バンクシーを育んだ、イースト・ロンドンのテロワール!?

Culture 2020.04.22

今年はバンクシーの展覧会が、日本で立て続けに開催される。現在既にスタートしている横浜アソビルの『バンクシー展 天才か反逆者か』(現在は休館中)、そして8月29日からは『BANKSY展(仮称)』が寺田倉庫で開催予定だ。4月20日発売の本誌では、水曜日のカンパネラ・コムアイとともにバンクシーに迫っているが、こちらでは、バンクシーの本拠地イギリスで実際に彼の作品に触れているふたりに、それぞれの思うバンクシーについて語ってもらった。

ふたり目は、かつてロンドンに在住し、本誌バンクシー企画の編集・執筆を担当した、佐野慎悟さん。


文/佐野慎悟(エディター、ライター)

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映画『パルプ・フィクション』のキャラクターに拳銃の代わりにバナナを持たせたバンクシーの作品は、当時ショーディッチで暮らしていた人々にとって、いちばん馴染み深い作品かもしれない。photo:Press Association/アフロ

本誌6月号では、ロンドンが世界に誇る超カリスマ的ストリートアーティスト、バンクシー に関する記事を8ページにわたり展開したが、まさか自分がバンクシーの記事を、ハイエンドなファッション誌のフィガロで、しかもコムアイちゃんとともに、さらには『女子も大好き! バンクシー。』というポップなテンションでお届けすることになるなんて、20年前の私自身にそのまま聞かせても、言葉の意味を理解するのに数日費やしたことだろう。私がロンドンに留学した1999年は、奇しくもバンクシーがブリストルからロンドンに来たのとちょうど同じタイミング。しかも私が住んでいたイースト・ロンドンのショーディッチは、バンクシーが活動の初期にたくさんの作品を残したエリアで、バンクシーに限らず、他のアーティストの作品も街中の至る所にあふれていた。

しかし当時は、バンクシーもまだ“知る人ぞ知る”というか、カルチャーとかファッションに興味がある一部の若者にだけ知られているコアな存在で、一般的には街中にちょっとおもしろい落書きをする“グラフィティの人”ぐらいの認知度だった。だからまさか数年後彼の作品に億の値がつくようになるなんて、そんなことは誰も想像すらしていなかった。しかもその頃はまだ、バンクシーが数人のアーティストとともに立ち上げたウェブサイト「ピクチャーズオンウォールズ」から、シルクスクリーンプリントの作品なら20ポンド(当時約3,700円)程度で購入することができたし、周りには実際に買っている友人も多かった。ショーディッチ・エリアに新しくできたお洒落っぽいカフェやショップなんかにも、彼の作品はちょいちょい飾られていた。その頃に販売された作品群が転売に次ぐ転売を経て、現在も数百万円の値で取引されているのだ。

しかし当時、すでに20代にも関わらず発症した重度の厨二病により、人生最大級にトガり散らかしていた私はというと、最近メジャーなセレブたちの口からもバンクシーの名が出てくるようになったし、そもそも街に出ればいつでも観られるものだし、どうせ数年のブームで終わるだろうし、わざわざお金を出して買う必要もない。と、本当はお金がなくて買えないだけのくせして、超上から目線でかっこよく静観していた(誰かぶん殴ってくれればよかったのに)。

そんな黒歴史はさておき、当時から街中にあふれるストリートアートの類の中でも、バンクシーの作品だけがズバ抜けて目立っていたことは、誰の目にも明らかだった。何より作品を残す場所が抜群にいいし、グラフィティアートや周辺のカルチャーに興味がない人にも、同じ言語を話さない人にも、直感的におもしろいと思わせる圧倒的な説得力があった。当時はまだインスタグラムはもちろんのこと、ツイッターもフェイスブックもなかった(というか、せいぜいポケベルに毛が生えた程度の機能しかない携帯電話が最先端だった)時代だが、バンクシーの名前は口コミでどんどん広まり、さらには本誌の特集でも紹介した数々の“事件”を連発していくにつれ、バンクシーは当代きってのカルトヒーローになっていた。

