細川亜衣の、旅と料理

新連載「細川亜衣の、旅と料理」始まります。

細川亜衣の、旅と料理

『madameFIGARO japon』本誌とウェブサイトにて2019年1月より”旅と料理”をテーマに連載をさせていただくことになりました、料理家の細川亜衣です。どうぞよろしくお願いいたします。

 料理家という肩書きで仕事をしていることについて、私は正直なところ、ちょっとした歯がゆさを抱いています。そもそも、職業に肩書きなど必要ないのではないか?とも思っています。とは言え、肩書きを伝えることで、相手に自分のことを知ってもらいやすいことがあるのも事実です。

 「料理家ってなんだろう?」と、時々ふと考えます。”料理研究家”と呼ばれるほど、研究らしい研究はしていない。”料理人”と呼ばれるほど、一日中厨房に立ち続けているわけではないし、自慢できるような技術も経験もない。でも、多分、私の人生の大半、私の頭の中はいつも料理のことでいっぱいでした。これから先も、しばらくは料理が頭を離れることはなさそうです。

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台北の街を歩く。

 料理は、世界中のさまざまな場所で生きている。人が暮らしている場所には料理がある。人が暮らしている場所って?小さな単位で考えると、それは家です。人がいて、家があって、そこには台所と食卓がある。そこで日々繰り広げられてゆくのが、料理、そして食べるという行為です。それは世界中のどんな国においても同じだと思います。家がない人もいるし、料理と呼べるものを食べることが叶わない人も世界にはたくさんいる。だけれども、平和な世の中であれば、本来の人の暮らしには家があり、家では人を育ててくれる料理が、どこの国を見渡してもあるはずです。

 料理は、台所を預かる主婦にとっては時に面倒な日々の雑事の一つであり、それは、料理を生業としながら、妻であり、母でもある私にとっても変わりはありません。でも、自分が食べて本当においしいと思う料理、作りたいと思う料理は、他のどこでもない、”家”でしか生まれ得ないのです。ただ、それは、私自身の家に限ったことではありません。三食決して手を抜かずに私を育ててくれた母、訪ねて行くといつも大喜びで腕をふるってくれた祖母や叔母。毎日のように互いの家を行ったり来たりしながら料理を作り合った東京の友。いつも私を支え、私が疲れている時や病に倒れた時には私の家族まるごと受け入れて、大きな家族として普段のおかずで元気づけてくれる友。私ひとりだけのために、小さな台所で世界中の料理を作り、小さな食卓に並びきらないほどのごちそうを並べて目も心もいっぱいに楽しませてくれる友。イタリア、フランス、台湾、韓国……、海を越えて、両手を広げて迎えてくれる友。彼らの家は、私にとっては、どんな星つきのレストランにも負けない魅力があるのです。

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美しい食材の色に魅せられる。

 だから、少しややこしいですが、私は私自身を、料理と家(それは私の家でもあり、世界中の友の家でもあり、私が未だ訪れたことのない誰かの家でもある)を結ぶ存在として、「料理家」という肩書きを持ち続けていければ、と思っています。

私が料理家を志した理由。

 思い起こせば、私の料理好きは、実際に食べたり作ったりすることよりも、雑誌などで垣間見る、自分からは少し遠い世界への憧れから始まっています。真っ先に思い出すのは、私が幼稚園の頃、母が読んでいた「SAISON de non-no セゾンドノンノ」のページです。外国の料理やお菓子、パリの白い器、ニューイングランド地方の台所、パッチワークキルトのテーブルクロス……、何度も何度も同じページをめくりながら、決して手の届かない、でも、夢の中では自分のものになる世界に浸りました。
幼い時は、どちらかといえば食が細く、好き嫌いも少ない方ではなかったので、実際に自分で料理を始めたのは決して早くはありませんでした。でも、小学生時代は「セゾンドノンノ」をはじめとして、創刊間もない頃の「クロワッサン」や、「きょうの料理」のテキストなどを読み漁り、たまに母の手伝いをしながら雑誌で見た憧れのレシピに思いを馳せたりしていました。中学生になってからは、料理友達ができ、母親不在のどちらかの家にお泊まり会と称して泊り込み、二人でテーマを決めて夕食をコース仕立てで作ることにも挑みました。”きのこのラヴィオリ”、”魚のパイ包み焼き”など、今、思い起こしてみてもなかなかに難しい料理です。肝心の出来栄えと味の方はあまり覚えていませんが……。

