5つの国が育んだテロワールで体験する兵庫の魅力。
Lifestyle 2022.05.30
PROMOTION
ワインの味や性質を左右する、土壌や気候といった環境を意味する言葉として用いられるテロワール。いまではさまざまな食材の特徴を表現する際にも使われ、広義ではその土地に根付く伝統や風土として扱われる例も見られるようになった。今回は、「兵庫テロワール旅」と題して、摂津・播磨・但馬・丹波・淡路という5つの国が集まって誕生した兵庫の魅力を伝えたい。
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摂津|港と山が隣り合い、多彩な文化を全国に発信。
摂津は天武天皇の時代に生まれた畿内5カ国のひとつ。現在の大阪府北中部と兵庫県南東部にまたがり、外交や内政の重要拠点として栄えた。兵庫県側は神戸、芦屋、西宮、宝塚などを範囲とし、いわば兵庫県の中核エリアといえる。
1868年に開港した神戸港を擁する神戸にはいち早く西洋文化が上陸し、西洋料理や洋菓子、ファッション、映画、ジャズといったハイカラな文化が流入。モロゾフのチョコレートやフロインドリーブのドイツパンは、日本に居留した外国人によって本場の味が伝えられていった。いまでも元町・旧居留地や北野・異人館といったエリアでは異国情緒を色濃く残すほか、旧居留地に隣接する南京町はチャイナタウンとしての賑わいを見せる。
南京町
「履き倒れ」という言葉が生まれたのも、外国人向けに始まった製靴業が発展したためだと言われている。1949年に鬼塚喜八郎が神戸で創業した鬼塚商会(現アシックス)も、その流れを汲んでいると言えるだろう。
北野には世界各地の教会や寺院が点在しているのも知る人ぞ知る魅力となっている。日本最古のモスクである神戸ムスリムモスクのほか、 日本唯一のジャイナ教寺院であるバグワン・マハビールスワミ・ジェイン寺院、杉原千畝による「命のビザ」の舞台となった関西ユダヤ教会シナゴーグ、三国志の武将である関羽(関帝)を祀った関帝廟などがある。「神戸=西洋文化の街」とは違う異国情緒がここにはある。
瀬戸内海に面しているため平地の印象が強いが、急峻な山々が市街地まで迫り、自然が身近に感じられる点が同じ港町である横浜との大きな違いだろう。その中心となるのが六甲山系だ。表六甲ドライブウェイなどのドライブコースがいくつもあり、六甲山や摩耶山から見下ろす神戸の夜景はここでしか見られないもの。
摩耶山
六甲山は神戸に住む外国人によってリゾート地の先駆けとして開発された歴史があり、1903年には日本最古のゴルフクラブである神戸ゴルフ倶楽部が誕生。1929年に誕生し近代化産業遺産に認定されている旧六甲山ホテル(2015年営業終了)は、2019年にミケーレ・デ・ルッキの手によって蘇り、六甲山サイレンスリゾートとして新しい六甲山をイメージ付けた(2025年グランドオープン)。
その六甲山を越えたところに日本三古湯のひとつ、有馬温泉が湧き出る。一説では600万年以上の歴史があると言われ、日本書紀にも登場する有馬温泉は豊臣秀吉に愛されたことでも知られている。鉄分と塩分を多く含む褐色の金泉と、炭酸泉とラジウム泉の混合である無色透明の銀泉というふたつの湯が湧出。
そんな名湯も1990年代をピークに観光客数が落ち込んだ。しかし、1191年創業の老舗旅館、陶泉 御所坊の15代当主である金井啓修氏が中心となり、温泉街全体を活性化。廃業した旅館や空き店舗を再生し、パーク&ライドを導入するなど、さまざまな取り組みが功を奏し、有馬人気を復活させた。
神戸と大阪の間に位置する阪神エリアも摂津を語る上で欠かせない。両都市のベッドタウンや工業地帯として発展した一方で、自然に恵まれた山手に広がる芦屋・六麓荘や西宮・苦楽園は関西を代表する高級住宅街として知られている。ベイエリアには関西最大の規模を誇る新西宮ヨットハーバーや、本格的ゲーテッドタウンとして名高い芦屋ベルポートがあり、2018年には会員制リゾートの芦屋ベイコート倶楽部 ホテル&スパリゾートが誕生した。
