえたジャームッシュ4年ぶりの新作。

マッチ箱の中の小さな日常、かけがえのない物語。
『パターソン』

詩人の町パターソン、その1週間の朝昼晩の循環が、町と同じ名を持つバス運転手の日常の冒険を通し立ち現れる。音も言葉も、夢も風物も脈打つように。

　パターソンという小さな町に住む、バス運転手のパターソン。お昼にはベンチで奥さんのサンドイッチ、そして彼女のために詩を一篇。町の人の足となりバスを走らせ、空いた時間にノートにペンを走らせる。流れてゆく車窓。ただいま。おかえり。しずかなキス。犬の散歩。いつものビール。ふたりで眠り、おなじ時間に目を覚ます。
　詩は生活のどこにでもあって、パターソンはそれらをそっと持ち帰り、ひみつのノートにしまい込む。そんなマッチ箱の中の小さな日常が、心にやさしい火をともしてくれる。つつましくも豊かな暮らしの中で生まれる言葉たちは小さな宝石のようでもあり、暮らしそのものが宝石のようでもあり、午前6時の奥さんの寝顔は宝石そのもので、手作りの不思議なパイが美味しくなくとも笑顔で流し込むガッツを持ち、おやすみのキスで1日の最後に「。」を打つ。
　色紙を静かに重ねるように過ぎゆく詩人パターソンの1週間を心地よくなぞりながら、ついつい自分の暮らしと比べてしまう。他の仕事を辞めて詩人として生きていくことを選んだ私はしばしば膝を抱え、天井の灯りを2つの湖を通して見つめる羽目になりつつも「当たり前の幸せは諦めるんだ」と言い聞かせてこの5年を過ごしたけれど、パターソンと眼差しを重ねるうちに、小石みたいに蹴飛ばしていた日々の小さな幸せに気づくようになったりする不思議。彼が詩を捧げた何の変哲も無い「OHIO BLUE TIP MATCHES」。だけどその青いマッチを1本すれば、あなたが心のどこかで求めてる、ほんとの暮らしが、ふと浮かび上がってくる物語。

＊「フィガロジャポン」2017年10月号より抜粋

【関連記事】
ハイジの物語が、雄大なアルプスを背景に現代に蘇る。『ハイジ アルプスの物語』
少女と盲目のギター弾きが奏でる音色に涙が溢れる。『ブランカとギター弾き』
世界三大映画祭で評価されたフィリピンの鬼才の最新作。『ローサは密告された』