河瀨直美×辻村深月 映画監督と作家、ふたりの母親、女性と女性が交わる瞬間。

Culture 2020.10.23

特別養子縁組をテーマにふたつの家族を描いた、直木賞作家・辻村深月の小説『朝が来る』。映画化に挑むのは、世界的映画祭で高い評価を受ける監督・河瀨直美。本作品をきっかけに出会ったふたりの女性クリエイターが共鳴する。


実の子を持てなかった夫婦、佐都子と清和が特別養子縁組で授かったのは、14歳の少女、ひかりが産んだ男の子だった――。朝斗と名付けられた男の子が、年齢も住む場所も違う、出会うはずのなかったふたりの女性を結びつける瞬間を描いたミステリー小説『朝が来る』。河瀨直美監督が原作者の辻村深月に初めて会った日に告げた「この映画を撮るにあたって、朝斗のまなざしは必要不可欠だと思っています」という言葉から、この映画は動き出した。

原作の“その先”を見たいと思った。

河瀨直美(以下河瀬):私自身が養子縁組をされた子どもの立場で育っているので、この小説の中にほんの数ページでも朝斗の視点で書かれている部分があるのとないのとでは、私にとっては深さが違うなと思ったんです。ふたりの母の物語としてのおもしろさに、大人になってしまった私たちが子ども時代を想像したり思い返したりする感情を入れ込むことで、表面的ではないところに届く。朝斗のまなざしを残すことは素晴らしいと思ったし、映画にする時にも残すべきだと伝えました。

辻村深月(以下辻村):私は河瀨さんの作品を観てきたファンだったのですが、まさか自分の書いた小説を映画化してもらえるなんて思わなかった。でも初めてホテルのロビーで会った時、自己紹介をする前に河瀨さんがいきなりその言葉を言ってくださったんですよね。これが世界の河瀨直美か! と(笑)。きっと河瀨さんに預けたら、原作で描き切れなかったその先を、朝斗の視線をとおして私に見せてくれる。そう約束してくださったんだなと思いました。ただ、映画が完成した時に思ったのが、それは私への約束であると同時に、監督としての河瀨さんご自身への約束だったんだろう、ということでした。

河瀨:『朝が来る』は登場人物の描写やエピソード、ストーリーの組み立ての巧みさだけではなく、その奥にある、言葉にはしていない感情がものすごく伝わる小説だと思いました。エンディングに進んでいくに従って心の機微にぶわっと触れるものがあって、涙なしには読めなかった。特別養子縁組についても、かなり調べて書かれたんですよね。

true-mothers-01-201023.jpg©2020「朝が来る」Film Partners

辻村:調べるまでは、血の繋がりがないことを極力子どもに隠すのでは、と思っていたんです。実際には、それは思い込みでした。産みのお母さんに嫉妬のような気持ちを抱くのではないかとも思っていたのですが、それもまったく違って。引き合わせてくれた団体の方も含めて「あなたにはお母さんが3人いる」と話す人たちもいると聞いた時に、この題材を書きたいと思いました。小説や映画の世界では、イヤな人物が出てきたり、ドロドロした感情が起これば起こるほど“人間”が描けていると言われてしまいがちなところがありますよね。でも、そっちのほうがフィクションじゃないか、と違和感を抱くこともあるんです。人間は悪意や利己的な思いばかりで生きているはずがないし、たとえば困っている子がいたら、どうしたの? と声をかけてしまうのもふつうの感情だろう、と。悪意で動く人物を書けば人間が描けていると言われるのに、善意で動く人物を描くとそんなに都合のいいことがあるわけないと言われてしまう。佐都子が朝斗の産みの母であるひかりに感謝しているということを、物語としてのリアリティを保ちながらどう届けられるのか。そこを大事にしたいと思っていました。