 その後もずっと私の料理本、料理雑誌好きは変わらずに続き、母の料理雑誌を隅から隅まで読んでは作れもしない料理のレシピをたくさん切り抜いて、スクラップしていたこともありました。中学時代から、愛読書は中央公論社の「暮しの設計」シリーズ、中でも最愛の一冊は『檀太郎・晴子の檀流おかず190選』です。丸ごと1羽の鴨肉に、栗入りのご飯を詰めた”スタッフドカナール”は私が青春時代、友人たちのためにクリスマスに作った思い出の味です。ふだんのおかずから、特別な日の一皿まで、檀家独特の、ウィットに富んだ、旅や日々の賑やかな暮らしがありありと浮かんでくるようなレシピが大好きでした。料理本は眺めるだけがほとんどで、実際にレシピを試してみることは少ない私ですが、この本ばかりはもう表紙がボロボロになるほどに、母から受け継いだいまも大切に使っています。

 ですから、料理家を志すより前に、私が自然と志したのは料理雑誌や料理本の編集者でした。大学時代にある雑誌社のアルバイトを先輩から紹介してもらった経緯で、私の大学生活のうち、多くの時間は銀座の出版社の秘書室で、ひたすら雑誌の料理ページを読んで過ごしました。秘書室のアルバイトは、重役のみなさんのためにコーヒーをお出ししたり、昼時に食堂からお弁当を運んでくる程度で、あとは日がな一日デスクで勉強でも読書でも、昼寝以外であれば何をしていてもよかったのです。しかも、忘年会や送別会と称して、神田の老舗の鶏鍋屋さんや、銀座のホテルのビュッフェパーティーにアルバイトの私たちまでお招きいただくという贅沢にも恵まれました。また、帰り道は必ず銀座4丁目の交差点近くにある書店に立ち寄り、好きな料理家の本を手にとっては、はあ、とため息をつきながら、こんな本をいつか作れたらなあ、と妄想にふけります。そして、妄想を続けながら混雑した銀座線に乗って家路につき、温かな家で母が作ってくれるごちそうを喉の上くらいまでいっぱいになるまで食べました。母は料理上手で、毎日食卓に並びきらないほど数々の料理を作ってくれたのです。ですから、私にとって一番の喜びは、家でごはんを食べることでした。挙句の果てに、ぱんぱんになったお腹をさすりながら、料理雑誌を開いたり料理番組を見ては料理の話をして「お前、よくそんなに腹いっぱいなのに、また料理のことばっかり話せるなぁ!」と口の悪い兄に呆れられていたのでした。

 しかし、私は結局、自分が編集者としての能力には欠けていること、また、私は料理の記事を書きたいのではなくて、自分自身が料理をしたいのだということに気がつきました。気づいた以上はすぐに方向転換です。アルバイト代を貯めて払った高いマスコミゼミナールのマスコミ就職突破ゼミには1回行っただけで、私の居場所はここではなかったときっぱりと決別しました。就職活動はせず、大学の授業はそっちのけで、料理屋のアルバイトと外国語の勉強(高校生から大学三年生まではドイツ語、その後はイタリア語)に明け暮れました。しかも、ある時にご縁をいただき、私がずっと憧れ続けていた料理家・有元葉子さんの料理教室にも通うことができるようになったのです。そして、大学を出るやいなやイタリアに料理修業と称した放浪の旅に出た私は、半年後、有元さんとイタリアで再会し、何度となくお食事や旅に誘っていただき、ついにはアシスタントのお声がけまでいただいたのですから、夢というのは願えば叶うものです。

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台北の街で出合った食にまつわる光景。

イタリアでの日々が、私に教えてくれたこと。

 だいぶ自己紹介で前置きが長くなりましたが、旅も、料理も、私にとっての始まりはイタリアでした。ローマから電車で2時間、無人の駅前には人っ子一人いないような小さな村の、自給自足の家で私の長い旅は始まりました。家で食べる野菜や家畜は、自分たちで育てる。魚は川で釣る。育てた小麦でパンをこね、畑のぶどうの枝を集めて薪窯で焼く。日曜日はパスタをこね、乾かして、また別の日にも食べる。豆をさやから出し、広げて乾かす。ぶどうを摘み、ワインを作る。夏の完熟トマトを瓶詰めにして、そのトマトで毎日のように肉や豆を煮込み、汁はパスタにからめ、肉は主菜として食べる。いつも窓の外から埃っぽい畑の風が吹き込み、孫を叱りつけるおばあちゃんの怒声がこだまする、決して居心地のよい家ではありませんでした。でも、食べるということが、あれほど日々と繋がっていて、暮らす=食べるだったことは、後にも先にもありません。料理家と呼ばれる私が思いつきで考えるような料理や、料理人たちが、わざわざお金を払って食べに来てくれるお客様に創意工夫して出すような料理とは、全く別の次元のものでした。生きることは食べることであり、食べることは生きることである。料理の根っこにあるものを、教えてくれたのはあのイタリアでの日々にほかなりません。

 あれから、私はたくさんの旅を続けてきました。イタリアには数え切れないほど通いましたが、そのほとんどは誰かの家で食べさせてもらったり、自分で作ったりして過ごした料理の思い出ばかりです。フランスや台湾でも、自分の場所のように使わせてもらえる台所があり、また、そんな国はモロッコ、韓国など、旅に出るたびに、少しずつ増えていっています。

