ピエール・カルダン、永遠の未来派クチュリエの足跡をたどる。
Fashion 2021.01.06
2020年12月29日、ヌイイ=シュル=セーヌのアメリカン・ホスピタルで、ピエール・カルダンが亡くなった。享年98。
常に前衛的で、フューチャースタイルのパイオニアだったクリエイターの足跡を振り返ってみよう。
12月29日、ピエール・カルダンが亡くなった。この写真は、2001年、芸術アカデミーの正装をまとい、最初の恋人だったジャンヌ・モローと並んで。photo Abaca
2020年、98歳になっても、まるで永遠の生命を信じるかのように、ピエール・カルダンは、ヴェネツィアに塔を建てるなどのプロジェクトを抱いていた。先見的なクリエイターであり、「モード産業界のゴッドファーザー」であり、世界中に広がる帝国を築いた伝説のクチュリエは、しかし、2021年の幕が開ける直前に、世を去った。月面を歩く最初の人間になることを夢に見て、常に未来を見つめた人物が、過去に属する人となったのだ。
ピエール・カルダン、画像で振り返る人生
1 プランタンでのショー
プランタン百貨店で行われたピエール・カルダン初のプレタポルテのショー。photo Abaca
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2 ジャンヌ・モローと。
女優のジャンヌ・モローとの愛は4年間続いた。photo Getty
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3 カルダンを着たビートルズ
デビュー当時、ビートルズはカルダンの服を着ていた。(1963年)photo Getty
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4 看護士たち
ピエール・カルダンは看護士のルックまでデザインした。恐ろしくレトロでありながら、同時に未来的。photo Getty
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5 モデルたちに囲まれて
1969年、モデルたちに囲まれてポーズ。photo Abaca
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6 日本では大スター
日本で、ロックスターのような出迎えを受けるピエール・カルダン。photo Abaca
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7 ショー開始5分前
ロンドンで1966年2月に行なったショー。開始前にモデルたちのルックを確認する。photo Getty
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8 大成功のクリエイター
60年代、ピエール・カルダンのクリエイションは引っ張りだこ。photo Getty
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9 世界中いたるところで
エジプトのギーザで、「エニグム(謎)」と名付けた香水を発表。photo Getty
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10 赤の広場
1986年4月、モスクワでコレクションを発表。photo Getty
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11 プールサイドで
1996年、アトランタ・オリンピックでコレクションを発表。photo Getty
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12 ベルリンにて
2008年11月、ベルリンで、モデルたちに囲まれて。photo Getty
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13 トミー・ヒルフィガーと
2000年、ロサンジェルスで、アメリカのクリエイター、トミー・ヒルフィガーと。photo Abaca
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14 ジャンヌ・モローと、アカデミー会員として。
2001年、アカデミー会員の正装で、ジャンヌ・モローと。photo Abaca
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15 所有するバブル・ハウスで。
2003年5月、南仏テウル=シュル=メールに所有する伝説的な未来派建築、バブル・ハウスにて。photo Getty
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16 ジョン・ガリアーノと
2003年春夏、ディオールのオートクチュールのショーで、ジョン・ガリアーノとともに。photo Getty
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17 2016年、最後の挨拶
2016年6月、ショーの最後に挨拶に出たピエール・カルダン。photo Abaca
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その名は世界の隅々にまで知られていた。イタリアからやって来て、フランスを代表する顔になった人物。その数奇な運命は、P.デーヴィッド・エバーソールとトッド・ヒューズによるドキュメンタリー映画で紹介されたばかりだ。
トレヴィーゾ地方の耕作農家に生まれたピエール・カルダンは、18歳の時、自転車でパリへと出発する。1944年、サンテティエンヌの仕立て屋で修行を終えると、パリのクチュール・メゾン、パキャンへ。そこではジャン・コクトーの映画「美女と野獣」の衣装を手がけた。スキャパレリのメゾンで短期間働いた後、かのクリスチャン・ディオールのもとで、羨望のプルミエ・タイユール(テーター部門のチーフ)の地位を得た。1950年、自分のメゾンを設立。3年後の初のオートクチュール・コレクションは大成功を収めた。その続きは、モード史に刻まれている。