原作者からバトンを託されている、
それがうれしかった。 
          ――河瀨

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河瀨:愛する人とセックスをして子どもを授かることは自然な営みだけれど、現代社会では中学生の妊娠、出産に対して社会の風当たりは厳しいし、親の気持ちもある。でもひかりは日に日に大きくなっていくお腹と一緒に、人間として大きな大きな成長をしたと思うんですよね。でも出産をして家に帰ってみると、みんなはひかりが子どもを産んだという大切なことを、まるでなかったことにしようとする。でも佐都子は、それを“なかったことにしない”存在なんですよね。ひかりが母として朝斗を大切に思い続けているということを、私はこの映画の中で絶対に手放したくないと思っていました。いっぽうで佐都子は不妊治療をして、母になることを一度諦めた女性。当たり前に親子になっているように見える家族の姿を目にして、私はそれができなかった人間なんだと、人知れず涙を流すこともあったと思う。そんな彼女にとっては、朝斗に出会わせてくれたひかりは、自分の世界を変えてくれた人なんですよね。

辻村:佐都子と清和は不妊治療を経てものすごく対話する夫婦になっているから、血の繋がりのないところから関係が始まった朝斗に対しても、よく話を聞くし、対話するんですよね。でもひかりの家では血の繋がりに甘えているから、対話もせずに土足で踏み込んでしまう。ひかりはその傷を、佐都子によって抱きしめ直してもらったのだと思います。

同じ方向を見て挑んだ映画づくり。

河瀨:編集をしている時に、深月ちゃんに聞きたいことが出てきて連絡したこともあるよね。もともとどういうつもりで書いたんやろうか、って。原作者と映画監督というよりは、ママ友みたいな感じで話すことができたのがありがたかった(笑)。

辻村:河瀨さんが脚本も書いてくださったので、その段階で私が思ったことや感謝を覚えたことについて伝えたりもしていましたよね。極めて手紙に近い感じの文章にして託したこともあります。河瀨さんはいつも、観客のほうを向いて一緒につくりましょう、と誘ってくださる感じがあって。同じ方向を見て映画化に関わることができたのは稀有な体験でしたし、すごく幸せなことだったと思います。

true-mothers-02-201023.jpg©2020「朝が来る」Film Partners

河瀨:脚本を読んでもらった時に、こういう構成があったのか、原作でもそうすればよかった……みたいなことを深月ちゃんが言ってくれたのは、すごくうれしかった(笑)。ネタバレになるから詳しくは言えないけど、この素晴らしい小説を映画にする時に、佐都子とひかりのそれぞれの側のエピソードを時系列で描くだけでは映画として崩壊してしまうと思って、難しさを感じていたところだったから。

辻村:脚本を読みながら、最後の最後にあの場面が出てきたらいいなと思っていたから、ここに入れてくれたんだと打ち震える思いがしたんですよね。河瀨さんと話すことが本当に楽しかったのですが、自分がどんな気持ちで小説の構成を決めたのかを過剰に伝えないようにはしていたつもりです。言いすぎると、河瀨さん自身が原作を読んだ時に感じたことの妨げになるのでは、と思って。原作者として望むのは原作のシーンの再現ではなく、“根底にある精神性”を伝えてもらうこと。それを共有できる方が作ってくださると、原作にないシーンも原作どおりのものになるんです。私が小説の中で筆を走らせていなかった時、佐都子と清和がどんなやりとりをしていたのか、ひかりがどんな時間を過ごしていたのか。それを見たくて原作を送り出したところがありました。

河瀨:編集で悩んでいる時に深月ちゃんからもらったメールを読み返したら「いま、河瀨さんはおそらくこの小説の最大の理解者であり、創作者だと思っています」と書いてあったんです。原作者からこういう言葉をいただいて、本当にうれしかった。バトンを一旦渡してもらっている感じがしました。

