江戸の食文化と料理、再発見。#07

秋のお月見と、月見団子。

特集

現代日本の食文化の基本が形作られたといわれるのが江戸時代。季節ごとの食材や行事と結びついた江戸の食文化や料理について知れば、食事の時間がもっと楽しく、幸せなひとときになる。連載「今宵もグルマンド」をはじめ、多くのグルメ記事を執筆するフードライターの森脇慶子が、奥深い江戸の食の世界をナビゲート。今回のテーマは「月見団子」。お月見に団子を飾るようになった時期や、江戸っ子が愛でた十三夜など、月見団子にまつわるあれこれを紹介します。


雅な貴族の風習が、江戸時代に庶民にも浸透。

秋の風物詩のひとつ“お月見”。俗に言う“十五夜“こと中秋の名月は、旧暦の8月15日の夜に出るお月様のこと。旧暦では7月を初秋、8月を仲秋、9月を晩秋と呼び、その仲秋の真ん中の15日が中秋。現在の暦では、毎年9月7日〜10月8日の間が中秋で、今年の十五夜は10月1日。ちなみに来年は9月21日で、このように日付は毎年変わるため、うっかりしていると見逃してしまいそうだ。

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月見団子を飾るようになったのは、江戸時代中期以降という。©GYRO PHOTOGRAPHY/a.collection/amanaimages

このお月見の風習が中国から日本に伝わったのは平安時代。貞観の頃というから、およそ1200年近くも前のこと。中国では唐の時代に始まったといわれている。当時は、もっぱら貴族社会のみで催された行事で、川に船を浮かべ、月を直接見上げるのではなく、川面や盃の酒に映る月を愛でて歌を詠んでいたそうだ。

何とも雅なこの風習が、庶民の楽しみとなるのが江戸時代。無事に収穫できたことを喜び、分かち合い、感謝する収穫祭や初穂祭と結びついて広まっていったようだ。それゆえか、江戸時代初期のお供え物は里芋が主。月見団子を飾るようになるのは中期以降で、その団子も大きさにして一寸五分というから、およそ5cm。テニスボール大もある大きな団子を、下段に9個、中段に4個、上段に2個とピラミッド状に積み上げていたようだ。さぞかし壮観だったことだろう。

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日本独自の風習、十三夜とは。

この十五夜と並んで江戸っ子が愛でていたのが十三夜。旧暦の9月13日〜14日のお月見で、今年は10月29日が十三夜。中国伝来の十五夜に対し、こちらは日本独自の風習。由来については諸説あるが、平安時代、醍醐天皇が月見の宴を催したのが始まりとの説が有力だ。この十五夜と十三夜のどちらか一方だけで済ませてしまうことを“片見月”と呼び、縁起が悪いといわれていたらしい。十三夜の月見団子は13個。豆や栗、枝豆などもお供えしたため、栗名月、豆名月ともいわれている。

和製ハロウィン、お月見泥棒。

ところで、“お月見泥棒”という言葉をご存じだろうか?
これは、江戸時代頃から続く風習で、十五夜にかぎり子どもたちがお月見のお供え物を盗んで食べてもよいというもの。子どもたちは、竿のような長〜い棒に針や針金を付けてお団子を失敬していたようだ。当時、子どもはお月様のお使いと考えられており、盗まれたお団子はお月様が食べたと思われて縁起がよく、盗まれると豊作になると信じられていた。

いまでも、三重県桑名市や愛知県日進市など一部の地域には残っていて、最近では、「お月見くださ〜い」、「お月見泥棒です」と言っては各家を回り、お供え物の団子ならぬお菓子をもらって歩くそうだから、まさに和製ハロウィン。西洋のハロウインが現在のように騒がれるずっと昔から根付いていた日本古来の風習を、あらためて振り返ってみるのも一興だろう。

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texte : KEIKO MORIWAKI

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