死の間際の「走馬灯」は本当にあるの?
Lifestyle 2022.03.17
臨死体験がオカルトや非科学的な話でなくなったのはいつから? 走馬灯を見る人には特徴がある? 「人生が走馬灯のように見える」は、科学的にどう説明されるのか。
死の前後の30秒間、夢を見たり記憶を呼び起こすといった高度な認識作業を脳が行っている可能性がある。photo: ifc2-iStock
臨死体験(Near Death Experience)の報告などから、人は死の間際に走馬灯のようにさまざまな思い出が映像として見えると広く信じられています。
カナダ、中国、アメリカなどから成る研究チームは先月22日、偶然に記録できた死の前後30秒の脳波を解析したところ、実際に死の直前には短時間で多くの記憶が呼び起こされている可能性があると発表しました。「人生の走馬灯」は、どのように科学的に説明されているのかを解説します。
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臨死体験が「オカルト」「作り話」ではなくなるまで。
臨死とは、生死をさまよったり、いったん死んだと思われた人が再び生き返ったりすることです。これまでに行われた調査では、心停止から蘇生した人の約1割が、これまでの人生がフラッシュバックされた(走馬灯の体験)、ベッドに横たわる自分の姿を体外から見た(体外離脱)、光のトンネルや死後の世界を見たなどの経験を語っています。
臨死体験の研究は1892年、スイスの地質学者のアルベルト・ハイムが「登山時の事故で臨死体験をした」と発表したことにさかのぼります。20世紀初めにはアメリカの心霊研究家やイギリスの物理学者が研究しましたが、その後、1970年代までは目立った研究はありませんでした。
1975年になると、医師のエリザベス・キューブラー=ロスが『死ぬ瞬間』(邦訳・読売新聞社ほか)、医師で心理学者のレイモンド・ムーディが『かいま見た死後の世界』(邦訳・評論社)を出版したことで、臨死体験が再び注目されるようになりました。とくに『死ぬ瞬間』は、医師という専門家が約200人の臨死患者に聞き取りして統計的にアプローチしたもので、それ以降、医学専門誌などにも臨死体験に科学的なアプローチを試みた論文が掲載されるようになります。
2001年には、オランダの医師ヴァン・ロンメルによる344名の心停止患者を対象とした臨死体験の調査が、世界四大医学雑誌に数えられる「ランセット」に掲載されました。臨死体験は、もはやオカルトや非科学的な作り話ではなくなったのです。
日本で臨死体験の研究が脚光を浴びるようになったのは、昨年亡くなったジャーナリストの立花隆さんの功績が大きいでしょう。1991年のNHKスペシャル「立花隆リポート 臨死体験〜人は死ぬ時 何を見るのか〜」と1994年に出版された『臨死体験』(文藝春秋刊)で、臨死体験という訳語と最新の研究が一般にも知られるようになりました。
2000年代に入ると医学技術の発達により、心肺停止から蘇生する人の数はかつてよりもさらに増えました。
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英サウサンプトン大では2008年から、「The AWARE」と呼ばれる臨死体験の大規模な調査プロジェクトが開始されています。14年の中間報告では、2060名の心停止患者のうち330名が蘇生し、その中の140名(約40%)が心停止中に意識があったと記されています。
走馬灯体験をしやすい人の4つの特徴。
臨死体験は、モルヒネ様の作用を持つエンドルフィンが分泌されて起こる、脳の酸素濃度の低下や二酸化炭素濃度の上昇によって幻覚を見るなどと説明されます。
死の間際に走馬灯のように昔の記憶が見えることは海外でも広く認識されており、1928年にイギリスのサミュエル・アレクサンダー・キニア・ウィルソンが「パノラマ記憶」と名付けました。
走馬灯体験を200人以上から聞き取り調査したのは、アメリカの精神科医ラッセル・ノイス・ジュニアと臨床心理学者ロイ・クレッティです。二人は走馬灯体験をしやすい人の特徴を①自殺などの故意ではなく、突然、死の危険に直面する、②とくに溺死や自動車事故、転落などの死の危機に瀕する、③20歳以下、④危機的状況で自分はもう死ぬのだと確信する、とまとめました。
