アムールな国のイマドキ恋愛&結婚事情。 セックスに何を期待する? 性的関係で本当に大切にしたいこと。
Lifestyle 2022.02.21
自由恋愛のイメージがあるフランス人だが、コロナ禍の影響やマッチングアプリ、SNSの進化で世代によって考え方が変わってきたり、新たな悩みに苛まれたり……。本国版Madame Figaro誌に掲載された、さまざまな恋愛&結婚事情をみてみよう。
20 ANS
FRAGMENTS
D’UN NOUVEAU
PARCOURS AMOUREUX
ハタチの恋愛事情、鍵は性的同意?
「かくかくしかじか」。フランスの若い世代は、性についての知識が豊富。そして何よりも性的同意に重きを置く。
ナントに住む20歳の大学生のレイラは思い悩んでいた。友人のアンジェラに、ポールと一晩を過ごしたことを話すべきかどうか。大学の同級生であるふたりは数カ月前に別れたばかり。友人の敵と関係を持つなんて、裏切りなのでは? 彼女は思い切って告白したが、アンジェラは顔色ひとつ変えずにこう言った。「それで? 同意の上だったの? 彼も? よかった? それなら何も問題ないじゃない!」
こんな反応が若者の間で増えている。2021年に20歳を迎えた若者にとって、セックスライフの始まりは性的同意が取りざたされるようになったちょうど2017年頃。「沈黙は承諾のしるし」という古い言い回しは#MeToo運動で一掃された。#MeToo運動が誕生したのは2007年だが、それから10年後にアメリカの女優たちが映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインから受けた強姦や性的暴行、性的ハラスメントを告発したことを機に運動が再燃した。フランスで起きた#BalanceTonPorc(豚野郎を告発せよ)もそうした動きのひとつだ。それ以後、同意問題は大きく取り上げられている。
しかし、同意とは正確には何を意味しているのだろうか? 何に同意するのか? こうした疑問が提起されている。まだ自分の身体や欲望を探っている最中の若者たちの間では特に……。
「セックスにかかわる問題についての話し合い不足が、セクシュアリティの充実にとっての大きな障害だということが、社会学分野での研究によって明らかになっています」と、イエール大学助教授で『La Conversa tion des Sexes(セックスを巡る会話)』(ÉditionsFlammarion刊)の著者でもある哲学者のマノン・ガルシアは強調する。「若者たちは、性的な営みやセックスに何を期待するかについて考えることを教わっていません。だから無防備な状態で自分自身の感情の複雑さや、体験から得る喜びや困難に直面しているのです」
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感情を掻き乱されるのは、一種の認知的不協和があるためかも。21年に20歳であるということは、 誘われてもいないのに女性の太腿やお尻に触れることは性的暴行であり、駐車場ですれ違った見知らぬ人より、仲間やパーティで知り合った友だちからレイプされるケースのほうが多いというニュースを見る機会が多い年代。また、インスタグラムで女性のマスターベーションについて知ったり、ネットフリックスのドラマでジェンダーアイデンティティや性的指向の多様性に触れる年代でもある。
要するに、いま20歳の彼らは彼らの親たちが同じ年齢だった頃と比べて、知識は豊富だ。しかし「レイプ文化」や「オーガズムの男女平等」などの概念を知ったからといって、長年の経験とセックスライフの代わりにはならない。たとえ現代でも、インターネットで学び、友人同士でカフェで話題にすることを、パートナーとの間でどう実践したらいいかは若い彼らはやはりわかっていない。同意とは、何かについて知ったうえで、それでも自分が望まないことを受け入れることもある。なぜなら愛しているから。なぜなら愛されたいから。あるいは、愛やセックス、男性や女性というものにまつわる、ある種のステレオタイプに異を唱えるのは簡単ではないから。
