フィガロが選ぶ、今月の5冊 『カルテット』の作者による舞台脚本が緊急出版。

Culture 2019.01.09

戯曲で味わう坂元裕二は、ドラマ以上の吸引力。

『またここか』

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坂元裕二著 リトル・モア刊 ¥1,728

冒頭からたくさんの小道具が登場する。ハンドスピナー、汚いタオル、ガソリン缶、カブトムシのゼリー、乾燥わかめ……。ガソリンスタンドの若い店長、近杉のすっとぼけた行動やささやかな失敗の数々、再会した兄ややる気のないアルバイトとの噛み合わない会話にくすくす笑わされているうちに、ある瞬間から、ガソリンスタンドという舞台全体がまったく違った意味合いを持つ。本を閉じて、目についた手近な何かを手に取り、しげしげと見つめたくなる。

この反転の凄さだけでも何度となく読み返したくなるほどだ。長期入院していた父は医療ミスで亡くなったのでは、と疑う兄。実は彼自身にも後ろめたい過去がある。全編に流れる倦怠感や幾つかの場面から『欲望という名の電車』の男女反転版なのかな、とも感じられた。坂元裕二ドラマの特徴である、すべての登場人物に感情移入できてしまうという魔法の仕組みが、ほんの少しだけ理解できた気がする。狂気と正気は背中合わせで、手を取り合っているから、どちらに引っ張られるかはその時のほんの少しの力の差なのだ。

今作の中で解明されていく狂気のスイッチの入り方に、身に覚えがある人は多いのではないだろうか。不安定な我々を社会に繋ぎ止めているのは、冒頭に登場したささやかな日用品のようなものなのだが、同時にそれがあちらの世界へと誘う装置にもなりえるのだ。それでは、私たちは一体、何にすがればいいのだろうか。愛情や理想につかまるのは、それ自体が時に狂気をはらんでいるのだから、とても危険だ。取り返しのつかない出来事を通じて、兄が弟にしたある提案がその答えかもしれない。

著者の物語への絶大な信頼感、エンターテインメントへ託した希望というものが窺い知れ、胸が熱くなった。坂元裕二ドラマを見たことがなくとも必読の一冊である。

文/柚木麻子 作家

2015年『ナイルパーチの女子会』(文藝春秋刊)で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』(双葉社刊)、『BUTTER』(新潮社刊)がヒットを記録。近著に『デートクレンジング』(祥伝社刊)など。

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*「フィガロジャポン」2019年1月号より抜粋

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