フィリップ王配とダイアナ妃、知られざるふたりの絆。

Culture 2021.04.14

4月9日、フィリップ王配が亡くなった。イギリス王室は一族を支える柱でもあった愛する殿下の死を悼んでいる。ダイアナ妃の死から23年。義理の父娘のユニークな関係について振り返る。

【写真】王室を支える柱、フィリップ王配の家族との日々。

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1994年に撮影されたダイアナ妃とフィリップ王配の写真。ダイアナとチャールズの別居から2年後のある晩。 photo : Abaca

彼女がバルモラルを初めて訪れた日から、ロイヤルファミリーは彼女に魅了された。由緒正しい家柄の19歳のダイアナ・スペンサー令嬢はほれぼれするような美しさ。エリザベス女王とその夫君にとって、息子のチャールズの妻に相応しいすべてを備えた申し分のない女性だった。

チャールズは32歳になってようやく結婚する意志を固めた。王室の将来もこれで安泰。「フィリップはダイアナに歓迎の気持ちを伝えるために、そして彼女が居心地の悪い思いをしないように、あらゆる手を尽くした。フィリップはダイアナを笑わせた。彼女をとても可愛がっていた」と、王室担当記者リチャード・ケイが「デイリー・メール」紙に書いている

ふたりが交わした書簡が物語るように、フィリップとダイアナは互いに相手を尊重し、愛情を抱いていた。エディンバラ公はダイアナ妃に宛てた手紙には必ず「心からの愛を込めて、pa’」という署名を添えた。公爵はつねに自分と女王のことを指すときには「PaとMa」という表現を使っていた。

”フィリップは彼女に対してとても親身だった”

歯に衣着せぬ物言いで知られるフィリップ王配は、義理の娘にいつも優しかったわけではない。王配はダイアナが王室のしきたりに従っていないと感じていた時期もあった。

王室に馴染むために努力をしていたものの、若き妻はなかなか自分の居場所を見つけられずにいた。1981年7月29日に行われた世紀の結婚は、チャールズが元恋人のカミラ・パーカー=ボウルズといまだに親密な関係にあることを知ったときから、ダイアナにとって悪夢になった。ライバルの存在に悩まされ、魅力的な若い妻は一転怒りっぽいお姫様に変わってしまう。

ウィリアム(1982年生まれ)とハリー(1984年生まれ)が誕生しても、ダイアナの気分は一向に安定しなかった。当時、過食症と拒食症を繰り返していた彼女の精神状態について関知していなかった王室は、ダイアナの不安定さを産後うつ病によるものと見ていた。

「ダイアナの苦しみの原因が何であろうと、フィリップは彼女に対してとても親身になっていた」と前述のケイはコメントしている。家族のなかで、唯一、バッキンガム宮殿と縁のない場所で生活したことのあるフィリップ王配は、ダイアナのよき相談相手となった。

ダイアナは王配同様、王室に後から加わったメンバーであり、「王室に嫁いで新たな役目を負い、その責任とストレスに向き合わなければならなかった」とケイは述べている。

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“カミラと危ない橋を渡るチャールズは愚か”

夫は自分を顧みずにカミラと面会を続け、理解を示してくれない。ウェールズ公爵夫人が頼りとしたのは義理の父だった。

デイリー・メール紙はふたりの手紙を引用している。「あなたとチャールズ、ふたりのために自分にできる限りのことをしてあげたい。ただし言っておきますが、私に夫婦カウンセラーの才能はまったくありません!」と、ダイアナ宛ての手紙の中でフィリップ王配は書いている。

「親愛なるPa、この前のお手紙に私はとても胸を打たれました。私のことを本当に心配してくださっている、心の籠ったお手紙でした。殿下のお心遣いを私が存じ上げないはずはありません。夫婦のカウンセリングの才について殿下はとても控えめでいらっしゃいますが、私はそうとは思いません!」とダイアナは返事をしている。

息子の振る舞いや、不貞の噂に苛立つエリザベス女王の夫は、チャールズの過ちを認めるような言葉も記している。「あなた方夫婦のどちらかが愛人を持つようなことを私たちは認めません。カミラと危ない橋を渡るとは、チャールズは皇太子という地位にある人間として愚かでした。チャールズがカミラのためにあなたと別れたいと考えるなど、私たちには思いも寄りませんでした」

“Ma-maとPa”

1992年、皇太子夫妻の浮気の噂がイギリスのタブロイド紙で大きく取り上げられるようになってから10年。一冊の本の出版が今度は義理の父娘の間に諍いの種を蒔くことになる。

エドワード・モートンによる伝記『ダイアナ妃の真実』の中で、ウェールズ公爵夫人はチャールズとの辛い夫婦生活や王室の冷淡な対応について長々と語っている。デイリー・メール紙の記者によると、この証言にフィリップ王配は「激怒」したという。その頃はダイアナの名が話題に上っただけで、王配は怒りを露わにした。「王室がそれほど嫌なら出て行けばいい。二度と戻って来る必要はない」と声を荒げたこともあった。

1992年12月、チャールズとダイアナの別居が発表された。ふたりはそれから4年後に離婚する。

1997年8月31日に亡くなるまで、ダイアナは女王と王配のことを「Ma-ma」「Pa」と呼び続けた。

texte : Stéphanie O'Brien (madame.lefigaro.fr)

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