シャネルのハイジュエリー、伝説の始まりは1932年。

Jewelry 2022.08.03

パリでシャネルの新しいハイジュエリーコレクションが発表された。その名は「コレクション 1932」。マドモアゼル シャネルが1932年にフォーブル・サントノーレ通り29番地の邸宅で発表した「Bijoux de Diamants(ダイヤモンド ジュエリー)」のモダニティにインスピレーションを得て生まれた新しいストーリーだ。ファイン ジュエリー クリエイション スタジオ ディレクター、パトリス・ルゲローは「オリジナルのエッセンスに立ち返り、コメット、月、太陽という3つのシンボルをとりまくメッセージを調和させたいと考えました。あらゆる天体のモチーフは、自らの光で輝いています」と新コレクションについて語っている。

1932年、ガブリエル・シャネルによる生涯唯一のジュエリーコレクション「Bijoux de Diamants(ダイヤモンド ジュエリー)」

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グラン・パレ・エフェメラルの会場入り口。左:1932年のダイヤモンド ジュエリー展の招待状を再現。中流階級私設支援団体と、1784年にマリー・アントワネットの庇護の下設立された パリ母子保護慈善協会に入場料の売り上げが寄付されるというチャリティ・イベントだった。右:パリの街中でおなじみのモリスの広告塔を思わせる円柱に、シャネル宅でのジュエリー展を紹介するメディアの記事をパッチワーク。photos:Mariko Omura
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1932年に開催されたチャリティ・イベントを再現。

この「コレクション1932」が発表された会場のグラン・パレ・エフェメラルでは、まず最初に1932年に時代を遡った展示が用意されていた。彼女の自宅内での「ダイヤモンド ジュエリー」展の雰囲気の再現である。これは入場料が2つの慈善団体に寄付されるというもので、ジュエリーだけでなく素晴らしい庭を備えた彼女の家に好奇心をそそられて入場券を購入した人も少なくなかったらしい。もっとも、このイベントの詳細については何も記録が残されていず。何名が来場したのか、いったい何点のジュエリーが売れたのか、誰が購入したのか不明なことが多いそうだ。

彼女がダイヤモンド ジュエリーをデザインすることになったきっかけは、ジュエラーたちにダイヤモンドを販売するロンドンのダイヤモンド商業組合からの依頼である。1929年に起きた世界大恐慌の後、誰も高級な宝飾品を買う人がいなくなってしまった。組合は世間が話題にするようなイベントを行って、再びダイヤモンドが売れるようにする必要があったのだ。そのためには新しい提案をしなければ、と組合が白羽の矢をたてたのがガブリエル・ シャネルだった。ヴァンドーム広場ではジュエリーをクリエイトするのは男性だけという時代である。なぜダイヤモンドに新しい命を吹き込む使命が彼女に託されたのか。シャネル社のパトリモニー担当者はこう解説する。「クチュリエとして彼女は名を成していました。彼女が手がけたコスチュームジュエリーも評価されていました。また、当時ハリウッドの映画界からもフレンチ・エレガンスを導入したいということで、彼女に衣装製作の声がかかっています。そして彼女にはブリティッシュ・コネクションもありました。ロンドンにもクチュールメゾンを開き、ショーも開催し、1920年代の終わりにはウエストミンスター公爵との交際があったことから、ハイソサエティにも知られる存在だったのです」

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左:展示会場。彼女が当時暮らしていたのは、中庭の奥の建物の1階と2階。その建物は左右の階段を上がったところにエントランスがある、という作りで、それが会場に再現された。ジュエリーをワックスマネキンにつけるという当時としてはユニークな展示方法が話題を呼んだことを想起させる会場構成だ。右:照明を落とした会場内、ダイヤモンドのジュエリーと天体が輝く。photos:Mariko Omura

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星が輝くダイヤモンド ジュエリー。会場に展示されたのはすべてレプリカだ。中央の星のブローチのみシャネル社はオリジナルを所有している。Photo:Mariko Omura

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「私がダイヤモンドを選んだのは、
最小のボリュームで最大の価値が表現できるから。」