ポルノに要約される性愛の枠組みは、簡単には変化しない。男性性を権力と支配に結びつけ、女性性を必然的に服従するものと捉える考え方を色濃く反映したこの枠組みは、若者たちに影響を及ぼしている。「男性を信頼できるようになるには時間がかかりました」と19歳の大学生べランジェールは明かす。レンヌ在住の彼女は中学生の頃、初めて付き合った彼から性行為を迫られた。彼女は望んでいなかった。彼は無理やり彼女にフェラチオをさせようとした。「強姦されたと感じたことはないけど、仕方ないという気持ちだった」と彼女は語る。「それで女性としか付き合いたくないと思うようになりました。女性となら、キスをしても最後までいかなければと心配したことは一度もなかった」。何年もの間、ベランジェールは自分をレズビアンだと思っていた。フェミニズムに関するエッセイを読み、フェミニスト活動家のグループに参加して自信もついた。最近、彼女は慎重に距離を測りながらも、男性との付き合いを再開した。
「相手が独断的に振る舞ったり、話を遮ったり、議論をコントロールしようとしていると感じたら、その男性とはダメ。ベッドをともにするなら、独りよがりではなく私の喜びも考慮してほしい。少なくとも努力はしてほしい!でも挿入のことしか考えていない相手にどうすべきかなんて言えない。男性は相当なプレッシャーを受けていて、彼らに自分はダメな男なのかも、と 思わせたいわけではないので」
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男性たちも、おそらく自分自身の欲望がどういうものかきちんと把握していないし、理解しきれてもいないのだろう。
「とにかく挿入が必須と思っているため、男性にとってペニスと勃起能力にかかるプレッシャーは相当なもの」と言うのは、教育的ポッドキャスト配信プラットフォーム「Le Vestibule」の開設者で性科学者のクレール・アルキエ。それは女性にも言えることだ。「女性たちが昔より性に詳しくなっているので、 男性も女性側がいろいろなことを受け入れてくれるだろうとか、何でもできるに違いないという期待を持っています。20歳になったばかりの若い女性も私の診察室にやって来て、オーガズムを経験できないとか、性交渉で自分を解放できないと話しています。 彼女たちは知性面ではとても進んだ理論的な議論をするのですが、必ずしも感情面のキャパシティがそれに追いついているわけではないのです」
若い世代の大部分が立ち向かうべき試練はそこだ。つまり、自分が何をしたいかを思い切って言うこと。したいと思わなければいけないと悩んだり、相手が何を期待しているか想像するのではなく。
より自由な性や、より平等な快感を追求していくと、セックスがほかの議論のテーマと変わらないものになる。5年ほど前から、フェミニスト活動家や知識人の間から「性的な営みは政治だ」と主張する声が上がっている。性的な営みとは、職場や家庭と同じように人生の主要な舞台なのだ。「性的な主体として考えることなく、自分自身を主体として考えることはできません」と哲学者のマノン・ガルシアは強調する。
「性と主体性を分けることが、おそらくセックスと愛についての考え方を歪める最大の要因です」。自分の性を考え直すこと、それはタブーから解放された、より率直な関係を結ぶことでもある。セックスにおいても人生においても、同意は自分を守るための防御壁ではなく、第一に人間同士が紡ぐ絆なのだ。同意することは、相手を性的に欲することであり、共有したいことを相手に伝えること。「パートナー同士で話すこと、お互いに敬意と注意を払って相手の言葉に耳を傾けることが大切です」とガルシアは言う。要するに、恋人同士だろうと、友人同士だろうと、ベッドの中だろうと、カフェやディナーの席だろうと出来る限り自由に議論せよ、というわけだ。「性的関係」という表現を使う時、私たちは「関係」よりも「性的」という言葉に力点を置いていないだろうか? いまの若者たちが成長していく間に、その重心の位置が変わるかもしれない。
*「フィガロジャポン」2022年3月号より抜粋
text: Ophélie Ostermann (Madame Figaro) illustration: Fabienne Legrand (Madame Figaro)