ところで日本酒好きの間でも意外に認知されていないのが、都道府県別による日本酒の生産量ランキングである。1位兵庫県、2位京都府、3位新潟県という順位は久しく変わっていないどころか、兵庫県は京都府に対して2倍近い生産量を誇るほどのダントツぶりを見せている。その日本酒の大部分を生産しているのが灘五郷だ。
灘五郷とは、神戸から西宮の沿岸部に広がる西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷という5つの酒造地を指す。良質な酒造好適米である山田錦やミネラルが豊富な地下水に恵まれ、水運に利用できる港があったため、室町時代から日本酒の生産地として栄えた。菊正宗や白鶴、日本盛などの大手メーカーが多いが、地酒としてのこだわりも受け継がれている。
最後に紹介するのは、コアなファンを惹きつけてやまない宝塚歌劇団である。1914年に阪急阪神東宝グループの創業者である小林一三が創設。未婚の女性だけで構成され、日本で初めてレヴューと呼ばれる大衆演芸を上演した。「清く、正しく、美しく」をモットーとし、2年制の宝塚音楽学校の卒業生だけが、タカラジェンヌとして宝塚大劇場などの舞台を踏むことができる。
宝塚大劇場
宝塚歌劇団をつくった目的は箕面有馬電気軌道(現阪急宝塚線)の乗客誘致のためで、劇場や学校は現在も阪急宝塚駅から少し離れた武庫川左岸にある。そして、川の両岸には1884年に発見された宝塚温泉を引いているホテルが点在。さらに駅と劇場の間には1926年創業の宝塚ホテルがあり、2003年までは劇場の近くに遊園地の宝塚ファミリーランドが営業していた。
郊外でありながら有名な歌劇団があり、今も中心部には洗練された華やかな空気が流れる宝塚は、全国的に見ても稀有な街といえるだろう。
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播磨|世界文化遺産を擁し、さまざまな伝統をいまに伝える。
播州とも呼ばれ、河川の流域に広がる平野や山麓の丘陵地が多くを占めている播磨。神戸西部に位置する海水浴で有名な須磨や、明石海峡大橋の起点がある垂水なども播磨に含まれ、同じ神戸でもこのあたりの雰囲気はローカル色がやや強くなる。
神戸から西へ向かい隣町の明石に入ると、中心地には魚の棚と呼ばれる商店街があり、魚介や海産物を扱う商店が100店舗以上軒を連ねる。本州と淡路島の間には潮の流れが激しい明石海峡があり、身の引き締まったおいしい魚が水揚げされる。鯛、蛸、穴子が有名だが、播磨沿岸部の郷土料理としてイカナゴを甘辛く煮込んだくぎ煮が有名。魚の棚とその周辺にはいまや全国区になった明石焼きの名店も数多くあり、地元の人達からは玉子焼きと呼ばれて親しまれている。
魚の棚
明石焼き
新鮮な魚介とくれば、おいしい日本酒を合わせたいもの。酒造好適米として最も多くの日本酒に使われているのが山田錦であることはよく知られているが、日本一の酒米といわれるこの品種は1936年に播磨で開発された。東北から九州までの各地で栽培されており、現在でも兵庫県産がトップの生産量を誇る。中でも神戸の北西に位置する三木は全国生産量の1/4以上を占め、一部地区は最上級の特A地区に指定されている。
播磨の中心地は、言うまでもなく50万人以上の人口を抱える姫路だろう。国宝であり、1993年にユネスコの世界遺産にも登録された姫路城は、補修や修復を繰り返しながら往時の姿をいまに伝え播磨のシンボルとしてそびえ立つ。優美な姿が羽を広げた白鷺を彷彿とさせることから白鷺城とも言われ、2009年から2015年にかけての平成の大修理によって、透き通るような白さと美しさにさらに磨きがかかった。
姫路城
姫路の魅力は城だけではない。それは平安時代から続いているという皮革産業だ。日本に流通しているレザーの約7割は姫路およびその周辺で鞣されたもの。中でも馬のお尻の皮をなめしたコードバンは、堅牢で使い込むほどに輝きが増すことから皮のダイヤモンドといわれている。コードバンをつくることのできるタンナーは世界でも限られ、そのうちのひとつが、1951年に姫路で創業した馬革を専業とする新喜皮革である。
コードバンといえば、シカゴのホーウィンか姫路の新喜皮革かといわれるほど新喜皮革のコードバンは品質が高く、世界中にその名を知らしめた。2010年にはコードバンとホースハイドによる皮革製品を製造・販売する子会社を設立。自社ブランドのジ・ウォームスクラフツ マニュファクチャーは、国内外に多くのファンを持つほどに成長した。
