作家・いしいしんじが魅了された、朝吹真理子のエッセイ。

Culture 2021.04.23

朝吹真理子が綴る、こぼれた記憶のエッセイ。

『だいちょうことばめぐり』

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朝吹真理子著 花代写真 河出書房新社刊 ¥1,980

“あさぶく”。あさぶけた欅の芽。あさぶく氷。ぷつぷつとあさぶかれる声を、耳でなく、ふるえとして、肌で感じる。日本語のその声は、目にうつる表面でなく、そのむこうにある、いる、広がる、ふだんことばで捉えない、なにものかの存在をありありとつたえる。

その口は穴だ。マンホールだし、鏡だし、舞台の穴だ。奥には闇がつづいている。はいってみるといやに明るい。まっくら闇のうらがえしだ。

いろんなものが落ちてくる。やたらうまそうな食べものが目につく。鯛飯、おむすび、かき氷、アイスに甘栗、なべやきうどん。鉱石の雲母もかりこりとかじる。雪の結晶が長く降りつもり、やがて巨大な球形をなす。絶望といのちの天体スノーボールアース。

煙草のけむり、湯気、どこからか漂う匂い。ひとはそもそも湯気のようななにかを人間の輪郭でつつんだものだ。ときどきその輪郭に穴をあけ、湯気を、けむりを、記憶をこぼし、“あさぶく”ひとはそれらを集め、ひらめく包丁で料るように書く。

うけとったぼくたちは、その湯気をかじり、頰張り、嚥下する。世界がからだの穴を落下していく感覚、と思っていたら、自分こそ、世界の穴を落下している。六本腕の雪片がくるくるまわりつつ無数に浮遊している。雪にとってしたら、右だろうが左だろうが同じことだ。靴も、着物の前合わせも。鏡におぼろに浮かびあがる、歌舞伎役者の素顔も。

ページのはばたきで、気づけばやはり浮かんでいる。あるいはぬるい水の底で息をしている。大天使に告られたマリアのように、あさぶきのまりっぺはいつだってぎょっとしている。ページをめくるごとに、気づかされもしないまま、ささやかな奇跡にぼくたちはたちあっている。

文/いしいしんじ 作家

1966年生まれ。京都大学文学部仏文学科卒。小説に『プラネタリウムのふたご』(講談社刊)、『よはひ』(集英社刊)、エッセイに『京都ごはん日記』(河出書房新社刊)、近著に『マリアさま』(リトルモア刊)など。

*「フィガロジャポン」2021年4月号より抜粋

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