Culture 連載

イイ本、アリマス。

ラテン・アメリカ文学の新星サンブラが
描こうとしている新しい地図
アレハンドロ・サンブラ著『盆栽/木々の私生活』

イイ本、アリマス。

『盆栽/木々の私生活』、タイトルも装丁もラテンアメリカ文学特有のあのこってりした匂いがまるでない。冒頭には川端康成の小説『美しさと哀しみと』から一文が引用されていたりもするが、これはまぎれもなくチリの作家の作品集だ。
 チリと言えば、やはりボラーニョの名前を思い起こさないわけにはいかない。
 近年のラテン・アメリカ文学ブームは夭折した鬼才ボラーニョが牽引してきたところがある。日本でも『通話』が刊行されたのを皮切りに『野生の探偵たち』『2666』が相次いで刊行され、この秋には『ボラーニョ・コレクション』全8巻の刊行も始まったばかり。第1回の配本は生前最後の短編集『売女の人殺し』で、死者の側から語られる黙示録のようなボラーニョらしさを存分に堪能できる1冊になっている。


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そしてこの『盆栽/木々の私生活』の著者アレハンドロ・サンブラはポスト・ボラーニョと言われる新鋭。詩人でもあるところはボラーニョとの共通点かも知れない。その語り口は簡素と言っていいくらいミニマルで淡々としている。
 デビュー作でもある中篇『盆栽』では、チリの首都サンディアゴに住む作家志望の若者フリオと学生時代の恋人エミリアの恋が、彼らがベッドの上で読んだ何冊もの本をひもときながら語られていく。
 出会った時、ふたりは「マルセル・プルーストを読んだことがある」という嘘をつくというのも、本好きなら思わずニヤリとしてしまうエピソードだろう。どうやら洋の東西を問わずプルーストは「いずれ読まなければと思いながら、とりあえず積ん読リスト」の第一位らしい。お互いに読んだふりをしていた彼らは、いよいよベッドでこの本を読むことになった時には、いかにも人が感動しそうなくだりは避けて、通っぽい感想を述べ合ったりする。
 またある時には、ふたりは、友人や知り合いを『ボヴァリー夫人』のシャルルかエンマかに分類して、自分たちがあの夫婦と重なるかを議論しあう。
 情熱的なビッチの代表みたいに引用されるエンマもお気の毒だけれど、三島由紀夫やカーヴァー、ニーチェやボルヘスでさえ、彼らにとっては「フォジャール」するための口実に過ぎない。「フォジャール」というスペイン語は英語でいうところの「fuck」ということでしょうか。
 まあ、お下品と眉をひそめることなかれ。
 関係性の希薄さはサンドラの作品の特徴であり、誰もが誰かを失うかもしれない怖れにさらされている。

 唯一、マセドニオ・フェルナンデスの短い短編『タンタリア』だけは、そんな彼らを真顔にさせてしまったらしい。マセドニオ・フェルナンデスはボルヘスの作品にも引用されるアルゼンチンの詩人。『タンタリア』は愛のしるしに小さな植木を育てる若い男女の物語だ。「フォジャール」に溺れることで性急にお互いの距離を縮めてみたものの、結局エミリアは彼のもとを去っていく。

 この小説のタイトル『盆栽』は、作中に登場する小説家ガスムリの書きかけの小説のタイトルでもある。ガスムリを敬愛するフリオは、この小説を清書する仕事を請け負おうとするが、バイト料が折り合わず流れてしまう。それでも着想が忘れられずに続きを自分で書き始める。敬愛する老作家と作家志望の青年のやりとりと言えば、これまたボラーニョの『センシニ』(『通話』に所収)を思い起こさずにはいられない。
 『盆栽』には、こんなやりとりがある。

<君は小説を書いているのか? 今はやりの、四十ページくらいの短い章でできたやつを。フリオ――いいえ。そして何か言うために付け加える。僕に小説を書けと勧めているのですか?>

 なんて質問だ、と老作家は憤慨する。
 ガスムリにとって、書くことはもっと切実なことであり、少なくとも「誰かに勧められたからすること」ではないのである。ガスムリは軍事政権に弾圧された世代(おそらく1953年生まれのボラーニョと同世代)であり、政治と文学におけるさまざまな陰謀について一心に語るが、若いフリオはどう答えていいかもわからない。
『センシニ』がそうだったように『盆栽』も<物語ろうとする者たち>が描かれている。フリオは自分もその末裔だと思っているけれど、若さなのか、そういう世代なのか、おそらくその両方の理由から、彼はまだ自ら語るべき何かを持っていない。
 もしかしたら言葉というものは常に何かが失われた空白に向かって放たれるものなのかも知れない。『盆栽』は、フリオが喪失を自覚するまでを描いた恋愛小説であり、それによって<読む者>から<物語る者>になるまでを描いていた小説でもあるのだ。

 サンブラは1975年サンディアゴ生まれ。二冊の詩集を出すことから出発した。
 2006年、小説第一作の『盆栽』はチリをはじめスペイン語圏の若い読者から支持を集め、チリ批評家賞、チリ図書協会賞を受賞。ブッキッシュな語り口は二作目の『木々の私生活』にも引き継がれている。
『木々の私生活』の主人公フリアンは、30歳になったフリオであり、彼はいまだに『盆栽』という小説を書き続けている。『木々の私生活』は妻ベロニカの連れ子ダニエラを寝かしつけるために語って聞かせた物語のタイトルでもある。ベロニカはまだ帰ってこない。この小説でも、また<不在>と<物語ること>が背中合わせになっている。
 ベロニカと結婚する以前にも、カルラという女性が彼のもとを去った。
 フリアンは、また誰かを失うかもしれない怖れにさらされているというわけだ。
 誰かと運命的な出会いをすることを期待したフリオが、友人たちから「偶然に魅せられたのね」「ポール・オースターの読み過ぎでこの家を借りたな」とからかわれるくだりは印象的だ。

<フリアンは、ポール・オースターの小説をそれ以来読まなくなった。他人にも一度ならず、オースターなんて、『孤独の発明』の数ページを除けば、あとはボルヘスの二番煎じに過ぎないなどといい、あんなものは読まないほうがいいと口にする始末だった>

「自分だけが死んだ家族がいない」と思うフリアンは、語るべき背景を背負っていない自分の凡庸さに苛まれている。それは著者サンブラの現在地なのかもしれない。『盆栽』そして『木々の私生活』の二編は、ボルヘス、ボラーニョというラテン・アメリカ文学の縦軸を意識しながらも、自分たちは新しい世代であるということを自覚しているサンドラが描こうとしている新しい地図でもあるのだろう。

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