Culture 連載
イイ本、アリマス。
いつか来るその日。親を看取るということ。西原理恵子著『スナックさいばら 女のけものみち ガチ激闘編』とよしもとばなな著『素晴らしい日々』を読んで。
イイ本、アリマス。
お正月休み明けに友人と会うと「久しぶりに実家に帰ったら、親がちっちゃくなっちゃってさあ」なんて話になる。普段は気にしないふりをしてるけど、みんな、やっぱり本当は心のどこかで気になっているのだ。
親の老い、介護、そしていつか来るその日について。
漫画家の西原理恵子さんと連載している『スナックさいばら 女のけものみち』で<介護>をとりあげたことがあった。いつもなら読者の投稿になんやかやとツッコミを入れて、一日の終わりに笑ってもらおう、ホッとラクになってもらおうという趣旨のこの企画にとって、それはちょっとした決断でもあった。
こんなシリアスなテーマをとりあげて、果たして読者は受け入れてくれるのだろうか。
投稿は来るのか。読んでもらえるのか。迷っていたら、西原さんはキッパリと言った。
「介護って、女の人生の最後に待っている大仕事だから。みんな、絶対言いたいことがあるはずだし、誰にも言えないことを抱えてるはずだから。やりましょうよ」
そうしたら、これまでで一番大きな反響をいただくことになった。
ブログのリツイートが1000を越えた時には「これは大事なことだから」とリツイートしてくれたたくさんの方たちの切実な思いに、胸がいっぱいになってしまった。
現場で格闘している人たちの生の声が聞けたのは何よりありがたかったし、現実は決して美談でまとめられるような生易しいものではなかった。介護、そして看取りというのは、当事者の人はもちろん、まだこれからの人にとっても、そう遠くない将来にやってくる大問題なのだとあらためて思った。
「女の人は優しいから、どうしても自分で引き受けようとするよね。でもそうやって自分を追い込んだ挙句に追い詰められて、へとへとになってしまった人を何人も見てきたんですよ。介護は子育てと違って、いつ終わるかもわからない。読者の投稿にもあったけれど
<憎みたくない>、これがぎりぎりの本音だと思う。大切な家族を憎まないで済むように、プロに任せられることは出来るだけプロに任せて、家族は援護射撃に回った方がいい」
「頑張らなくていい」「逃げてもいい」というのが西原ママからの渾身のメッセージだった。
そのためにどうするか。
まさにこの回はみんなで生きる知恵を持ち寄ってる感じがした。
それは現物でその人その人がつかんだ泣き笑いの賜だった。
その結果『スナックさいばら~』単行本の第3巻は<介護>と<離婚>というガチンコ勝負なテーマをとりあげた、まさに「ガチ激闘編」となったのだが、西原さんならではのきれいごとじゃ乗りきれない本音を届けることが出来て良かったと思う。
よしもとばななさんの『すばらしい日々』も、出産し、子育てをしながら、親の介護をし、看取ることになった激闘の40代を綴ったエッセイだ。
2012年の3月に父で思想家の吉本隆明さんが逝き、それから半年後、母もまた逝った。
一時は父も母も姉も入院して、3つの病院を回っていたら、ばななさん自身も倒れてしまった。きついのは体だけではなかった。出来ることなら逃げ出してしまいたい、何度もそう思ったという。親がどんどん老いて、病気になって、弱っていくしかないことと向き合うのはつらくて、怖くて、信じられないことだ。だからといって、どうすることもできない。
<でも逃げちゃいけないと思った。本人は死から逃げられない。だから私が普通に会いに行き、逃げてないところを見せなくてはと思った。
あの、ものすごい向かい風の中でじっとがんばるような気持ち。
なんの希望もないのに逃げないということ。
あれを経験したら、そうとう自分は変わったと思う>。
表紙になっているのは父・吉本隆明さんが自分の血糖値を記録していたノートで、指に針を刺して血を出して計る、その血の痕がついている。
壮絶ということもできるが、娘は「父は今、できることをしたかったんだと思う」と振り返る。毎日毎日、ぱちんと指先を針でつついて、血を流して、一日も欠かさずにその手帳に血糖値を記録し続けた。
<どんな教えよりもはっきりと、父が最後まであきらめなかったことが伝わってきて、泣けてきた>
逃げてもいい。逃げなくてもいい。その時にどうするか、選択はきっと人それぞれだ。
<若いときは「逃げるなんてずるい」と思っていた私なのに、今はそうは思わない>と、ばななさんも続ける。<どっちがいいということもない。どっちも受け止めるものがある。なにを選ぶかだ>。
いつかその時が来たら、自分はどうするだろう。
わからない。わかっているのは、誰かの娘でいられる時期は意外と短いということ。
みんな、いつかは逝ってしまう。そのことがただの事実として身にしみるようになると、面白いことに人生は笑うことが増えていく。
もう笑うしかないからだろうか。それとも、昔なら見逃していたささいな喜びを、ひとつ残らずしっかりと見ておこう、受けとめようとするからだろうか。
『素晴らしい日々』にも、止めようもなく過ぎてゆく時間とその中でふいに訪れる僥倖のような一瞬がたくさん、たくさん詰まっている。それはとても眩しくて胸を衝かれる。