果てしない苦しみが翻る時をとらえた、2冊の短編集。

Culture 2020.02.24

終わりのない深い闇に行く人たちの祈りが届く時。

『短篇集ダブル サイドA、サイドB』

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パク・ミンギュ著 斎藤真理子訳 筑摩書房刊 各¥1,870

パク・ミンギュの小説には不思議なブラックボックスが潜んでいる。リサイクル品の冷蔵庫に借金を抱えた父親や理不尽な大学や、ついにはアメリカを放り込んだら、忽然と甘く優しい味のカステラが現れる「カステラ」は衝撃的だった。理屈でいったら、わけがわからない。シュールなSFみたいな話なのに、妙な説得力があるのだ。もしかしたらこの世界はそういうふうに出来ているんじゃないか。苦しい時、悲しい時、人は「この終わりのない苦しみは一体何のため?」「この行き場のない悲しみはどうして?」と繰り返し問わずにはいられない。それはおそらく9・11の時に全人類が震撼したはずの一個人が背負うにはあまりにも大きな苦しみであり、悲しみだ。

この作家の小説では、苦痛にあえぐ人の言葉にならない祈りが叶えられたかのように、ふいに何かが起こる。殴りに殴られてきたいじめられっ子が卓球で宇宙を救うことになる「ピンポン」にせよ、美が正義の韓国で「ブス」の烙印を押された女の子のひとひらの雪のような恋を描いた「亡き王女のためのパヴァーヌ」にせよ、表と裏が翻る一瞬が訪れる。追い詰められた人間に唯一残されているのは、表で何かが起こっている時、裏はどうなっているのか、果ての果てまで想像しぬく力だ。その意味では、2冊同時刊行される『短篇集ダブル』がレコードのA面とB面という装丁なのは、実にこの作家にふさわしい。妻が認知症になり、老々介護をしていた男性が死を覚悟して旅に出る「黄色い河に一そうの舟」にせよ、手も握らせてくれない女性に会社の金まで貢ぎ、すべてを失い、運転代行をしている男性を描いた「星」にせよ、ありきたりの絶望ならすぐ手の届くところにある。終わりのないトンネルのような深い闇の中を行く人たちに何が起こるのか。その時、世界の見え方がきっと少しだけ変わるだろう。

文/瀧 晴巳 ライター

インタビュー、書評を中心に執筆。西原理恵子著『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』(KADOKAWA刊)、かこさとし著『未来のだるまちゃんへ』(文藝春秋刊)など、構成も多数手がける。

*「フィガロジャポン」2020年3月号より抜粋

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