Culture 連載

Dance & Dancers

ケネス・マクミランの傑作『マノン』、
娼婦役に挑む小野絢子さんにインタビュー。

Dance & Dancers

 5月の頭には『白鳥の湖』で主役を務めた小野絢子さん。1カ月と少しの時間を挟んで今度は『マノン』を踊る。この作品は物語バレエの巨匠、ケネス・マクミランの傑作として知られ、富と快楽に絡め取られやがて破滅へと転がり落ちていく主人公を、美しくドラマティックに描いたものである。...つまり、貴族や白鳥を中心に描いた『白鳥の湖』とは物語の背景も演じるキャラクターも、まったく逆。
「こんなにも人間臭い役を踊るのは初めてですし、第一、バレエ団がこの作品をやるということは想像さえしていなかったので、まずそのことに驚きました。さらには、まさか自分がこの役をいただけるとは...」。
 新国立劇場バレエ団が『マノン』を上演したのは9年前の2003年。そもそもこの作品自体をレパートリーに持つバレエ団が、日本国内には少ないのである。

120606urano1.jpg2010年 新国立劇場バレエ団『ロメオとジュリエット』より。ロメオとの愛を貫く決意の表情を表現する、ジュリエット役の小野さん。Photo:Takashi Shikawa

■ダンサーとしての総合人間力を発揮して!

 オペラや映画でも知られる、アベ・プレヴォーの小説を原作とするこのバレエは、退廃した18世紀のフランスが舞台。修道院に入ろうとしているマノンは、老紳士や大富豪、女郎部屋の女主人の目を一目で奪うほどの魅惑的な容貌の持ち主。彼女は自分に恋心を寄せる神学生デ・グリューと駆け落ちをするが、兄レスコーの手引きにより、大金と引き換えに大富豪の元へと去る。その大富豪が開いたパーティで再開するふたりは、金を巻き上げ逃亡を企てるが...。
「役をいただいた瞬間に、"わっ、まだ早い!"と思いました。...マクミランの作品はまだ"ロメオとジュリエット"しか踊ったことがありませんし、こうした作品を踊るにはもっとたくさんの経験を積んでからでないと、という気持ちがありました」。
 マクミランの作品は、登場人物たちの心情をどれだけ豊かに踊りに乗せて表現できるか、が重要だ。その作品世界を理解する意味での人生経験と、そして踊り手としての経験。つまりダンサーとしての総合人間力、のようなものが求められる非常にハードルが高い作品である。「...まず一週間、全体の流れをなぞり物語を掴むリハーサルを行い、次の一週間からは英国からカール・バネット先生が来日し、細かい部分を指導してくださっていますが、...ますます不安になってきました(笑)」。

■実は、ドラマティック・バレエが大好き!

 とはいえ、実は小野さん以前からマクミラン作品が好き。『マノン』も映像などで何度も観ている。
「生の舞台では昨年、小林紀子バレエ・シアターの公演を拝見し、とても感動しました。...バレエを踊る者が言うのも何なのですが、なにか、バレエバレエしていなくて(笑)、演劇に近く、ドラマ性が際立って見えてくるところがたまりません」。小野さん自身、実は、古典の王道のような作品より、こうしたドラマティック作品の方に魅力を感じるのだそう。「ですから昨年"ロメオとジュリエット"を踊らせていただいたときも、とても嬉しかったんです。プティの"こうもり"も楽しかったですね。過去に数回踊らせていただいたコンテンポラリーも、とても好きでした」。
 では、古典作品とマクミランのようなドラマティック作品、踊り手にとってはどんな部分が違うのかと言うと、「いわゆる古典作品(白鳥の湖や、くるみ割り人形など)ですと、踊りのパ(形)自体を見せる目的のシーンがありますが、マクミランのバレエにはそれがありません。テクニックは、あくまで台詞の代わりなんですね。それにより感情やストーリーをどんどん見せていくのが大切なんです。ですから、振付、身体の使い方にはコンテンポラリー・ダンスに近いものもありますね」。

