小川洋子と堀江敏幸が交互に紡ぐ、言葉と記憶の物語。

Culture 2019.09.24

言葉と記憶が長い手紙で持ち運ばれ、ゆっくりと咀嚼され、積もっていく。

『あとは切手を、一枚貼るだけ』

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小川洋子、堀江敏幸著 中央公論新社刊 ¥1,728

人それぞれ、頭の中に、かつてあった情景が大切に残されている。そこにはいくつもの会話も記憶されているはずだが、記憶された会話が、そこにいた誰かの記憶と完全に一致することはないのだと思う。一枚の写真や葉書、あるいは映像を見て、こんなことあったよね、えっ、そんなことあったっけ、どうして忘れちゃうの、そんなの、そちらこそ、と話が固まらないのが常である。記憶が同じだと嬉しいけれど、それぞれ異なる形で記憶されているのも愛おしい。言葉と記憶はいつだって断片的である。

いま、そこで息をしている者たちが抱えている感情を丁寧に掬い出してきたふたりによる、14通の手紙をやり取りする形での小説作品は、手短に内容紹介することが難しい。言葉と記憶が、長い手紙として持ち運ばれていく。持ち運んだ先でゆっくりと咀嚼され、新たな言葉と記憶が塗られていく。ただ、塗り替えられるのではなく、積もっていく感覚がある。

「あなた」と「きみ」の話は尽きない。1文字しか字を知らない象が手紙を書く場面で翻訳家が選んだ言葉。廃鉱の山で友だちと鉱物を拾っていた頃。動物実験の犠牲者たちの物語。表向き冷静に見えることに、なぜ人は奇妙な反感を示すのか。切手を貼る、というのはどんな場合であれ、小さな緊張を強いる作業で……これらの話が、どこかでつながり、あるいはつながらないまま、物語を先へと進ませる。

そもそも、こういう物語です、と言い切ることができないのが、物語の特性なのだと思う。前へ進んでいく物語、その歩みの速度に体が慣れると、この交歓から抜け出せなくなる。届けようとする言葉がおしなべて心地よく体に入ってくる。その重なり合いは偶発的なはずなのに、こちらを見透かすように素直に入ってくる。豊穣な言葉たちが静かに躍動し続ける。

文/武田砂鉄 ライター

1982年生まれ。出版社で時事問題やノンフィクション本の編集に携わった後ライターに。近著に『日本の気配』(晶文社刊)、又吉直樹との共著『往復書簡 無目的な思索の応答』(朝日出版社刊)など。

※この記事に掲載している商品・サービスの価格は、2019年9月時点の8%の消費税を含んだ価格です。

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*「フィガロジャポン」2019年9月号より抜粋

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