走馬灯体験が起こる原因は、人は死の危険に直面すると、助かりたい一心でなんとか助かる方法を脳から引き出そうとするために記憶が映像的に一気によみがえる、アドレナリンが分泌されて脳に変化をもたらして記憶をよみがえらせるなどと考えられています。この臨死体験の間は、次々に映像が切り替わり、自分は第三者的に映像を見つめます。思考速度も加速されて時間の長さが引き伸ばされたようになり、多幸感も伴うと言います。
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てんかん発作の脳波検査中、偶然記録される。
今回の成果は、バンクーバーを拠点にする研究チームが、2016年に世界で初めて人が死ぬ瞬間の脳の状態を詳細に記録できたことが発端です。
人が対象となる研究や臨床研究を行う場合は、対象となる人の尊厳や人権を尊重するために、研究実施施設に設置された倫理委員会によって倫理的側面や実施の妥当性が審議されます。もし、「瀕死の患者に測定器具をつけて、死の瞬間の脳波を詳細に測定したい」と研究申請したとしても、倫理委員会は通すことは難しいでしょう。
研究論文の責任筆者で、現在は米ルイビル大学に籍を置く神経内科医アジマル・ゼマール博士は、「もともとはてんかん発作のある87歳男性の脳波検査が目的だったが、検査中に心臓発作で突然死したため、予期せず人が死ぬときの脳の状態が記録された」と説明します。
偶然に記録された「脳が死を迎える15分間の活動記録」を分析したところ、死の前後の30秒間にガンマ波のパターンが検出されました。これは知覚や意識に関連付けられている脳波で、夢を見たり記憶を呼び起こしたりする時に出るとされており、脳が高度な認識作業を行っていることを示唆します。特筆すべきことは、ガンマ波のパターンが心停止後も続いていたことで、論文では「命が終わるのは心臓が止まった時か、脳が機能しなくなった時か」とも問いかけます。心停止によって脳への血流が途絶えても、脳はしばらく活動していることが示されたからです。
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もっとも、研究チームは、1つの症例のみでは走馬灯体験や脳の活動の有無は断言できないと慎重な姿勢を取っています。男性は大脳ニューロンの過剰な電気的興奮に由来するてんかん発作を患っており、脳に出血と腫れもあったため、一般的な状況とは言い難いからです。
さらに、側頭葉てんかんの場合、発作の前兆として、走馬灯体験と非常によく似た感覚──幻覚、自分を外部から見ている感じ、フラッシュバック、時間の歪みが現れる場合があることが知られています。
研究チームは論文発表のために似たような事例を探しましたが、見つかりませんでした。ただし動物では、2013年に健康なラットを使ったアメリカのグループによる実験で、心臓が止まってから30秒間、ガンマ波を観測した報告があります。
ゼマール博士は、「臨死体験には神秘的で精神的な要素があるが、こうした発見こそ科学者が追い求めているものだ」と語り、「この研究は、あなたの大切な人が目を瞑り、この世を去ろうとしていたとしても、その脳は人生で一番幸せな場面を振り返っているのかもしれないことも示唆しています」と添えました。走馬灯体験を確認する研究は始まったばかりですが、博士のこの言葉に気持ちが救われる人は多いでしょう。
茜 灯里
作家・科学ジャーナリスト。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専攻卒業。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。博士(理学)、獣医師。朝日新聞記者、国際馬術連盟登録獣医師などを経て、現在、立命館大学教員。サイエンス・ライティング講座などを受け持つ。文部科学省COI構造化チーム若手・共創支援グループリーダー。第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。デビュー作『馬疫』(光文社)を2021年2月に上梓。
text: Akari Akane