チャリティ・イベントの開催は1932年11月7日から19日。これに先立つ2日間は特別な人々を迎えて内覧会が行われた。なお開催にあたって製作されたロベール・ブレッソンが撮影したジュエリー5点の写真を含むプレスキット、そして開催前後に世界中のマスコミがとりあげた340の記事が残されている。これらの中でガブリエル・シャネルが「ダイヤモンド コレクション ジュエリー」について語った言葉から、当時の宝飾業界では考えられない発想で彼女がジュエリーのクリエイションに臨んだことが明らかだ。例えば、「私がダイヤモンドを選んだのは、最小のボリュームで最大の価値が表現できるから」「クラスプにはぞっとするわ。だから使わなかったの。そのうえ、私のジュエリーは形を変えるのよ」「私のジュエリーが、女性の思いやそのドレスと相容れなくなることは絶対にありません。私がデザインしたジュエリーが形を変えられるのは、ドレスも変化するから」「私はダイヤモンドの輝きを最も引き立てるモチーフをみつけたの。星、クロス、グラデーションのフリンジ、太陽を浴びたように輝く大きなカボションのように」「私の星たち! これ以上に永遠でモダン、シックな形はない」。

女性が自由に体を動かせ、女性自身を引き立てるものであるべきというクリエイションの基本をジュエリーでも実践し、ヴィジョネアぶりを発揮したのである。ジャン・コクトーとクリスチャン・ベラールが会場構成に関ったジュエリーの展示法においても、彼女は来場者をアッと言わせた。彼女が化粧を施し、装ったワックス製のリアルな女性の胸像の首元や手元にジュエリーが置かれていたのだ。これは例えば星と羽という違うテーマのジュエリーをミックスしてつけたり、ネックレスをヘッドピースとして使ったり、またアフタヌーンドレスにつけて日中のジュエリーの楽しみなどといったスタイリング・アドバイスもあって、と因習的な宝飾界では思いもよらない提案をしたのである。発表された約50点のジュエリーはプラチナあるいはイエローゴールドにダイヤモンドを組み合わせていて、そのうちの 22点はコメット、月、太陽がモチーフで、17点はしなやかなリボン、踊るフリンジ、エアリーな羽根などを視覚的に再現したもので、8点のジュエリーはスパイラル、円、⻑方形、十字架といったシンプルな幾何学モチーフの魅力を追求したものだった。

開催前、ガブリエル・シャネルは「この危機を忘れてしまうには、美しく新しいもので人の目を楽しませるのが一番。 私の下で働く職人や女性たちは、それらを常に世に知らしめる手腕を持っているのだから」と「L’Intransigeant」紙のインタビューに答え、心意気のほどをうかがわせた。このイベントが大成功をおさめたことは、ダイヤモンドの翌年の売り上げの数字によって立証されている。

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マドモアゼルは鏡やシャンデリアなどを残し、家具を別のスペースに移して自宅でジュエリー展を開催した。グラン・パレ・エフェメラル内、コロマンデル屏風、ブロンズのオブジェなどを配して自宅内の雰囲気が再現された。photos:Mariko Omura

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ヴァンドーム広場の本店、地下で護られるブローチ「コメット」

グラン・パレ・エフェメラルに展示されたジュエリーは、すべてレプリカである。というのも1932年に展示販売された約50点のダイヤモンド・ジュエリーは買い手がわからず、中には解体されたもののあれば、時の流れとともに消失したものもあり……。

シャネル社が有するオリジナルは、買い戻すことができた星を象ったブローチ一点だけなのだ。そのときのままのブルーのケースに納められた稀少なジュエリーを護っているのは、改装後新たに扉を開いたファインジュエリー本店の地下一階にあるパトリモニー・フロアーだ。真っ白い金庫のような作りのこのスペースは、特別なインスタレーションを行なってエクスクルーシブなクライアントやプレスなどを迎え入れる場所として考えられたそうだ。ここでは1932年の「Bijoux de Diamants(ダイヤモンド ジュエリー)」のプレスキット、新聞の記事などの資料も保存。また、マドモアゼルが展示に際してレンタルしたのはイマンス社のワックス・マネキンで、それとまったく同じではないにしてもこの会社の30年代のマネキンもこのスペースで1つ展示されている。