河瀨さんは原作の再現ではなく、
根底にある精神性を描いてくれた。
          ―― 辻村

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辻村:河瀨さんは原作者の私以上に佐都子たちについて考え尽くしてくれた。それに加えて河瀨組が幸福なのは、キャストのみなさんが役を“演じる”というより“生きる”時間を過ごしているところ。佐都子については永作(博美)さん、清和については井浦(新)さんのほうが私よりも詳しいと思える瞬間がありました。自分の作り出した登場人物たちに対して、本当によかったね、という気持ちです。

河瀨:とてもありがたいです。

辻村:ほかの小説を書く時も登場人物たちそれぞれの背景を考えていくんですけど、河瀨さんとものづくりの体験ができたことで、自分が見ていた景色に奥行きを与えてもらいました。今後小説を書いていく時に、彼らがどんな空気を吸って、そこにどんな光が当たり、何が見えているのかをより意識して書けるようになったんじゃないかな、と。今後、創作で迷った時には河瀨さんに相談すると思います(笑)。同時代に生きている、心強い第一線のクリエイターと知り合えたことが、私にとってはすごく大きな財産。この出会いをここだけで終わらせず、ずっと続けていけたらうれしい。河瀨さんの周りは、そう思っている人ばかりだと思うんですよ。河瀨さんがすごい熱量で巻き込んで、映画が終わっても途切れずにいろんな人たちと繋がっているんだろうな、って。

true-mothers-03-201023.jpg©2020「朝が来る」Film Partners

フランスが着目した3人目の母。

河瀨:“巻き込まれる”で言うと、河瀨組はえらい大変やで、って噂があらゆる業界に広がっているみたいなんですけど(笑)。もちろん現場では私の横に助監督が必ずいて、技術スタッフも含めて素晴らしく優秀な人たちが支えてくれています。私の場合はフランスとの仕事が多くて、今回の映画の仕上げもフランスのスタッフとやらせてもらったのですが、フランスと日本では特別養子縁組についての現実が全然違うから、驚かれたところもあったんです。たとえば日本での条件として夫婦のどちらかが仕事を辞めなければいけない、とか。私のオリジナルの映画だとグローバルにどの国の人にも通じることを題材にすることが多かったのですが、今回は日本のいまの現実をものすごくリアリティを持って描いている映画になっていると思います。完成作を観たフランスの人たちは、特別養子縁組を斡旋するNPO法人の浅見さんにえらく感銘を受けていて、「海外向けのタイトルは『Three Mothers』がいいんじゃないか」という声もあったくらい。結果的には『True Mothers』になったのですが、この映画をとおして、子どもと親を引き合わせている人がいるという日本のシステムについてもちゃんと届けたいと思っています。

Naomi-Kawase-pic.jpgphoto : ARATA DODO

河瀨直美
Naomi Kawase

 

カンヌ映画祭はじめ各国で評価を受ける。代表作は『殯の森』(2007年)、『2つ目の窓』(14年)、『あん』(15年)など。東京2020オリンピック公式映画監督。

Mizuki-Tsujimura-pic.jpg photo : MIKI FUKANO(BUNGEI SHUNJU)

辻村深月
Mizuki Tsujimura

 

1980年、山梨県出身。2004年に『冷たい校舎の時は止まる』(講談社刊)で作家デビュー。12年に『鍵のない夢を見る』(文藝春秋刊)で直木賞を受賞。

『朝が来る』
特別養子縁組制度で男の子を迎え入れた佐都子と清和。朝斗と名付けた息子が6歳になった時、産みの母親と名乗る女性から「子どもを返して」と連絡が入る。

監督・脚本・撮影/河瀨直美
原作/辻村深月『朝が来る』(文藝春秋刊)
2020年、日本映画 139分 
出演/永作博美、井浦新、蒔田彩珠、浅田美代子ほか
配給/キノフィルムズ、木下グループ
10月23日〜全国にて公開中
http://asagakuru-movie.jp

*「フィガロジャポン」2020年7月号より抜粋

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interview et texte : MIKA HOSOYA

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