播磨の地場産業でもうひとつ挙げたいのが播州織だ。先に染めた糸で柄を織る先染が特徴の綿織物で、シャツやブラウスなどの服地に使われる。美術家の横尾忠則氏を輩出した西脇は、もともと温暖な気候を生かした綿花栽培が盛んで、加古川や杉原川、野間川という大きな河川によって染色に必要な水が得られたため織物業が発展。しかし、1980年代をピークに、安価な海外製品の流入などによって生産量は次第に減少していった。
播州織工房館
衰退していく播州織に新しい命を吹き込んだのが、服づくりのために西脇に移住したデザイナーの玉木新雌である。古い織機を使って播州織をつくる職人と共同で生地の開発に取り組んでいたところ、偶然にも空気を含んだような柔らかな生地が誕生。この生地でショールをつくったところ、一点ずつ異なる柄や色合い、心地よい肌触りが女性の支持を集め、瞬く間に人気アイテムになった。
2016年には播州織の染工場だった建物をリノベーションし、ショップを併設したラボとファクトリーが完成。ショールをはじめとしたほとんどのアイテムを製造している。そして、2021年には首都圏初となる直営店が東京・町田にオープンした。
平野部が多い播磨は多彩な食文化も育んできた。揖保乃糸の商標で知られるそうめんは、良質の小麦、揖保川を中心とした播磨の清流、赤穂の塩を原料としてつくられている。その特徴は600年前から続く伝統的な手延べ製法で、丁寧につくられることによって揖保乃糸ブランドとしての品質が保証されている。
赤穂の塩
兵庫で人が住んでいる島といえば淡路島くらいしか思い浮かばないが、実は塩で有名な赤穂の南東には大小40余りの島々からなる家島諸島がある。このうち人が住んでいるのは家島、坊勢島、男鹿島、西島の4島。中心となる家島までは姫路港から高速船で約30分。瀬戸内海らしい風光明媚な景観や新鮮な魚介類が魅力で、マリンスポーツを楽しむこともできる。
家島諸島の歴史は古く、縄文時代から弥生時代の遺跡も数多く見られ、古事記に登場する国生みの島、オノコロ島が家島諸島を指すという説もある。また家島には菅原道真が大宰府に左遷される途中で参拝した家島神社があるなど、悠久の時を超えたロマンを感じられる点も魅力になっている。
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但馬|雄大な自然と豊かな山海の幸、名湯が誘う別天地。
兵庫最高峰の氷ノ山をはじめとする1000m級の山々が連なる山地が大部分を占め、日本海に面している但馬。山々の間にわずかな盆地が広がり、円山川や矢田川、岸田川といった豊かな河川が日本海に流れ込む。スキー場が多いのもこの地域の特徴で、兵庫5国の中で最も自然に恵まれているエリアといえる。
風光明媚な景観が拝める場所として、真っ先に名前が挙がるのは日本屈指の山城といわれている竹田城跡だろう。室町時代に古城山の山頂に築かれた城の遺構で、播磨国との国境を守る拠点として重要な役割を担っていた。毎年秋から冬にかけて雲海が発生する際には、雲海に包まれた神秘的な様子が雲の上に浮かんでいるように見えることから、天空の城と呼ばれている。
竹田城跡
実はこの竹田城跡、15年ほど前までは地元以外の人々にとっては無名ともいえる存在だった。転機になったのは、2006年に日本城郭協会によって制定された日本100名城。そのうちのひとつに選ばれ、さらにメディアで紹介されたことなどが重なり、全国的に注目を集める城跡となった。
一方で昔から多くの日本人に知られているのが、江戸時代からこの地で肥育されてきた但馬牛である。但馬牛(たじまうし)とは兵庫県産の生きている黒毛和種を指し、一定の条件をクリアしたものが但馬牛(たじまぎゅう)という名称の牛肉として市場に出回る。特別視されるのは、見事なサシ具合によるとろけるような味だけではなく、松坂牛や近江牛などの素牛だからである。
但馬牛
