追悼:アルベール・エルバス アルベール・エルバス、「完璧ほど憂鬱なものはない」。
Fashion 2021.04.26
2015年に突然ランバンを後にして以来、モード界と距離を置いていたスタークリエイター。その後トッズのためのバッグとローファーのカプセルコレクションを発表し、極秘のなかで、AZ FACTORYのプロジェクトを進めていた。アルベール・エルバスが、4月24日土曜日に亡くなった。トッズのカプセルコレクションの機会に、マダム・フィガロに語った、2019年7月12日のインタビューを、再びお届けする。
2019年7月2日、フランス・パリで開催されたイベントに出席したアルベール・エルバス。photo : Anthony Ghnassia / WireImage / Getty Images
賞賛され、そして長い間不在だったクリエイター。アルベール・エルバスは、いたずら小僧のような表情と蝶ネクタイ、大きな黒縁メガネで知られる、モード界のパーソナリティだ。
ピエール・ベルジェに請われて、イヴ・サンローラン亡き後のサンローランを手がけた最初の人物。そして、2000年代初めから15年近くもの間、ジャンヌ・ランバンが創設したクチュールメゾンを率いて見事に復活させた。
グラムールでセンシティブなスタイル、崇高なドレス、人を惹きつけてやまない彼自身のパーソナリティで、ランバンという眠れるメゾンを世界最高の人気ブランドのひとつにしたのだ。メゾンのオーナーの台湾人女性実業家シャオラン・ワンとの深い意見の食い違いによる、2015年10月の衝撃の退任までは。
この出来事は、業界に大きなショックを与えた。「ランバンのアルベール」と彼自身が自己紹介していたように、彼の名前は1世紀の歴史を持つこのメゾンと切り離せない関係になっていたからだ。まるで伝説のように。契約終了前に追い出された形になったデザイナーは、その後、姿を消した。
2018年、1000万ユーロの賠償金が支払われた。このころ、58歳になったイスラエル系アメリカ人のエルバスは、静かな暮らしを送っていた。2度に及ぶ世界一周旅行で、自分のやりたいことを考え直した彼が、トッズでカムバック。トッズ・ファクトリーから、彼のイメージに合う、カラフルで陽気なカプセルコレクションを発表した。モードを恋しがり、モードも彼を恋しがっていた。哲学者、アルベール・エルバスにインタビュー。
【関連記事】アルベール・エルバスのランバン最後のコレクション。
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——トッズのコレクションについて、まず教えてください。
友人である、イタリアン・ヴォーグとアメリカン・ヴォーグの編集長、フランカ・ソッツァーニとアナ・ウィンターの紹介で、ブランドの社長、ディエゴ・デラ・ヴァレに会いました。会ってすぐに好きになりました。彼は、僕と同じように、モードへの情熱を持ち、生きることを愛する人。
最初はコラボレーションの話ではありませんでしたが、ある日、イタリアの工場見学に招待されたんです。これがとても魅力的でした。香り、素材...世界はいま、すっかりバーチャルになってしまったが、僕には具体的な何かが必要でした。自分にできるかどうかわからないうちに、やると返事をしてしまっていた。靴デザイナーでもないのに!
トッズは、あの有名なラバーペプルのついた、ゴンミーニというドライビングシューズで有名。でも僕は免許さえ持っていない!つまり、とんでもないパラドックスだったわけです。でもパラドックスはとても面白いと思う。完璧ほど憂鬱なものはありません!! なぜなら人生は、不完全なものが生み出す電流のようなものなのですから。
——完全に自由でしたか?
完全に。最初は、また一つイット・シューズを作れと言われるかと恐れていたのですが、ディエゴはスニーカーを作ってくれという。でも、まあ、スニーカーといえば、金のなる木のようなものでしょう。なので冗談でこう言ったんです。「ディエゴ、ナポリにまだもう一つピッツェリアが必要だと思うのかい? 何か他のことをしようよ!」と。そこで、スニーカーの底とトッズのモカシンをミックスすることを提案した。モードは身につけられなくては! 身につけられないものはモードじゃない。
——モード界があなたを恋しがっていた間、どこにいたのですか?