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バンクシーがロンドンに拠点を移した2000年代初頭、ロンドンの街中では数多くのストリートアーティストが凌ぎを削っていた。日本でも馴染み深いアメリカのシェパード・フェアリーによる「オベイ・ジャイアント」や、フランスのインべーダーによるタイル画などの有名アーティストの作品が多く生まれた、モダンストリートアートの黎明期と言える(写真は2008年のもの)。photo : © Horst Friedrichs/Anzenberger/amanaimages

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バンクシーが数々の“事件”を通して、社会全体に大きなバズを起こしていくその手法ももちろん特筆すべきポイントではあるが、彼の知名度が爆発的に上がった大きな理由の一つに、ショーディッチを含むイースト・ロンドンとの相性のよさがあることについても触れたい。

2000年代初頭のイースト・ロンドンは、アート、カルチャー、ファッション界隈でいちばんイケてる若者が集まるいちばんイケてる情報発信地だった。特にオールドストリートの333番地にあった「333マザー・バー」には、夜な夜なアーティストやファッションデザイナーやクリエイターたちが集まり酒池肉林(?)のパーティを繰り広げ、その時その場にいないヤツらは全員モグリ!ぐらいの圧倒的な勢いを見せつけていた(なんだかこんなことを書いていると、いつの間にか歴史を証言する老人になってしまったようで、ちょっと悲しい……)。

近所には私も通っていたロンドン芸術大学のロンドン・カレッジ・オブ・ファッションがあり、セントラル・セント・マーチンズも「55番」のバスでセントラルロンドン方面に10分ほどの距離だ。さらに当時いちばんイケてたファッションカルチャー誌「デイズド・アンド・コンフューズド」と「アナザーマガジン」のオフィスもオールドストリートにあった。

そんな具合に、いまでいうロンドン屈指のインフルエンサーたちがたむろっていたのが、この「333マザー・バー」を中心としたショーディッチ・エリアで、そして彼らが行く先々には、常にバンクシーのストリートアートがあった。しかも先述の「パルプ・フィクション」に至っては、2階建てバスの2階にいると、ちょうど目線の高さにあるというオマケ付きだ(イケてるヤツらは必ず2階に陣取る)。

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2003年7月18日から開催されたバンクシーによるゲリラエキシビション『ターフ・ウォー』は、動物愛護団体からの強い批判を受け、3日間でおひらきに。当時バンクシーはすでに一部のセレブリティからも注目され始めていて、エキシビションにも数々の著名人が姿を現した(写真は“裸のシェフ”として知られる人気セレブシェフ、ジェイミー・オリヴァー)。photo : Getty Images

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「333マザー・バー」の裏手には、“ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBAs)”を推していたコンテンポラリーアートギャラリーのホワイトキューブ(オーナーは映画監督サム・テイラー=ウッドの当時の夫)もあったが、イースト・ロンドンは90年代のYBAsムーブメントでも非常に大きな役割を担っていた。もともと人が好んで住まないようなガラの悪い下町で、地価や物価が非常に安いイースト・ロンドンには、誰にも使われていない廃工場や倉庫が街中にあふれていた。そこに目をつけたのが、後にYBAsと呼ばれる若手アーティストやクリエイター(や不良少年)たちだった。

ダミアン・ハーストらYBAsのアーティストたちは、既存のミュージアムやギャラリーに属することなく、イースト・ロンドンの廃墟を活用しながらインディペンデントな活動を展開して名を挙げた。当時のイースト・ロンドンではアート以外でも、そういった廃墟にサウンドシステムを持ち込み、無許可でゲリラ的に開催するレイブ“スクワットパーティ”も非常に盛んで、最先端の音楽とアートとファッション(とドラッグ)がぐちゃぐちゃに混ざり合う、刺激的なカルチャーが形成されていた。