日本の黒毛和種の99.99%が、終戦直後に現在の香美町小代区で生まれた田尻号という名の一頭の但馬牛から受け継がれていったことが判明しており、いわば但馬牛は日本が世界に誇る黒毛和種の原点ともいえる存在だ。ちなみに、但馬牛と混同されがちな神戸牛または神戸ビーフという名称の牛肉は、但馬牛の中でもさらに厳しい条件を満たしたもの。但馬牛の中の最上級ブランドという位置付けになる。
但馬の食で外せないものが、冬の味覚の王様といわれるズワイガニ(松葉ガニ)。周知の通り、北陸から山陰にかけての日本海がズワイガニの聖地で、この数年における兵庫県の漁獲量は北海道に次ぐ2位をキープ。津居山、香住、柴山、浜坂といった漁港で多くのズワイガニが水揚げされている。そして、カニの漁期が終わると、今度はホタルイカが旬の時期を迎える。ホタルイカといえば富山県のイメージが強いが、実は兵庫県が全国1位の漁獲量を誇っていることは意外に知られていない。
このような新鮮な魚介で知られる港の近くに、兵庫県を代表する湯の郷として有馬温泉と双璧をなす城崎温泉がある。2020年に開湯1300年を迎えた山陰随一の名湯で、コウノトリが傷を癒していたことで発見されたという伝説が伝わる。両岸に植えられた柳の並木が風情を演出する大谿川沿いに温泉街が形成され、『城の崎にて』を著した志賀直哉をはじめとした多くの文人墨客にも愛されてきた。
城崎温泉
明治・大正までは温泉街の各所にある外湯を利用するスタイルだったが、昭和初期に初めて内湯が登場。これが温泉街の伝統を壊すとして紛争に発展し、戦後には各宿に内湯の設置が認められるようになった。しかし、その規模が制限されたため、大浴場を希望する客は外湯を使うことになり、現在でも7つある外湯めぐりが王道の楽しみ方になっている。温泉街は決して広くはなく、宿は小規模のものが多いため、外湯めぐりによってレトロな温泉情緒を満喫できることが、この温泉地の大きな魅力になっている。
この城崎温泉とは、違った風情を感じさせるのが湯村温泉だ。平安時代に開湯され、周囲が山に囲まれているのは城崎温泉と同様。しかし、城崎温泉が円山川河口近くの盆地に広がっているのに対して、湯村温泉は険しい山あいにあり秘境感が強い。比較的小さな温泉街だが、吉永小百合が主演したNHKのドラマ『夢千代日記』のロケ地になったことで全国的に有名になった。
湯村温泉
山陰らしい風情だけが特徴ではない。源泉は数メートルの深度から98℃の湯が沸き出る荒湯を含めて約60ヶ所もあり、各家庭に配湯されても余りある豊富な湯は中心部を流れる春来川に戻される。川沿いに設けられた足湯は天然のかけ流しで、冬になると立ち込める湯けむりによって温泉情緒が倍増。荒湯で野菜や卵を茹でるのは住民の日常となっており、関西の温泉としては珍しいこのパワフルさが湯村温泉の持ち味だろう。
さて但馬の中心地はどこかというと、コウノトリで知られる豊岡である。中心部を一級河川の円山川が流れ、豊岡盆地を中心に発展。かつては温泉のある城崎も日本最古の時計塔、辰鼓楼がある出石も別の町だったが、2005年に合併して兵庫県下で最も面積が大きい市となった。
辰鼓楼
その豊岡の産業として知られる鞄づくりに近年は注目が集まっている。その起源は奈良時代といわれ、円山川の湿地帯に自生していた杞柳で編み上げた籠が始まりとされている。江戸時代には柳行李の産地として名を馳せ、明治時代に取っ手や錠前を付けた柳行李が豊岡の鞄のルーツとなった。
戦後は塩化ビニールなどの新しい素材が登場し、豊岡は鞄の町としてさらに発展したが、OEMが多かったためブランド力は低下していく。しばらくは低迷期が続いたが、2005年に地域活性化のためのブランドとして豊岡鞄が商標登録。各社がオリジナルブランドを打ち出し、豊岡の鞄が再び認められるようになってきた。
中でも2015年に誕生したクリーザンは、良質なレザーやパーツを使って職人が丁寧に仕上げるハイクオリティな鞄づくりを身上としている。そのフラッグシップラインであるジェッターは、旅をテーマにイタリア産の真っ白なレザーを採用。白にこだわった洗練されたデザインが評価され、今では多くの店舗で扱われるようになった。
