蝶に始まり光にたどり着いたアーティスト、ルート・ブリュック。

Culture 2019.05.18

ルート・ブリュック。フィンランドを代表するアーティストである彼女の名に聞き覚えのある人は、おそらくよほどのフィンランド通だろう。そして、これまでブリュックの仕事が日本で知られてこなかったことを不思議にも思っているのではないか。ついに日本でも本格的に紹介されることとなったブリュックの展覧会『ルート・ブリュック 蝶の軌跡』が、東京ステーションギャラリーで開催されている(6月16日まで)。

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独自の成型技法を用いた「蝶」の陶板を数多く遺したブリュック。「蝶」は、蝶類の研究者であった父フェリクスとの思い出と、戦後から間もない1950年代のフィンランドにおいて自由のシンボルでもあった。『蝶たち(1957年)。Tapio Wirkkala Rut Bryk Foundation’s Collection / EMMA – Espoo Museum of Modern Art ©KUVASTO, Helsinki & JASPAR, Tokyo, 2018 C2531

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ルート・ブリュック(1916−99年)は、オーストリア人の父フェリクスとフィンランド人の母アイノのもとに生まれ、幼少期をストックホルムで過ごした。学生時代は建築家を目指すが、周囲からの反対で断念し、グラフィックデザインに転向。その世界観がアラビアの目にとまり、1942年に美術部門のアーティストとして入所する。photo: Tapio Wirkkala

あらためてルート・ブリュックについて説明しよう。小さな一枚の陶板から膨大なピースを組み合わせたモザイク壁画まで、数々の美しい仕事を遺したブリュックは、名窯「アラビア」の美術部門に所属。およそ50年間にわたって活躍したアーティストだ。版画の技法を応用して独自の釉薬や型の技術を開発するなど、唯一無二のクリエイティビティを発揮した作品はいまも高く評価されている。本展は、フィンランドの首都ヘルシンキに隣接する街エスポーの「エスポー近代美術館(EMMA – Espoo Museum of Modern Art)」で2016年に開催されたブリュックの生誕100周年展を基にしたもので、約200点のセラミックやテキスタイルなどを紹介する。

「今回の展示はEMMAで開催され展覧会を基に、あらためて日本のみなさんにルート・ブリュックとはどういった人物であったかを解釈していただいた展覧会です。ここにある作品は、なによりも雄弁に母を語る自伝的なもの。展覧会自体が言葉のない自伝といっていいのかもしれません」と話すのは、娘であり、国際的なアーティストとして活躍するマーリア・ヴィルカラ。本展のために来日した彼女の案内で、ブリュックの人生の軌跡を追いかけてみよう。

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娘マーリア・ヴィルカラが、母にオマージュを捧げた作品からスタート。

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展覧会場すぐに設置された、マーリア・ヴィルカラの作品『心のモザイク――ルート・ブリュック、旅のかけら』。母が遺した作品を使い、その作家人生を表現した。photo:©Hayato Wakabayashi

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自作の前に立つマーリア。自身も、日本でも数々の作品発表を行う現代美術のアーティストとして知られる。

会場に入ってすぐに置かれるのは、横浜トリエンナーレ、大地の芸術祭、瀬戸内国際芸術祭などにも参加する美術家マーリアによる、母へのオマージュ作品。ブリュックが遺したピースを使い、アーティスト同士として、母娘として、対話が成された貴重な作品だ。

「以前にEMMAでも発表したものを再構成しました。これは母に捧げる詩のような作品です。展示が作家ブリュックのキャリアを追いかける物語のような構成になっていることから、ここでもそれを踏襲しています。ブリュックの色や素材の探求が、晩年へ向かうにつれて白黒となり、最後は白のみで構成されていく。この後に続く展示をご覧いただいた後にもう一度見ていただくと、ブリュックが生涯を通じて何を追求したのかが理解いただけるかと思います」

本作を支える土台には茶箱を使い、マーリアは「日本のみなさんにとって日常を思わせる要素を入れ込むことで、みなさんにもブリュックの作品が身近なものであるように感じていただきたかった」と話す。