YBAsと同じく、既存のルールにとらわれることのないインディペンデントな活動を志したバンクシーが、先達に倣いこの地にやってきたことは容易に想像できる。バンクシーが2003年にダルストンで開催したゲリラエキシビションの『ターフ・ウォー』もやはり、スクワットのカルチャーが根付くイースト・ロンドンの気風がそのまま現れた内容となった。ちなみに2003年の時点では、トレンドはすでに一世を風靡したショーディッチからもっと奥へと移動して、ブリック・レーンやベスナルグリーン、ダルストン界隈も賑わい始めていた。

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誌面では紹介できなかったが、バンクシーの作品集でいちばんのオススメがこちらの『Wall and Piece』(パルコ出版)。バンクシー自らが編集にも関わった唯一の作品集で、2005年までの作品をまとめたもの。

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ここでは私の個人的な体験談をもとに、イースト・ロンドンにおけるバンクシーの黎明期を振り返ってきたが、ここからがまさに“バンクシー劇場”のいちばんおもしろいところ!というタイミングで、ちょうどお時間が……。

最近にわかに流行っている講談の手法を綺麗にパクれたところで、作品に込められたメッセージや、バンクシーに直接会って取材した経験を持つライターの鈴木沓子さんとコムアイちゃんの対談や、ウェブ版「美術手帖」編集長の橋爪さんと振り返る数々の”バンクシー劇場”など、気になるアレコレの詳細は本誌6月号の誌面にて、じっくりとお楽しみあれ。

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『Wall and Piece』からいくつか。「パルプ・フィクション」と並んで、ショーディッチ民が毎日眺めていたバンクシーの作品が、このエリアの中心地、ショーディッチ・タウン・ホールの横にある鉄橋、通称ショーディッチ・ブリッジ”に描かれたスマイリー顔の特殊部隊「スマイリー・ポリス・トルーパー」だ。「333マザー・バー」の目の前にあり、夜間でもこのエリアはかなりの賑わいを見せていた。ちなみに長年放置された鉄道の廃線である鉄橋の上にも秘密のルートから上がれるようになっていて、そこにも数多くのストリートアートが描かれていた。

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厨二病の私は、常にバンクシーの快進撃を斜に構えたスタンスから静観しているように振舞っていたが、実は彼の作風が大好きで、作品集は隅から隅まで穴があくほど愛読していたことは言うまでもない。その中でも当時いちばんシビれたのが、こちらの作品。その頃イギリスのテレビでは、『I’m a Celebrity… Get Me Out Of Here!(訳:私はセレブよ、ここから出して!)』という、いまでいう『テラスハウス』にお下劣なスパイスをこれでもかと振りかけた感じの悪趣味なリアリティショーが放映されていたが、その番組名の書かれたプラカードをサファリパークの猿に持たせた皮肉の鋭さに、心がスカッとしたことを思い出す。

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この作品集には小池都知事のツイートでおなじみの“カワイイねずみ”も、「東京 2003」のキャプションとともに掲載されている。

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最後にバンクシーとの2ショット! という大嘘は笑えないが、このハットを被った陽気なおじさんを知っている読者は、結構なバンクシー通だ。実はこの人物、バンクシーが2010年に監督し、アカデミー賞にノミネートされたドキュメンタリー映画、『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』で“天才アーティスト”に祀り挙げられた、ミスター・ブレインウォッシュことティエリー・グエッタ氏。アートの知識もテクニックもない、ただのバンクシーの追っかけだった男がアメリカで大スターとなり、ついにはマドンナのアルバムのカバーアートまで手がけてしまうという痛快な“バンクシー劇場”は、一見の価値あり。彼の存在は、世界で唯一のバンクシーによる“生きた作品”とも言える。2015年の来日時にインタビューした際、ハイテンションな彼からツーショットを強要された時の写真が残っていた。photo : SHIZUMI YONEDA

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texte : SHINGO SANO

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