■テクニックを超えたところに、感情が生まれる。

 古典バレエとは違い、動きも表現もかなり自由で、観ている方にはかなり演劇的にも見えるマクミラン作品であるが、
「意外に"自由"ではないんです。音の取り方やタイミング、身体の向き、動き、すべてが細かく決められています。でも、振りを覚えるために過去の映像を見るじゃないですか。そうすると、感動させてくれるダンサーほど、振付の何をやっているのか、さっぱりわからないんです。つまり、振りやテクニックがそのまま見えてしまうようではつまらない作品に見えてしまう、ということですよね。ひとつひとつの動きを台詞としてとらえ、消化しないとだめなのだと思います」。そのためにまずは振付やステップ、テクニックを完全に体に叩き込む。そのうえで、頭の中で感情を強く持つ。キャラクターの気持ちになって踊ることで溢れる感情のままに手足が出ていく、それがマクミランの振付を踊る、理想の在り方。「だからといって、テクニックが不十分なのに感情ばかりに走っても意味は無いのだと思います」。細かく決められた振付の先に、マクミランの意図する深い世界がある。それを体に叩き込まなければ、その先の表現の世界に届かない。ダンサーとして出会える恍惚感を、体験しないままに終わることもあるのかも知れない、そう小野さんは考える。「この作品には、高揚感に溢れるパ・ド・ドゥがいくつも散りばめられています。それらを流れるように踊ることができたらこれまでどの作品からも味わうことの無かった幸福感を、舞台の上で味わえるような気がしています。そのくらい、音楽と感情、そして振付がひとつになっている作品なんです!」。

120606urano2.jpg軽快な音楽に乗せて、ジュリエットの幼さ愛らしさが表現される。Photo:Takashi Shikawa

■なんと、自分でジャンプする機会は、二回しかない。

 なかでも小野さんが好きなのは、1幕の"寝室のパ・ド・ドゥ"。ガラ公演などでもよく踊られる有名なシーンだ。
「まず、音楽がとても好きですね。その音楽の中で、幸せいっぱいのふたりが楽しくじゃれ合う、その浮き足立つような心をお見せしたい」。その場面のパートナー、日本人ダンサーとして初めて神学生デ・グリュー役を踊る福岡雄大さんは、ここ数シーズンよく組んで踊る相手。互いに注目の若手同士、でもある。「以前は、大先輩である山本隆之さんと組んで踊ることが多く、とても勉強になったのですが、こういう作品を踊るときは年齢や立場が似ているパートナーと踊ることで、また別の鍛えられ方をします」。なぜなら、互いに譲れないところが出てきて、ぶつかってしまうこともたびたびあるから。そのとき、相手が先輩だと自分の意見を引っ込めてしまうことも多くなるだろうが、立場が近ければその遠慮は無い。「ぶつかってしまったら、一回距離を置いて、頭冷やして出直し、ってなるんですけれどね。でも何かがうまくいかないときって、お互いそれぞれに原因を抱えていたりするものなんです」。
 他のバレエでは見られないテクニックがたくさん散りばめられているこの作品だけれども、驚くことに主役(=マノン)のソロダンスは全幕を通して1場面しかない。他は全て、男性と組んで踊ることになるのだ。「デ・グリュー、レスコー(兄)、G.M(大富豪)、あと紳士たちなど...全部で10人くらいの男性とかわるがわる踊ることになります。そのひとりひとりと一緒のイメージ、タイミングを持たないと、どの踊りも成立しません」。社交界を、花から花へと気まぐれに移ろう娼婦マノンを象徴するように、男性から男性へと放り投げられるシーンも、たくさん。しかし、「自分がジャンプする場面は、二つしかないんですよ!! ジェテ、ジェテ、はいこれだけです(笑)」。

■マノンなりの、必死な人生。

 マノンとはどんな女性だと思いますか?と尋ねてみると、
「難しいですね。何度も原作を読みましたが、それは彼女の視点から描かれているものではありませんし、時代の背景をよく理解しなければ彼女の取る行動の意味も理解できない。ただ、今私が思うのは、彼女はお金に興味があるわけでなく、ただ楽しく生きたいだけなのではないか、そのためにはたまたまお金が必要だった、ということです。愛、については、自覚が無いんです。宝石や遊びが好き、と言うのと同じ感覚でデ・グリューも"私のお気に入り"のひとつなんです。だから簡単に彼の元を去ったり、裏切ったりできる。物語の最後の方でようやく、自分にとって本当の幸せとは何か、求めていたことは何かに気づく」。流刑の身となった彼女を追ってきたデ・グリューと逃亡する、命のぎりぎりのところでようやくずっと自分の中にあった彼への愛に、気づくのだ。「物語の要所要所に、ネズミ取りの男が出てくるのですが、マノンはそれをとても忌み嫌います。ネズミ取りは、貧乏の象徴なんですね。貧しい身の上だったマノンは、貧乏に対して強い恐れを抱いているのです。そこから逃げたくて、自分の美貌を売り、お金の匂いのする方に流れていたのでしょう。けれどもそれは、マノンなりの、必死な生き方だったのだと思います」。

