葉山の海を見下ろす古い一軒家が物語る、映画『椿の庭』。

Culture 2021.04.27

写真家である上田義彦が、葉山の別邸で撮り下ろした公開中の映画『椿の庭』。上田が、映像を通して表現したかったこととは。

記憶を宿す家で、奇跡的な一瞬を捉える。

すべては椿から始まった。20年近い時をかけて構想された上田義彦の映画初監督作品『椿の庭』。その物語は、かつて上田が暮らした和洋折衷の古い住まいで生まれたという。「広い家ではないけれど、4月になると庭の乙女椿が見事な花をつけました。ある時、いつかこの花を見られなくなる日が来るという喪失感に襲われたのです。借家でしたし、私たちが家を離れると庭も失われるかもしれない」

そんなことを思いあぐねて近所を散策していると、よく眺めていた大きな庭木が伐採されたことに気付いた。知らぬ間にその家ごと解体されたのだ。またも喪失感に襲われた上田は、文章を書き始める。書き始めは目的を持たなかったが、進めるうちに映画への予感が生まれた。それが『椿の庭』だ。

家とは人の記憶が宿る装置。

物語は、椿が咲く家で暮らす祖母と孫娘、そしてそこを訪れる人々を描く。祖母が世話をする庭には色とりどりの草花が咲き、季節のうつろいとともに変化する家族の一年を追う。日々を慈しむようにゆっくりと、しかし物語は終盤に大きな変化を迎える。

主演を務めるのは日本映画界を代表する女優、富司純子。そして、日本と韓国で活躍し、映画『新聞記者』(2019年)で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞に輝いたシム・ウンギョンだ。ある時、街を歩く上田の目に和装の女性の姿がとまる。凛とした姿勢で立つ女性こそ富司であった。「その後にも一度姿を拝見したのですが、佇まいでこの人しかいないと思った。持っておられる空気を以て、言葉を使わずとも映像からすべてを伝えられる女性です。ウンギョンさんは初めてお会いした時、そのたどたどしい日本語にかえって言葉としての奥ゆきを感じ、透明で強い存在感に惹かれました」

上田は本作を「まったくいまどきではない」と苦笑する。一度はプロに編集を委ね、出来は素晴らしかったが、上田の思い描く物語とは違った。自らの手でふたたび一から編集を行った。「家とは人の記憶が宿る装置のようなものではないでしょうか。柱のキズや床の木目などのふとしたものに、些細で個人的な記憶が宿ります。それが失われると、思い出すすべもなくなってしまう。普遍的な喪失はやがて、日々の積み重ねの中で和らぎ、次に進むことになります」

物語は終盤に向けて大きく動くが、そこにいたるまでは日常に流れる淡々とした時間の美しさを描く。「その一瞬一瞬が、実は奇跡のような時間。二度と起こらず、目にすることができない時間を捉えるように撮影を進めました。もうひとつは丁寧に造られた日本の家が持つ美しさを収めたかった。その風情、光のあり方、なかなか不便なところもありますが、そこで暮らす人の佇まいを描きたかった」

もとより上田の写真には豊かな物語が宿る。静止した世界だが、五感に語りかける何かがある。その上田が撮る映画には時が加わった。作中に流れる時間は心地よく、私たちの記憶に語りかける。スクリーンを眺めながら、椿が匂い立ち、潮の香りが鼻孔をくすぐり、風が頰をなでていくのを感じることだろう。そう、上田は映画でも、私たちの五感を優しく刺激し続ける。

『椿の庭』

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葉山の海を見下ろす古い一軒家を舞台に物語は始まる。四季の変化とともに進む物語に合わせ、春、梅雨、盛夏、秋、冬と一年を通して撮影が行われた。ロケ地となったのは実在する上田の別邸。写真同様にフィルムカメラを使い、ライティングを行わずに自然光での撮影にこだわった。その独特の色合いと光が、映像でも美しく表現されている。作中で富司演じる絹子が語る、「もし私がこの地から離れてしまったら、ここでの家族の記憶や、そういうものすべて、思い出せなくなってしまうのかしら」という言葉が、上田の描きたかった物語を象徴する。

●監督・脚本・撮影・編集/上田義彦 ●出演/富司純子、シム・ウンギョン、チャン・チェン、鈴木京香ほか ●2020年、日本映画 ●128分 ●配給/ビターズ・エンド ●シネスイッチ銀座ほか全国にて公開中

*『フィガロジャポン』2021年5月号より抜粋

photos : YOSHIHIKO UEDA, interview et texte : YOSHINAO YAMADA

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