ピエール・カルダンの数奇な運命
1 ミューズはジャンヌ・モロー
1962年、ピエール・カルダンとジャンヌ・モロー ©archivespierrecardin
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2アトリエにて
1957年、フォーブル・サントノレ118番地のアトリエにて。©archivespierrecardin
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3 仕事に没頭。1960年、アトリエにて。©archivespierrecardin3
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4 帝国を築く。
1966年、アナトール・フランス河岸の自宅にて。©archivespierrecardin
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5 カルダンのドレス
1968年、オートクチュール・コレクションで発表された「カルディーヌ」ドレス ©archivespierrecardin
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6 ストライプのジュストコール
1968年秋冬オートクチュールコレクション。ウールのフリンジスカートに、ストライプのジャージー製ジュストコール。©archivespierrecardin
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7 丸窓シャポー
1966年、松本弘子が着用したルックは、ウールのテーラードコートと、白キツネの縁取りの、飛行機の丸窓風にカットされた帽子。©archivespierrecardin
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8チュニックのアンサンブル
1971年、ジャージーのチュニックとサークル付きパンツのアンサンブル。©archivespierrecardin
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9 フリンジスカート
1968年、ボディスーツの上にウールのフリンジスカート、白いビニールに透明のプラスチックのボールをあしらった振り子のようなネックレス。©archivespierrecardin
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10 ノースリーブコート
1992年、リバーシブルウールの袖なしコート。©archivespierrecardin
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11 チュニックのアンサンブル
1971年、サークル付きパンツとジャージーのチュニックのアンサンブル。©archivespierrecardin
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12 丸窓メガネ
1970年秋冬、飛行機の丸窓風のメガネとビニールのネックレス。©archivespierrecardin
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13 ラ・カルディーヌ
1968年の「カルディーヌ」ドレス。©archivespierrecardin
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時代に先駆けた、多芸多才
ピエール・カルダンといえば、かの有名なバブルドレス、コスモコール・ルック、幾何学的なフォルム、大胆なカッティングと色使い、巨大な衿やボタン。ビニール素材をはめ込んだり、型を使って自動的にドレスを製造するシステム「カルディーヌ」といった実験的な工程などが知られている。また、60年代のテレビドラマ「おしゃれ(秘)探偵」のカルト的な衣装や、ビートルズが着た「シリンダー・ジャケット」も彼の仕事だ。
未来派モードとコスモスタイルを生み出したクリエイターであると同時に、彼はメンズモードを改革した人物として、また、プレタポルテのパイオニアとして(1959年に初めてプランタン百貨店でコレクションを行なったデザイナーたちの一人である)、さらには、中国マーケットを開拓した先駆者としても記憶されるだろう。そして、前衛的なデザイナーの顔の後ろには、時代に先駆けた多芸多才の顔がある。カミソリから家具まで、ボールペンからトイレットペーパーに至るまで、数え切れないほどのオブジェにそのロゴマークをつけることに成功した人物でもある。
800ものライセンスを持つビジネスマンであり、明晰なメセナであり、プロジェクトに目がなかった。1970年には複合文化施設エスパス・ピエール・カルダンをオープンし、75年にはパリにインテリアショップを、77年にはレストラン「マキシム」のロゴを掲げたブティックをオープン。81年にはマキシムのオーナーとなった。92年、クチュリエとして初めて、芸術アカデミーのメンバーに選ばれる。2016年、クリエイション70周年を迎えた際には、フランス学士院で最後のショーを行なった。
アカデミー会員の正装に身を包んだ意気軒昂なピエール・カルダンは、アカデミーの衣装のモチーフのドレスとパンツスタイルのモデル二人を引き連れ、集まった人々に挨拶。「時代は変わるが、女性は男性の衣装を着てもフェミニンでなくてはいけない」と宣言した。
彼はいつも未来を見ていたが、時代を反映することを何より大事にしていた。偉大なクチュリエ、ピエール・カルダンは、モード史において、唯一無二の存在であり続けるだろう。
texte:Marion Dupuis(madame.lefigaro.fr)