フィガロが選ぶ、今月の5冊 人気ウェブ連載がついに書籍化! 千早茜の食エッセイ。

Culture 2019.04.11

"おいしい"だけじゃない食の記憶。

『わるい食べもの』

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千早茜著 集英社刊 ¥1,512

千早茜の小説を読むたびに、その独特の舌触りと、著者情報とを切り離すのに苦労していた。父は獣医で母は教師、幼少期をアフリカのザンビアで過ごし、夫は料理人らしい、といった伝聞はインパクトが強く、作品内容と直接関わりがなくとも脳裏にちらつき鼻腔をくすぐる。でも御本人は異色の経歴ばかりを好奇の目で覗かれて、うんざりしているだろうな。一抹の後ろめたさを感じていた私の悪食は本書で幸福に満たされる。

『わるい食べもの』は広く食にまつわるエッセイ集だ。冒頭いきなりケニアのモンバサの海が登場する。幼心に「こんな薄着で生命力あふれる海に入れるか」と怯える子ども時代の筆者は、海底に転がるウニを獲ってきて岩で砕き、夢中で貪る大人の姿を見て「親たちは気がふれてしまった」とドン引きする。日本の学校給食では残飯容器に入り混じる牛乳の白に吐き気を催す。おやしらずを抜けば、生きた血の味と死んだ血の味に想いを馳せる。

酔うと食べたくなる甘いもの。旅先での底無しの食いだおれ。鍋をドンと置く二人暮らしの食卓。執筆に行き詰まると舌が切れるまでジャンクなお菓子を食べ散らかす。「生の果物は自分の手で屠(ほふ)りたい」から、皮を剝かれたカットフルーツについて「屍肉(しにく)は食べない」と言い放つ。「いい」食べものへの不信を隠さず、好物だけをちょこちょこ延々とよく食べ、よく飲み、作家はその姿を晒け出すことを厭わない。SNSの投稿に難癖つけてくる相手には「人の胃袋に口をだすんじゃねえ」。

共感と困惑、親しげにぐっと引き寄せられてからいきなり突き飛ばされるようにはっきり示される「好き」と「嫌い」。ずっとこんな文章を読みたかったのだと気づく。料亭で供される逸品のような小説を味わいながらも、「一度、この人をナマで齧ってみたい」と機会を窺っていた。そんな欲望を叶えてくれる一冊である。

文/岡田 育 文筆家

1980年生まれ。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。2015年よりニューヨーク在住。著書に『ハジの多い人生』(新書館刊)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房刊)、『天国飯と地獄耳』(キノブックス刊)など。

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*「フィガロジャポン」2019年4月号より抜粋

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