ところで安藤忠雄の建築物が最も多い都道府県は兵庫県であることをご存知だろうか。安藤建築といえばコンクリートだが、珍しい木造による建築物が但馬にある。それが香美町の山間部にある木の殿堂だ。「森と海と太陽」をテーマとした県立のミュージアムで、ロケットの噴射口を彷彿とさせる巨大な木造建造物が圧巻。直径46mの円筒形の内側には、くり抜かれたような吹き抜け空間があり、自然光が降り注ぐ底部の池の上に通路が通されている。
内部は巨大な集成材の柱や梁によって支えられ、天井高16mの空間に太くて長い柱がそびえ立つ姿が森の生命力を暗示。館内には世界の木造建築の模型などが展示され、アップダウンするスロープに沿って展示室を巡るようになっている。館内を見終わった後、建物を貫通する通路を突き進んでいくと展望台が現れる。そこで感じられるのは、季節によって移り変わる自然の営み。こんな安藤建築が人里離れた山奥にひっそりたたずんでいるのが実に興味深い。
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丹波|悠久の時を経た城下町と日本の原風景に出合う。
丹波は現在の京都府中西部と兵庫県中東部にまたがっていた国。面積の7割ほどを京都府側が占めていたため、京都の影響が強い地域でもある。摂津における兵庫県側と大阪府側の間には猪名川という一級河川が流れているため、文化や風土の境目がある程度判明していたが、丹波には明確な境界線がないことが大きな特徴と言えるだろう。
丹波高地と呼ばれる標高600~800mの山々が連なり、山あいに篠山盆地をはじめとした盆地が広がる。険しい山地が続く但馬に対して、広大な森の中に城下町や里山、田畑が点在する丹波は日本の原風景という言葉が違和感なくはまる。四季を通じて昼夜間の寒暖差が大きい気候が特徴で、丹波黒大豆や丹波大納言小豆、丹波栗といった丹波ブランドの特産品が育まれていった。
丹波黒大豆とは、丹波発祥の丹波黒と呼ばれる黒い大豆のこと。一般的な黒豆と比べて粒が球形で大きく、もちっとした食感が特徴。デリケートな品種のため、収穫までは主に手作業で行われる。さらに開花から成熟するまでの日数が一般的な黒豆よりも長いだけでなく、同じ作付面積なら約半分の量しか収穫できない。そのため、希少な高級品として珍重されている。
丹波大納言小豆も一般的な小豆と比べると大粒で、甘みが強く、風味が豊かな品種。生育期間が長く、栽培には手作業を必要とし、収穫量が少ないのも丹波黒大豆と同じである。全国の小豆の生産量に占める割合はわずか1%未満で、全国各地の最高級和菓子に使われている。
一方、丹波栗は品種ではなく丹波で採れる和栗の総称を指す。代表的な品種の銀寄は日本最大級といわれる大きさを誇り、ホクホクした食感と芳醇な甘みが味わえる。いずれの農作物も年間を通じて昼夜間の寒暖差が大きい気候によって風味豊かな味わいが生まれる。
そんな丹波における近年のトピックは、2006年に地元の地学愛好家によって篠山川河川敷で恐竜の肋骨化石が発見されたこと。この化石は植物食恐竜のティタノサウルス形類のものと判明し、翌年から本格的な発掘調査が開始され第6次調査まで行われた。その結果、歯や背骨、脳かんという頭の一部の化石などが発見。丹波竜のニックネームで呼ばれていた恐竜は、2014年に新属新種のタンバティタニス・アミキティアエとして認定された。
丹波竜に関する施設としては、化石の発見地が整備された丹波竜発見地展望広場や化石のクリーニング作業を見学できる丹波竜化石工房ちーたんの館、丹波竜の実物大模型が展示されている丹波竜の里公園、篠山層群から見つかった恐竜や哺乳類の化石を見学できる太古の生きもの館などがある。
恐竜の町として一躍有名になった丹波において、昔からの観光の王道といえば篠山城跡だろう。篠山城は大坂城の豊臣秀頼らを抑えるために、徳川家康の命によってわずか半年で築城された平山城。篠山盆地に広がるほぼ正方形の城址に堀や石垣、天守台が残り、馬出の遺構が国の史跡に指定されている。そして、2000年には二の丸の中心的建造物だった大書院が復元。8つの部屋を備えるなど規模が大きく、入母屋造りやこけら葺きといった古式の建築様式が見どころになっている。
篠山城跡
大書院
