モード界の天才、ヴァージル・アブローが41歳で死去。

Fashion 2021.11.29

ヴァージル・アブローが、11月28日、がんのために亡くなった。41歳だった。

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ヴァージル・アブローが、11月28日日曜日、がんのために亡くなった。photo : Getty Images

オフ-ホワイト(OFF-WHITE)の創始者であり、2018年からはルイ・ヴィトンのメンズ部門を率いていたヴァージル・アブローが、11月28日、がんのために亡くなった、と発表された。「2年以上の間、ヴァージルは心臓脈管肉腫という、非常に稀でアグレッシブながんと果敢に戦ってきました。2019年に診断されて以来、プライベートでがんと闘うことを選び、たくさんの困難な治療を受けながら、ファッション、アート、カルチャーを包括する複数の重要な部門を率いてきました」

2019年9月、ヴァージル・アブローは3カ月間、公の場から身を引くと発表したが、この時は休止の理由については詳細を明らかにしていなかった。「ヴォーグ」に対し、ペースを落としたいと語るにとどまっていた。

声明の中で、彼を取り巻くチームはモード界に見事な登場を果たしたクールな帝王にオマージュを捧げている。「彼の仕事への姿勢、尽きることのない好奇心、そしてその楽観主義は決して揺らぎませんでした。ヴァージルは自分に課した献身的な使命に駆られていました。それは、他の人たちに扉を開き、アートとデザインにおける平等を実現する道を作り出すことでした。彼はいつも『僕がすることは、どれも17歳の時のヴァージルのためだ』と言い、未来の世代をインスパイアするアートの力を心から信じていました」

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ワーカホリック

彼は従来のシステムとはかけ離れた、桁外れの成功を築きあげた。シカゴのガーナ系移民の家に生まれ、もともとは技術者で建築家。カニエ・ウェストのアートディレクターを14年間務め、この裏方の仕事で知識を増やし、ネットワークを広げ、クリエーションの道に踏み出した。2013年、ヴァージル・アブローは、彼の最初のファッションブランドであるピレックス・ヴィジョンの仕事を継続する形でオフ-ホワイトを創立した。

アイデア豊富で仕事にも貪欲な彼は、すぐさまブランドにメンズとウィメンズのプレタポルテラインという形を与えて職業的に成功させた。そして、他のファッションブランドと協力することを決め、モンクレー、ナイキ、ウンブロ、EショップのSSENSE、リーバイス メイドアンドクラフテッド、さらにはイケア、といくつものブランドとのコラボレーションを繰り出した。

2018年、キム・ジョーンズの退任に伴い、ルイ・ヴィトンは、彼のメンズ・コレクションのアーティスティックディレクター就任を発表。ワーカホリックのイメージが定着しているとはいえ、ヴァージル・アブローは妻帯者で、二人の子どものパパでもあった。「優しい妻シャノン・アブローとロウ・アブロー、グレイ・アブローの二人の子ども、姉のエドウィナ・アブロー、両親のニー&ユニス・アブロー、そして多くの友人と同僚が、彼の死を悼んでいます」と声明は述べている。

text : Sabrina Pons (madame.lefigaro.fr)

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