「人生はタフ、でも私も!」映画『ワンダーウーマン』の女性監督が語る。

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映画『ワンダーウーマン』で、男性監督が圧倒的多数を占めるブロックバスター映画界を揺るがしたパティ・ジェンキンス監督。シリーズ第2作の劇場公開を機に、監督がハリウッドとの関係、フェミニストとしての活動について語った。

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映画『ワンダーウーマン』と第2作『ワンダーウーマン 1984』の監督を務めるパティ・ジェンキンス。2018年ラクテンTVエンパイア・アワード、ラウンドハウスにて。(ロンドン、2018年3月18日)。Abaca

2004年に公開された映画『モンスター』は、映画界や批評家から大絶賛された。シャーリーズ・セロンはこの映画でアカデミー賞主演女優賞を獲得し、有名女優への仲間入りを果たした。メガホンを取ったのはパティ・ジェンキンス。彼女にとって初の長編作品だった。だが、これが当時32歳の新進気鋭の映画監督の長いキャリアの始まりとなったかというと、そうではない。次作の企画を実現するのに、彼女は14年の歳月を待たなけばならなかった。ハリウッドは彼女に門戸を開いたものの、ただちにその扉を閉ざしてしまったのだ。「プロデューサーたちは私のシナリオを読もうともしませんでした。女性が書くシナリオはこうあるべき、という偏見を持っていた。彼らは自分たちの映画を作るために私を必要としていただけで、私の視点などはどうでもよかったんです。彼らにとって、私は実行係。アーティストではなかった。私が男だったら、結果は違っていたと思います」

しかし彼女は諦めなかった。「創作上の意見の相違」を理由に『マイティ・ソー2』の撮影を断念した後、テレビ界に転身。武術エキスパートのパートナーとの間に誕生した一人息子の成長を見守りながらチャンスを待つ。ようやく風向きが変わったのは2017年。ワーナーとDCコミックスから、スーパーヒロインを主人公にした初のアドベンチャー映画『ワンダーウーマン』の監督を一任されたのだ。女性監督が制作費1億ドルを超える大作を手がけるのも史上初めてだった。「このプロジェクトが始動した頃、観客は男性監督しか信用しないと考える人がほとんどでした。女性監督が撮るパワフルなヒロインの映画など、観客に受けるはずがないと。その考えが間違っていると証明できたことは、私のキャリアのなかで最も重要な出来事のひとつ。そうした思い込みのベースになっているとんでもなく古臭い思考構造を、私たちは壊していかなければならない」。ガル・ガドット主演のブロックバスター映画『ワンダーウーマン』は、世界中で8億2100万ドルの興行収入を上げ、女性監督が単独で手がけた作品としては過去最高の興行成績を記録した。

遅れを取っているハリウッド

それから3年。シリーズ第2作『ワンダーウーマン 1984』が封切られた(日本では公開中だが、フランスでは現在もコロナ禍の影響で数度にわたって延期を余儀なくされている)。カリフォルニア出身、49歳のパティ・ジェンキンス監督がこの作品のために要求した契約金は700万ドルとも900万ドルとも言われている(女性監督としては記録的な金額)。80年代を舞台にアマゾン族の戦士が活躍する今作では、前作以上の権限を手に入れ、監督だけでなく脚本も手がけている。彼女独自の視点で描かれたセクシーで慈愛に満ちたヒロインは、投げ縄を武器に、時には心理的駆け引きをし、時には体を張って戦いを繰り広げる。「ワンダーウーマンはずっと私の憧れでした。彼女はセックスアピールも心の優しさも犠牲にすることなく、敵と戦う女性です。ダイアナは私の理想の女性像の投影。私自身、こういう女性でありたいと思っています。男性のなかにも、こういう人間になりたいと思う人がいるかもしれない。長い間、女性は男性ヒーローに自己同一化しなければならなかったから、異性の登場人物に感情移入するのに慣れています。男性も性差を超えて学ぶ目を養っていたら、女性の登場人物がこれほどモノ化されることはなかったでしょう」