多くの人が篠山城跡を訪れるのは、周辺には入母屋造の武家屋敷や昔ながらの商家が点在し、風情のある城下町を形成しているからだ。特に城跡の東に延びる通りは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。建物の妻側に入口を設けた妻入と呼ばれる建築様式の商家が約600mにわたって軒を連ねる。間口が狭く、奥に長いうなぎの寝床のような建物の中には、虫籠窓や袖壁、うだつといったディテールが見られるものもあり、江戸情緒を存分に満喫することができる。
実はこの地域には、あまり語られることはない大きなアドバンテージがある。それは神戸、大阪、京都のどの街からも車で1~1時間半程度で来ることができるということ。自然環境に恵まれていながら関西の三大都市から近いという条件が重なり、日帰りで訪れる人が多く、コロナ禍によって移住する人も急増した。その流れの中で、最近のキーワードになっているのが古民家だ。
昔から古民家を活用した蕎麦屋などは点在していたが、この15年くらいの間の地方の魅力を見直す動きの中で、その流れが活性化。たとえば、篠山城跡から東へ15kmほど離れた福住地区はもともと宿場町だったところ。2012年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのきっかけに古民家のリノベーションが増え、カフェやパン屋、ゲストハウスなどが点在している。古い町並みなのに、建物の中は洗練された空間が広がるなど、非日常的な経験が多くのリピーターを生み出している。
古民家が活用されるようになった背景にはさまざまな要因があるが、一般社団法人ノオトの取り組みが地域に与えた影響は大きい。2009年に丹波篠山の過疎化が進んだ集落、丸山地区の空き家を宿泊施設として再生。古民家を拠点に、里山ならではの暮らしを体験できることが評判を呼び、継続できる事業として成功を収めた。現在、古民家を活用した宿泊施設をNIPPONIAブランドとして全国で展開。「丹波=古民家」というイメージを決定付けた立役者といえる。
丸山地区の古民家
こうした古民家や里山での暮らしの魅力にはまった人たちに注目されているのが丹波立杭焼だ。丹波篠山の今田地区で800年にわたって受け継がれている焼き物で、瀬戸焼、常滑焼、越前焼、信楽焼、備前焼と共に日本六古窯のひとつに数えられている。現在も登り窯を使い、人工的な釉薬を使わずに高温で焼く焼締めが特徴。同様の特徴を持つ信楽焼や備前焼と違うのは、おとなしい色目のものが多いこと。燃えた薪の灰が焼成中に降りかかり、土の中に含まれた鉄分と反応することで独特の色や模様を生み出す。
丹波立杭焼
日本六古窯の中ではどちらかというと地味な存在だが、素朴な風合いが魅力。全国の焼きものにひととおり触れたことのある人にこそおすすめしたい。関連施設としては産地の中心地に丹波伝統工芸公園 陶の郷があり、窯元によるさまざまな焼きものを展示販売している。
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淡路|国生み神話や伝統文化が息づく自然豊かな島。
かつて本州からは船でしか行くことができなかった淡路島。北部に津名丘陵が、南部に諭鶴羽山地があるほか、中部から南西部にかけては広大な洲本平野や三原平野が広がる。玉ネギやキャベツ、トマト、レタス、イチジク、ビワなどの野菜や果物の栽培も盛んで、海に囲まれているため鯛やアジ、穴子、フグをはじめとした魚介も豊富。ビーチにも恵まれ、サーフィン以外のマリンスポーツなら大抵楽しむことができる。
どこか特別な存在だった淡路島は、1998年に明石海峡大橋が完成したことで、気軽に訪れることのできる旅行先へ変貌を遂げた。そのため明石海峡公園、淡路夢舞台、あわじ花さじき、淡路カントリーガーデン、イングランドの丘、淡路ワールドパークONOKORO、鳴門のうずしお観潮船、うずの丘大鳴門橋記念館など、公園をはじめとした多数の観光スポットがそろっている。
淡路夢舞台
あわじ花さじき
しかし、この島の本当の魅力は日本最古の歴史書、古事記の冒頭を飾る「国生み神話」の舞台だったことだ。国が生まれたとき、イザナギとイザナミの二神が天の浮き橋に立ち、混沌とした海原を天の沼矛でかき回した。その矛を引き上げたときに、滴り落ちた潮の雫が固まってオノコロ島という島ができたという。この島に降りた二神は夫婦となり、日本列島の島々をつくっていく際に、最初に生まれた島が淡路島だったとされている。