これが唯一のハイジェリー・コレクションとされるのは、その後彼女が作るハイジュエリーはコレクションではなく常に一点ものだったからだ。イエローゴールドのシトリンやルビー、サファイア、エメラルドなどを用いたジュエリーがいくつか引き出しの中に収められている。現在東京の三菱一号館美術館で開催中の「ガブリエル・シャネル」展にて展示されている何点かのジュエリーも、日頃はここの引き出しで保管されているものなのだ。

なお、このスペースのイントロダクションとして、入り口の壁でヴァネッサ・パラディやアリ・マクグロー、ギャスパー・ウリエルといったセレブリティの写真とマドモアゼルの写真を対話させている。彼女がしたように、ヴァネッサ・パラティがジュエリーを腰につけた写真、マリー=ロール・ドゥ・ノワイエが付け方を変えられる1932年の羽のブローチを肩にしなやかにつけている写真など、ジュエリーがマドモアゼルにとってアリュールを作り上げる大切なツールだったということを見せるという趣旨である。

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22年前にオークションでシャネル社が買い戻すことができたブローチComète(コメット)。3.1カラットのダイヤモンドを中央に、37ものブリリアントカットが囲む。「これ以上に永遠でモダン、シックな形はない」。ガブリエル・シャネルはこのように星をたたえた。

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本店の地下一階、1990年に復刻された1932年のダイヤモンド ジュエリーを展示。

ゴーモン・パテ社のアーカイブに残されていた1932年の映像により、90年を経たいまでも、私たちは招待客の一人としてマドモアゼルの自宅での展示を見ることができる。

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新作ハイジュエリー「コレクション 1932」

この1932年のコレクションを大いなるインスピレーション源とし、クリエイションスタジオ クリエイションスタジオ ディレクターのパトリス・ルゲローがその時の複数のテーマの中から彗星、月、太陽という天体のテーマに絞って、無駄をそぎ落としたラインと身体の自由を継承して「コレクション 1932」を創り上げた。天体について語る時、ガブリエル・シャネルの孤児院時代へと時間を遡る必要がある。彼女が過ごしたシトー会のオバジーヌ修道院の回廊には太陽、三日月、五芒星が描かれていた。シンボルが持つ魔法のような力を信じる彼女。これら天体モチーフが、毎日その上の往復する彼女に影響を与えずにはいられなかったことは想像に難くない。またこのコレクションではイエローダイヤモンドが多く使われている。それは彼女が黄色いシトリンの指輪を常に小指にはめていたことに由来する。黄色い石をお守りにしていた彼女へのオマージュだ。

合計77点からなる「コレクション 1932」の象徴となるのは、ネックレスのアリュール セレスト(Allure Céléste)だ。55.55カラットという見事な大きさのブルーサファイアにラウンドカットとペアシェイプカットのダイヤモンドが組み合われ、広大な空にまたたく星たちの光の旅へと誘われるようなジュエリーである。1つのジュエリーが複数に使えるという1932年に画期的だったマドモアゼルのアイデアは、このネックレスでも踏襲されている。光輪部分を取り外してブローチに、ダイヤモンドのセンターラインを外してショートネックレスに、外したセンターラインはブレスレットとして着用できて……と。

ガブリエル・シャネルのシンプルなオートクチュールがそれまでの90年前にガブリエル・ シャネルが女性たちのために創り上げた夢と美はパトリス・ルゲローによっていまに継承され、このようにきらきらと輝きを続けている。時代を超越したクリエイションを生みだしたシャネル。それまでの何もかもを古めかしいものとしてしまう彼女の仕事のモダーニティを評して、作家ポール・モランは彼女を「皆殺しの天使」と表現した。10年後、1932年の「ダイヤモンド ジュエリー」が100周年を祝うとき、この呼び名をまた思い出すことになりそうだ。