■欠点は、人を美しく成長させる。

 小野さんは、新国立劇場バレエ団に入団して6年目。しかし入団間もないころから主要な役を踊るようになり、昨年、プリンシパル(=常に主役を踊る)に昇格した。しかし、伸びやかで曲線的な動きと内側からあふれ出るような気品は、他のダンサーにはない個性として、多方面から高く評価されている。舞台を見ていても、小野さんの動きは決して止まることが無いのだ。伸ばされた指先まで、音楽と共に、ずっと伸びていく。しかしそこには、身長に恵まれていないことが理由にあった。
「新国立のダンサーは、身長が高く手足の長い人が多いんです。私はそうではないので、より大きく、より長く、を常に意識して動きます。もしもかちっ、と動きを止めてしまったら、リアルなサイズがばれてしまいそう」。それでは、バレエの夢の世界は、伝えられないのだ。「毎日のレッスンでバーにつかまっているときから、人より高く、長く、意識して動くようにします」
 07年、新国立劇場バレエ団研修所を卒業する時の小野さんは、ふっくら、ふんわりしてまだ少女の様だった。主役を踊るようになった今、落ち着きのあるトーンで繰り出されるその言葉には、しっかりと重みがある。日々、多くを思考し同時に自分の内面と向かい合っている人に共通の、静かな力強さを感じる。「プレッシャーはあります。主役となれば、自分が思っているより一つ上を求められることになりますから。大変ですが、自分にとってはチャンスだと思っています」。

120606urano3.jpg『ロメオとジュリエット』の有名なバルコニーのシーンより。相手役は、キエフ・バレエ芸術監督のデニス・マトヴィエンコ氏。難易度の高いリフトが、波のように繰り返されるこのシーンからは、恋する若い二人の高揚感が押し寄せてくるかのよう。マクミランはこうした見せ場の作り方がとても巧みだ。『マノン』にもこうしたシーンはたくさん。Photo:Takashi Shikawa

 ダンサーとして、そしてひとりの人としても、経験を積み厚みを増したい、という小野さん。「現実的な部分では、"身体の厚み"も欲しいんですけれどね(笑)」。もともと筋肉がつきやすい方ではないので、舞台が忙しくなると身体が自然と絞られてくる。「それはそれでいいのですが、あんまり薄いと存在感も貧弱に見えるので。ただ、こういう(古典作品には無い動きの多い)作品をやると、背中に筋肉がつきますから自然に厚みはついてくると思うんですけれど」。
 好きな食べ物は、とんかつ。本番の前には、とんかつか、うなぎを食べてスタミナアップを図る。「今年、うなぎ、高いですね、どんどん高くなりました。困りますねぇ」。本番の時にはもう少し厚みが...、「あるかなぁ、あるといいですね~」。

●新国立劇場バレエ団公演
『マノン』
日程:6月23日(土) 4:00、24(日)2:00、26(火)7:00、30日(土)2:00、7月1日(日)2:00
場所:新国立劇場オペラパレス
料金:S席12,000円、A席10,500円、B席7,350円、C席4,200円、D席3,150円、Z席1,500円
問)新国立劇場ボックスオフィス
Tel.03-5352-9999
http://www.nntt.jac.go.jp
※小野絢子さんは23日・1日に出演します。

●小野絢子/ Ono Ayako
東京都出身。小林紀子、パトリック・アルモン、牧阿佐美に師事。小林紀子バレエアカデミー、新国立劇場バレエ研修所を経て、2007年新国立劇場バレエ団にソリストとして入団。主な受賞歴にアデリン・ジェニー国際バレエコンクール金賞などがある。入団直後にD.ビントレー振付の新作全幕バレエ『アラジン』でプリンセス役に抜擢され成功を収める。その後も牧阿佐美版『くるみ割り人形』『ラ・バヤデール』『白鳥の湖』、ビントレー『カルミナ・ブラーナ』『パゴダの王子』、プティ『コッペリア』『こうもり』、小倉佐知子『しらゆき姫』、フォーキン『火の鳥』などで主役を務め、着実にキャリアを積み重ねている。2011年プリンシパルに昇格した。2010年スワン新人賞、第61回(平成22年度)芸術選奨文部科学大臣新人賞、第42回(2010年度)舞踊批評家協会新人賞を受賞。
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