ランバンで本当に何があったかを言うつもりはありません。僕はエレガントな男ですからね。でもこのエピソードのあとモードをやる気がなくなった。モードが大嫌いになったくらい! トラウマになりました。他のことがしたかった...もともと僕の夢は医者になることでした...でも僕にはモードしかできない。だから、世界一周旅行を2回して、一休みして、「なぜ」だか理解しようと思いました。ちょっと脇からモードを見ることにしたのです。
若い世代を見ようと。フィレンツェのポリモーダ、ローマのコスチューム&モード・アカデミー、テルアヴィヴのシェンカー・カレッジ、アントワープの王立アカデミーなど、モード学校を巡る招待を受けました。審査員をやらなくてはいけなかったけれど、審査するのは好きじゃない。審査する自分は何者? 審査されることが嫌いなのに!
僕にとって、ジャッジがいるということは、罪があるということ! だから、学生たちに、デザイナー対デザイナーとして別の見方を見せる、指導者としての役割を引き受けました。彼ら未来のクリエイターたちは、マダム・グレやマダム・ヴィオネと同じくらいいい仕事をしますよ! 唯一の違いは、マダム・グレは生涯のキャリアを通してただひとつのテクニックを追求したけれど、いまの時代、そんな贅沢は許されないということだけ。たった3日でプレコレクションを考えなくてはいけない時代には、天才だろうが、クリストバル・バレンシアガだろうが、80ルックも作るなんて難しい!
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——いまのモードをどんな風に見ていますか? クリエイターというよりキュレーターだ、という人もいますが?
僕たちの仕事は随分変わりました。クチュリエからデザイナーになり、次にクリエティブディレクターからイメージクリエイターになった。僕自身は、心の底からデザイナーです。でも僕たちはイメージとマーケティングの世界に生きていて、それを無視することはできない。
いまモードは転換期にいると思います。でも僕は楽天的ですよ。先月、グラン・パレで行われたカール・ラガーフェルドへのオマージュに参加して、大きな印象を与えてくれた彼の言葉を思い出しました。「世界は絶え間ない発展だ。変化を批判するようになったら、君はドン・キホーテだ」と。僕は、ドン・キホーテではないからね!
——モードのデジタル化についてどう思いますか?
未来です! モードはスタートアップの世界を見習って、100年前に創立されたメゾンをお手本にするのをやめるべきだと思います。1950年代からやってきたミューズは必要ない。
僕のミューズは人生。いまはスマートフォン、スマートカーの時代、僕は「スマートファッション」の時代が来ていると思う。モードは昨日のことを語るのでなく、今日のことを語らなくては。
そして今日、デザインはパロ・アルトのエンジニアたちの頭脳から生まれている。ムッシュー・ベルジェが言っていたように、「いいビジネスマンはアーティストのように考える。そしていいアーティストはいつも、いいビジネスマンだ」。いま、まだ内緒ですが、新しいプロジェクトに取り組んでいます。まだ言えない、いろんなことを進めています。質問しても無駄、絶対に言いませんから!
——なんでもインスタグラム、という傾向については?
インスタグラムは鏡の終焉です。僕は大好き、特にセルフィが好きです。なぜなら、自分のイメージがコントロールできるから。でも見せるより、覗き見するほうが好きですね...
すぐに中毒になるタイプだとわかっているから、あまり投稿はしません。アカウントを作るまでには時間がかかりました。ケヴィン・シストロム(SNSの創始者)に会って、まだインスタグラムのアカウントを持っていないんだと白状した時、彼のチームは衝撃を受けていました。僕は、友人たちがあまりフォトジェニックじゃない、レストランでは写真を撮るより食べる方が好きだ、と説明しました...
でもランバンの冒険が終わってしまった時、インスタグラムを通してたくさんのサポートや、愛情のメッセージをもらって、とても嬉しかった...このネットワークが手を差し伸べる場所でもあるのだと気づきました。
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——ロゴマークだらけのモードについては?
1990年代に、アメリカのクリエイター、ジェフリー・ビーンの下で働いていたとき、彼がこんなアドバイスをくれました。「モードには二つのオプションがある。フリルをつけるか、ロゴをつけるかだ」と。ロゴは人に、強い帰属意識を与える。変化の激しい世界で迷子になった時、それは助けになります。トッズではロゴをつけたけれど、控えめ!
いま、モードがこだわっているもう一つのことは、ミレニアルズです。僕は大好き、彼らはとてもクリエイティブですから。でも疑問があります。ミレニアルズのママたちの面倒は誰が見る?ということ。全員がミレニアルなわけじゃないのですから!
——いま、あなたを駆り立てるものは何ですか?
重要なのは、自由です。僕はずっと愛を信じてきました。前の仕事は愛だけでした。ランバンでは、愛のメゾンを作ったのです...でもいま、愛しか信じないとはいいません。愛よりも敬愛を信じています。
texte : Séverine Pierron (madame.lefigaro.fr)