パティは映画界の怠慢を指摘する。文学や音楽では、彼女がファンだという、ブロンディのボーカリスト、デボラ・ハリーやロック歌手のジョーン・ジェットのようなカリスマをはじめ、お手本となるような影響力を持つ女性が大勢いる。「ハリウッドでの女性の立場は驚くほど遅れています。最先端を目指す分野としては褒められたことではないと思う。でもここで投げ出してはだめ。映画産業が女性に適応すべきであって、その逆ではないのです」

大逆転

この粘り強さ、フェミニストとしての熱意は、常に彼女の中に存在していた。軍隊のパイロットだった父親が訓練中に亡くなった時、彼女はたった7歳。若かった彼女の母親は再び学業に戻り、環境科学者になった。「母はスーパーフェミニストでした。運動に身を投じ、いつも前向きで、精力的で、闘志にあふれていた。私を作り上げたのは、母が話す内容以上に、その姿。だから私は、女性は既にすべてを勝ち取っているのだと信じ切っていました。『モンスター』を撮り終えた後、私は初めて本当の性差別に遭遇したのです。それ以前は女性だという理由で困難なことがあるなんて、頭をよぎりもしませんでした」

アートスクールで映画の魅力に取り憑かれた彼女は、性差もガラスの天井も統計もまったく考えずに、映画界に飛び込んだ。他の監督のもとで10年間カメラの操作を覚え、型破りなドラマシリーズ『ガールズ』の流れを組むような映画を友人たちと撮り始めた。アートシネマの道に進んだらどうかと言われることもあった。女性監督も活躍しやすい分野だからと。しかしパティの志はもっと大きかった。自分をニッチ市場に限定したくなかった。少女の頃、映画館でみた夢は『スーパーマン』だったのだ。その頃はまだ、40年後にまさか本当にスーパーヒロインを描いた映画がハリウッドへのパスポートになるとは知る由もなかったが。いまハリウッドは大きく扉を開いて彼女を迎えている。間もなく撮影が始まる『クレオパトラ』の新バージョンでは、再びガル・ガドットとタッグを組む。ネットフリックスでも新作ドラマシリーズの制作が予定されており、推定1000万ドルで契約を交わした。また『ワンダーウーマン』第3作でも監督を務めることになっている。『ワンダーウーマン』のヒロインの決め台詞「Life is tough but so am I! (人生はタフ、でも私だってそう)」を自らのスローガンとして歩んできたようなパティにとって、見事な大逆転劇といえよう。

フェミニズム映画?

パティ・ジェンキンスは粘り強い女性だ。そして闘う女性でもある。映画界は、49歳の彼女をフェミニズム運動の代弁者とかフェミニストアーティストと位置づけたがるが、彼女は否定する。映画は彼女にとって信念の表明に他ならない。「映画監督として、単なる娯楽映画を作ることには興味がない。『ワンダーウーマン 1984』は現代のアメリカ人の在り方について、また、この国の指導者たちがいますぐ着手すべき変革についても語っています。社会の進歩に役立つ作品を作ることはアーティストの務め。望むと望まざるとに関わらず、つまり、社会規範を変えようと努めるにせよ、逆に時代遅れのステレオタイプに固執するにせよ、あらゆる映画は政治的なのです」。ひとりの女性がパイオニアとして、すべての女性映画監督のために前例を作ろうしている時にはなおさらだ。

「機会さえ与えられていたら、私の前に何十人もの女性映画監督が彼女たちの『ワンダーウーマン』を撮れたと思う。自分が映画の歴史のなかで女性のためにある役割を果たせたことを誇りに思いますが、私は特別ではないし、例外と言われたくはありません。私が幸運を得て実現できたこと、それが当たり前のことになるべきだと思います」

texte : Marilyne Letertre (madame.lefigaro.fr)

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