発見する眼。
シャルロット・ペリアンと日本
デザイン・ジャーナル 2011.10.17
「日本の秋は甘美だ。」
「私は白い冬の東北地方が好きだ。寒さ除けの藁の帯に包まれてまっすぐに立つ木々。雪の厚い絨毯の下に呑みこまれ、木と藁で縁側を囲って閉じこもった家々......」
(『シャルロット・ペリアン自伝』みすず書房)
パリ、セーヴル街のアトリエで、彼女の役割は「住宅設備」を手がけること。「ル・コルビュジエは私が家具に生命をあたえるのを、いまかいまかと待っていた」と自伝に。
かくして20世紀デザインを代表する名作の数々が誕生していきます。ル・コルビュジエやペリアンらが「クッション・バスケット」と呼んだクロームメッキ・フレームにクッションをはめこんだソファ(「グラン・コンフォール」)。フレームにぴんと皮革を張ったチェア、シェーズ・ロング(寝椅子)......。
ル・コルビュジエのアトリエから独立した後、アトリエで同僚だった建築家、彼女が親しみを込めて「サカ」と呼んでいた坂倉準三らの推薦をうけ、日本に滞在していた時期があるのです。商工省の輸出工芸指導顧問として来日したのは1940年のこと。
今年春のミラノサローネの際、イタリアのカッシーナ社からの商品化が話題となった竹製シェーズ・ロングは、この日本滞在時にペリアンが考えたものです。
すでに1928年にスチール素材で実現させているシェーズ・ロングを、今度は竹で試みてみるという柔軟で革新的な発想もさることながら、彼女の自伝で驚かされたのは、竹を曲げる手法を「竹の砂糖ばさみを見て」発想したということ......!
滞在の成果は1941年、髙島屋における展示として紹介され、前述の竹製シェーズ・ロングもそこで披露されたものです。後にも彼女は夫のジャック・マルタンや娘のペルネットと再来日(1952年)、日本での経験をふまえた展示が再び髙島屋で、「ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン3人展」(1955年)として開かれています。
ふだん見すごされているものにも目を向け、新たな面を発見したり、生命を与える天才だったのだ、と知り、その瞳が日常的にとらえていたものがこれまで以上に気になりました。 どうしたら生涯その目を持ち続けられるのだろう......。
知るほどに興味深い人物、シャルロット・ペリアン。彼女の回顧展が今週末からはじまります。会場は、彼女と親しかった坂倉準三の設計、神奈川県立近代美術館 鎌倉。
ペリアンが再発見した日本の文化。伝統、受けつがれてきた手仕事を、次の時代に向けた生命あふれるものとしていくための試みの数々。時代が変わっても、私たちがじっくり考えなくてはならない課題があります。未来を考えるためにも大切な展覧会となるはず。
「開館60周年 シャルロット・ペリアンと日本」
10月22日〜2012年1月9日まで
神奈川県立近代美術館 鎌倉
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/index.html
「私は白い冬の東北地方が好きだ。寒さ除けの藁の帯に包まれてまっすぐに立つ木々。雪の厚い絨毯の下に呑みこまれ、木と藁で縁側を囲って閉じこもった家々......」
(『シャルロット・ペリアン自伝』みすず書房)
前回の文末でも少し触れたシャルロット・ペリアン(Charlotte Perriand)。1903年、パリ生まれ。1927年にル・コルビュジエのアトリエに入り、ル・コルビュジエや彼の従兄、ピエール・ジャンヌレらと制作活動を共にします。
パリ、セーヴル街のアトリエで、彼女の役割は「住宅設備」を手がけること。「ル・コルビュジエは私が家具に生命をあたえるのを、いまかいまかと待っていた」と自伝に。
かくして20世紀デザインを代表する名作の数々が誕生していきます。ル・コルビュジエやペリアンらが「クッション・バスケット」と呼んだクロームメッキ・フレームにクッションをはめこんだソファ(「グラン・コンフォール」)。フレームにぴんと皮革を張ったチェア、シェーズ・ロング(寝椅子)......。
こうしたペリアン、日本との深い関係がありました。
ル・コルビュジエのアトリエから独立した後、アトリエで同僚だった建築家、彼女が親しみを込めて「サカ」と呼んでいた坂倉準三らの推薦をうけ、日本に滞在していた時期があるのです。商工省の輸出工芸指導顧問として来日したのは1940年のこと。
今年春のミラノサローネの際、イタリアのカッシーナ社からの商品化が話題となった竹製シェーズ・ロングは、この日本滞在時にペリアンが考えたものです。
すでに1928年にスチール素材で実現させているシェーズ・ロングを、今度は竹で試みてみるという柔軟で革新的な発想もさることながら、彼女の自伝で驚かされたのは、竹を曲げる手法を「竹の砂糖ばさみを見て」発想したということ......!
1年に及ぶこの滞在中、彼女は他にも多くの発見をします。自伝にも記されていて、ドキドキさせられる内容なのですが、畳や障子、襖について。木、和紙、鋳物について。藁を目にし、「とても美しい」と自身のデザインでの製作を行っていたり。
滞在の成果は1941年、髙島屋における展示として紹介され、前述の竹製シェーズ・ロングもそこで披露されたものです。後にも彼女は夫のジャック・マルタンや娘のペルネットと再来日(1952年)、日本での経験をふまえた展示が再び髙島屋で、「ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン3人展」(1955年)として開かれています。
以前、ペルネット・ペリアン=バルサック、ジャック・バルサックの両氏から、ペリアンが石を収集していた話をうかがったことがあります。路上で出会った、いわゆるゴミのようなものをカメラで撮影していた話もうかがいました。
ふだん見すごされているものにも目を向け、新たな面を発見したり、生命を与える天才だったのだ、と知り、その瞳が日常的にとらえていたものがこれまで以上に気になりました。 どうしたら生涯その目を持ち続けられるのだろう......。
知るほどに興味深い人物、シャルロット・ペリアン。彼女の回顧展が今週末からはじまります。会場は、彼女と親しかった坂倉準三の設計、神奈川県立近代美術館 鎌倉。
ペリアンが再発見した日本の文化。伝統、受けつがれてきた手仕事を、次の時代に向けた生命あふれるものとしていくための試みの数々。時代が変わっても、私たちがじっくり考えなくてはならない課題があります。未来を考えるためにも大切な展覧会となるはず。
「開館60周年 シャルロット・ペリアンと日本」
10月22日〜2012年1月9日まで
神奈川県立近代美術館 鎌倉
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/index.html
Noriko Kawakami
ジャーナリスト
デザイン誌「AXIS」編集部を経て独立。デザイン、アートを中心に取材、執筆を行うほか、デザイン展覧会の企画、キュレーションも手がける。21_21 DESIGN SIGHTアソシエイトディレクターとして同館の展覧会企画も。
http://norikokawakami.jp
instagram: @noriko_kawakami