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台北の友人宅の台所に立つ。

 この連載「旅と料理」で最初に訪れた台北という街は、私にとって、最近は実家のある東京よりも、もしかしたら足を運んでいるかもしれない、行き慣れた場所になりました。きっかけは、中国茶の買い付けに台湾に通う友の誘いで出かけた旅でした。その後、台湾人の友ができ、彼らとはそれこそ自分の両親や兄弟よりも頻繁に、台湾でも日本でもよく顔を合わせています。でも、私は、台湾語が話せるわけでもありませんし、旅の間はお店などの選択もいつも同行の友か現地の友まかせです。行きたい食堂もいつも同じところばかり。目下気に入って通っているのは、朝、飛び切りの肉まんと菜っ葉だけが浮かんだ透き通った汁麺を出してくれる朝食屋と、台北の友曰く、いまはほとんどなくなってしまったという、”昔の台湾の家の味”を作り続けているお店です。そんなわけで、情報はほとんど増えませんから台湾通になるどころか、何度も通った道の名前すらほとんど覚えていません。ただ、台北のあちこちの市場を何度となく歩き、友の家の台所を借りて、いろいろな季節に、いろいろな料理をしているうちに、この街で料理をするための、独特の嗅覚のようなものが知らず知らず私の中で育っていったような気がします。

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食材の見学をしに、市場を歩く。

 料理をする前の日、まず、私はあてどもなく市場を練り歩きます。何を作ろうかということを、全く考えないといえば嘘になりますが、まずは、食材の見学から始めます。百戦錬磨の料理人であれば、真っ先に見たことのないような魚や肉のあらゆる部位、台湾ならではの珍味、希少な果実などに目をつけるに違いありません。一方の私はといえば、この市場の中で、今の季節、どの食材だったらこの私でもどうにかこうにかおいしく料理できるか?を考えます。
いろいろな国の台所で、その土地の食材を使って料理をしてきましたが、世界共通の食材といえど、そのものが持つ風味や、料理をした時の印象は、国によって驚くほど違うことがあります。たとえばイタリアで、それまでゆでてマヨネーズをつけて食べる野菜くらいにしか思っていなかったカリフラワーは、トスカーナの家で米とカリフラワーを一緒にゆでるだけの一皿を食べて、だしの出る野菜の筆頭として私の舌と記憶に刻まれました。しかし、台湾のカリフラワーからはいくらじっくり火を通しても思っていたような甘みも香りも出ません。でも、街の食堂などでさっと炒めて出してくれるカリフラワーはしっかりとその存在を主張するのです。食材と調味料、料理法にはその国ならではの相性がある。これは、特に台湾と中国で料理をして以来、私が食材を選ぶときに気をつけるようになったことです。あとは、その国の人がどんな料理を好んで食べてくれるのか?食べ手が台湾人であれば、スープのようなたっぷりとした汁物や煮込みを必ず作るようにしています。味つけもなるべく薄味に、素材そのものの味を生かすように。中国人であれば、食べ合わせをはじめとした、健康への配慮といったことにも気をつかわなくてはいけないと知りました。

 でも、せっかく旅先で、しかも外国で料理をするのですから、私も少しだけ、未知の食材に手を伸ばします。今回の旅であれば、珊瑚草です。迪化街(ディーホアジエ)を歩いていて、一見、白木耳(シロキクラゲ)かと見紛う白い乾物に出会いました。台湾は漢字表記なので、名前からなんとなく実体を想像できることも少なくありません。食材についての詳しい説明はここでは割愛しますが、実際に料理をしてみた時のその驚くべき変化といったら!料理は科学、というよりも化学なのかもしれないと思った瞬間でした。旅の料理だからこそ気づくことも、少なくないのです。

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未知の食材、珊瑚草。さて、どう料理しようか。

さて、「旅と料理」。私の料理を求める旅は、台湾に始まり、韓国、中国、アフリカを抜けてヨーロッパにまで及びます。料理を人生の大きな目的として目指したからこそ、続けてこられた旅。旅を続けてきたからこそ、出会うことのできた料理。そして、その旅や料理を結んでくれる人との出会い。いつも、私の料理を喜んで受け止めてくれ、時に、彼らの料理で私を心底幸せにしてくれる家族や友の存在。この先、旅先で素材と出会い、私の五感で感じ取ったものをぎゅっと詰め込んだ料理を、『madame FIGARO japon』の誌面で、また、このウェブサイトでご紹介できればうれしく思います。

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台北市内から車で一時間ほど離れたところにある山の食堂。好きな山草を選んで、好きなように調理してもらう。

改めて、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。 

 2019年1月16日  細川亜衣

photos :YAYOI ARIMOTO

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