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独自の成形技法と豊かな表現力で創る、物語のある作品群。

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本展はもちろん、EMMAの回顧展でもメインビジュアルで使われた代表的な作品『ライオンに化けたロバ』(1957年)。ライオンの体内に宿るさまざまなディテールに目を奪われ、いつまでも見飽きることのない奥深い作品。Tapio Wirkkala Rut Bryk Foundation’s Collection / EMMA – Espoo Museum of Modern Art ©KUVASTO, Helsinki & JASPAR, Tokyo, 2018 C2531

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会場は3階よりアプローチし、2階へ。まずはアラビアに入所した頃の作品からじっくりと観て回れる。photo:©Hayato Wakabayashi

会場に足を踏み入れて、まず目に飛び込んでくるのはブリュックの人柄がよくわかる作品『ライオンに化けたロバ』だ。マーリアはここで笑いながら、ライオンの腹部にいるロバを指差す。

「母はとてもユーモアのある人でした。ライオンの顔に目が行きますが、よく見るとロバがいる。どんな物語がこの作品にあるのでしょうか」

ライオンの威を借るロバと考えることもできるようでいて、男性性の象徴としてのライオンを宝石のような色と草花で覆うことで、その二面性を表現しているのかもしれない。また一方で、これはブリュックの夫であり、フィンランドのデザイン史に大きな足跡を遺したタピオ・ヴィルカラを表現したものではないかと見る向きもあるとか。なにより、ブリュックが1950年代に確立した成形技法の集大成とも言われ、その豊かな表現力に目を見張る。

「父は母の才能を誰よりも認めていました。父が理論派だとすると、母は感覚的な人。父は時間厳守だけど、母はいつも遅れてくるというようにね(笑)」

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会場の壁面に設置された一連の『蝶』。まるで実際に羽ばたいているかのような風景を描いている。photo:©Hayato Wakabayashi

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当初は建築家を目指していたものの、その激務を心配した兄弟たちからの反対で断念したというブリュック。その思いや視点を見ることのできる貴重な作品は、夫タピオ・ヴィルカラのお気に入りでもあったという。『都市』(一部)1957年。Tapio Wirkkala Rut Bryk Foundation’s Collection / EMMA – Espoo Museum of Modern Art ©KUVASTO, Helsinki & JASPAR, Tokyo, 2018 C2531

今回の展示は2フロアから成る。3階に始まり2階へ向かうと「作家としての展開の仕方がわかります」とマーリアは話す。

「2階はとても人気の高い蝶の作品からスタートします。ここでは、セラミックだけではなくテキスタイルの仕事など、包括的にブリュックの仕事を見ることができます。私がいつも母を尊敬するのは、とても人気の高かった蝶に止まることを良しとしなかった強い姿勢です。この先も表現を探りながら作品を展開したことは、アーティストの立場から尊敬をしています」

そう話しながらマーリアは特別に、と言って陶板の一つを手にとってひっくり返し、裏側を見せてくれた。「裏にもとても丁寧な仕事をしているの。実に素晴らしい作家なんです」

そうして次にマーリアが指差したのは、立体的なブロック状の陶器とタイルを組み合わせた作品『都市』。この作品を見るとブリュックが建築家を目指していたこと、そしてその情熱を読み取ることができるという。

「この作品はタピオのお気に入りのひとつでもありました。建築的で緻密な構成を見ていただくことができます。こうして作品を見ながら、母はどんな展開を考えていたのだろうと思考を辿ることがあります。作品を見るたびに、どうやってこの色を出したのか、どうしてこれほど緻密な作業ができ、思考ができるのか。光と闇の取り込みかたにも驚きます。母はよく高いはしごに登っては小さなピースを入れ替え、レリーフ作品を制作していました。毎日のように飽きずにそれを繰り返していた。母は本物のアーティストでしたね。母から直接アートを学んだことはありませんが、実験を繰り返したそのキャリアからさまざまなことを学びました」

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間近で観て凹凸やグラデーションを感じたい、抽象的な大型壁画。

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1960年代後半には小さなタイルピースを使った抽象表現に挑むようになる。ピースの凹凸が生み出す陰影、釉薬のグラデーションは実際の作品をみてわかるもの。作品名はフィンランドにおける精神的支柱とも言われた土地の名にちなむ。『スイスタモ』(部分)1969年。Tapio Wirkkala Rut Bryk Foundation’s Collection / EMMA – Espoo Museum of Modern Art ©KUVASTO, Helsinki & JASPAR, Tokyo, 2018 C2531