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彗星

「女性を輝く星座で包んでしまいたいの。あらゆる大きさの星をちりばめて」

ガブリエル・シャネルは星についてこう語った。「コレクション 1932」ではコメット(彗星)のジュエリーが34点と最も多い。ヴォリュート、オバジーヌなど11のテーマに分かれていて、ホワイトゴールドとダイヤモンドの組み合わせがメインである。それに加えて夜空の星の神秘を称えるのはオパール、ブルーダイヤモンド、ブルーサファイア、タンザナイトといったブルーの石だ。

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左:ネックレス「プリュイ ドゥ コメット」。ながれ星を飾ったネックレスはオリジナルのコメットのネックレスを思い出させる。右:リング「コメット コンステラシオン」。クッションカットのダイヤモンドは14.52ct。

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左:ブローチ「コメット ヴォリュート」のラウンドカットのダイヤモンドは2ct、ペアカットのダイヤモンドは1ct。星のみをブローチとして、その下のコメットの流れはブローチあるいはブレスレットとしても着用できる。photo:Mariko Omura  右:リング「コメット サフィール」。ラウンドカットのダイヤモンドと純度の高いサファイアが天の川を描く。中央のオーバルカットのサファイアは3.42ct

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左:リング「コメット オバジーヌ」。ピンクサファイアが光輪を描く星。その中央で輝くラウンドカットのダイヤモンドは1.59ct 右:ネックレス「コメット アルモニー」。黒いオニキスと白いダイヤモンドという組み合わせは、1932年のコレクションにあったアイデアから。photo:Mariko Omura

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左:リング「コメット アンフィニ」。流れ星が指にからみつくようなデザインで、星の中央はイエロー・ダイヤモンド5.61ct。photo:Mariko Omura 右:リング「コメット オパール」。パールと向かい合う、空の一片のようなカボションカットのオパールは13.67ct

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「私は頭上にあるものはすべてが好き。空も月も。そして私は星の力を信じている」。

1932年のコレクションでは月のモチーフは三日月が1点だったが、今回は18点で三日月だけでなく満月のジュエリーも。空に昇る月、太陽に照らされる月、星と遊ぶ月など、5テーマでグラフィカルに表現されている。

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左:ブローチ「リュンヌ エテルネル」。ホワイトゴールドにマーキスカットのダイヤモンド3.20ctとラウンドカットのダイヤモンド。photo:Mariko Omura  右:リング「リュンヌ ソレール」。WG、YG、ダイヤモンド、オレンジスピネルが月が昇ってから沈むまでの表情を描いている。

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左:イヤリング「リュンヌ タリスマン」。繊細でエレガントな月の上に幸運の星がきらめいている。ブリオレットカットのタンザナイトは11.81ctと11.37ct。右:ネックレス「リュンヌ エタンスラント」。類稀なる月の輝きを表現する合計60.23ctのダイヤモンド。星の中央のラウンドカットのダイヤモンド5.02ct。photo:Mariko Omura

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太陽

「私はミツバチ、それは私の星座である獅子と太陽の一部」

パトリス・ルゲローは太陽の巡回、灼熱の光線、空を照らす太陽、燦然と輝く太陽など7つのテーマによる24点のジュエリーで、彼女が情熱を注いだ天体の輝きを表現した。ダイヤモンドにイエローゴールドを用いたジュエリーが多く、ルビーやイエローダイヤモンドが輝きを添えている。とりわけ「ソレイユ 19ウット」というマドモアゼルの誕生日8月19日を名前につけたネックレスは22.10カラットのクッションカットのダイヤモンドの類稀なる輝きに目を奪われる。その中央モチーフを取り外してブローチとして、あるいは付属のリングの上につけて指輪としてという使い方ができる。

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左:ネックレス「ソレイユ 19ウット」。中央で鮮烈な輝きを放つクッションカットのイエローダイヤモンドは22.10ct 右:リング「ソレイユ ドレ」。イエローゴールドとダイヤモンドの輝きの融合が灼熱の太陽を描く。

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左:ブレスレット「ソレイユ コントラステ」。イエローゴールドの炎に映えるラウンドカットのダイヤモンドは1.50ct。太陽の巡回をダイナミックに表現している。右:イヤリング「ソレイユ マドモアゼル」。これと空を照らす太陽をイメージした「ソレイユ ガンセ」はホワイトゴールドがベースだ。

editing: Mariko Omura

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