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後期になると光と陰を強く意識するようになったというブリュック。色数は少なくなるが、タイルの凹凸や釉薬の表情によって、より複雑な趣きをもつ作品になっていく。photo:©Hayato Wakabayashi

日常的なモチーフから陶板を制作していたブリュックは、やがてタイルを手作業で組み合わせた抽象的な大型壁画を手がけるようになっていく。「その作品はやがて、光と陰で多彩な表情を描くようになります」とマーリアは言う。

ブリュックのものづくりは、独自の文化や生命観を持つフィンランドの風土に根ざしたものと言えるだろう。手仕事による制作を貫いたその作品からは、神々しく詩的な感性を感じとることができる。愛らしくロマンティックでありながら、私たち日本人にもどこかに根ざしている自然崇拝を背景に持つ、神秘性のようなものが宿るのを感じないだろうか。マーリアも作家として新潟・越後妻有などを訪れ、目の当たりにした美しい風景を共有することが作品づくりに根ざすもののひとつだと話す。タピオ・ヴィルカラは夏になると別荘にこもって創作に励んだというエピソードが知られるが、それは家族みなで行われたものだと彼女は続ける。

「夏になると2~3カ月ほど、ラップランドの森の奥にある別荘で過ごしました。ボートで島へ向かうという特殊な環境で、道路もなければ水や電気もありません。白夜の季節で1日中陽が沈むこともなく、もちろん電話がくることもない。そんな環境で母と父は自身の作品に取りかかっていました。そんな暮らしをしながら、(代表作のひとつである)大統領公邸のモザイク壁画『流氷』のマケット(彫刻などにおけるスケッチ的な模型のこと)を作っていたんです。ふたりともヘルシンキに戻ると多忙で、特に父は海外に出かけていることも多かった。夏の時間は家族だけでいられる貴重なものだったのです。そしてふたりにとっては自然と向き合う大切な時間だったのでしょう」

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ブリュックがたどり着いた、白の境地へ。

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会場は東京駅内にある東京ステーションギャラリー。歴史を感じるレンガの壁とブリュックの作品の表情が美しく呼応する。photo:©Hayato Wakabayashi

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晩年は白がテーマに。大小さまざまなタイルが組み合わさって、物語性豊かな作品を形作る。晩年におよぶまで変化を続けたブリュックを象徴する作品。『色づいた太陽1969年。Tapio Wirkkala Rut Bryk Foundation’s Collection / EMMA – Espoo Museum of Modern Art ©KUVASTO, Helsinki & JASPAR, Tokyo, 2018 C2531

抽象的なのに物語性に富んだ白い作品の数々が、東京駅の美しいレンガと呼応しながら、生涯を通じて美の思索を続けたルート・ブリュックの展覧会は幕を閉じる。あらためて展示を回りながら、「東京とフィンランドでは、違う物語、違う視点を持った展示となりました。けれど、どちらも母をよく表しているように感じます。ブリュックを身近に感じられるし、人となりもよくわかる展示です」とマーリアは話す。

「ふたりとも日本に来たことはありませんでした。けれど私が両親から最初に贈られたのは陶器の日本人形。子どもだったので何度も落としたけれど、その度に直してくれた大切なものです。父はすでに日本でよく知られた存在ですが、いまこうして母と日本に来られたこと、そして日本のみなさんにその仕事を知っていただくこと。それを何よりもうれしく思っているんです」

『ルート・ブリュック 蝶の軌跡

会場:東京ステーションギャラリー
会期:2019年4月27日(土)〜6月16日(日)
開館時間:10時〜18時 ※金曜日は20:00まで開館。入館は閉館の30分前まで
休館日:6月10日をのぞく月曜
入館料:一般¥1,100
tel:03-3212-2485
https://rutbryk.jp/

※会場内は一部撮影可能。
※2019年〜2020年にかけて、伊丹市立美術館・伊丹市立工芸センター、岐阜県現代陶芸美術館ほか全国数会場の美術館で開催予定。

 

texte:YOSHINAO YAMADA

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