ではオノコロ島とはどの島なのか。実は淡路島とその周辺にはオノコロ島と伝えられてきた島がいくつかある。北端の岩屋港内にある絵島と、南端にある土生港から船で約10分のところにある沼島である。(オノコロ島の所在については、その他に、南あわじ市榎列のおのころ島、または、淡路島全体がオノコロ島であるなど、いろいろな説があります。)絵島は、かつては淡路島と陸続きだったものが、波や風の浸食によって切り離された島。岩肌に松の緑が映える優美な姿を見た江戸の国学者、本居宣長がこの島をオノコロ島とした。
絵島
一方の沼島の南東には、高さ約30mの矛先のような形の上立神岩がそびえ、この岩こそが神話に登場する天の御柱ではないかといわれている。観光漁船で沼島を一周する沼島おのころクルーズでは、この上立神岩を間近で見ることができる。
史跡といえば、標高約133mの三熊山山頂にある洲本城跡についても触れておきたい。戦国時代に築城された城で、戦国時代から江戸時代にかけて淡路統治の拠点となった。現在の天守は1928年に建造された鉄筋コンクリートの模擬天守だが、西日本最大級といわれている総石垣造の曲輪や石垣、櫓跡などは残っている。本丸石垣からは眼下に市街地や大浜海水浴場を見下ろすことができ、淡路島ならではの景観を楽しむことができる。
洲本城跡
洲本の隣町である南あわじにあるのが淡路人形浄瑠璃資料館だ。淡路人形浄瑠璃の起源は、室町時代にえべっさんで知られる西宮神社に仕えていた人形遣いが淡路に来て、人形操りの技を伝えたのが始まりとされている。藩主や地域の有力者に保護されておおいに繁栄し、江戸時代の最盛期には40以上の人形座があった。いまも各地に残る伝統人形芝居の多くは、かつて全国を巡業していた淡路人形浄瑠璃の影響を受けているという。
この資料館は国の重要無形民俗文化財である淡路人形浄瑠璃発祥の地にあり、1970年頃まで活動していた市村六之丞座から譲り受けた人形や衣裳、道具などを展示している。現在でも活動しているのは、淡路島の伝統芸能を守るために1964年に誕生した淡路人形座のみ。現在は常設館で公演する一方、国内の出張はもちろんのこと海外公演も行っている。
さて、コロナ禍の2020年に大きな話題となったのが、人材派遣大手のパソナグループが主要な本社機能を東京から淡路島に移転したこと。実は、パソナグループはコロナ禍以前から淡路島の地方創生に関わっていた。きっかけになったのは、2008年に雇用創出や農業を観光産業に結び付けることで地域を活性化させる複合観光施設、のじまスコーラをオープンさせたことだった。その後も自然とマンガ・アニメなどをテーマにしたニジゲンノモリや、ハローキティのショーとヴィーガン料理が楽しめるハローキティショーボックスといった観光施設を続々とオープン。
さらに農家レストランや農園、自然循環型滞在施設などによって構成されるAwaji Nature Lab & Resort、地元の食材を使った極上のフランス料理と非日常の宿泊体験を提供するオーベルジュ フレンチの森などの農業や食に関する施設を手掛けていった。加えてこれまでは人が集まることがなかった北西部の西浦を中心に開発。パソナグループによる観光施設や飲食店などはすでに20以上もあり、淡路島の魅力を発信する大きな転機となった。
淡路島の食の話題を取り上げるなら、京都や大阪でよく食べられる鱧についても語ってみたい。鱧に関する淡路島の水揚げ量は国内トップクラス。主な漁場は沼島の近海で、はも延縄という漁法で一匹ずつ丁寧に釣り上げる。鳴門海峡の影響で身が引き締まり、エサとなる甲殻類や魚が豊富なため、肉厚でコクのある鱧を食べることができる。古くより滋養食として珍重され、皮に含まれるコンドロイチンは夏バテに効果がある。
鱧は梅雨の水を飲んで美味くなると言われるとおり、シーズンは6~8月。骨切りして湯引きしたものを梅肉やからし酢味噌で食べるほか、淡路島の夏の風物詩といわれるのが郷土料理の鱧すき。鱧と淡路島産の玉ネギをあっさりした割下で煮込んだ鍋料理で、鱧の出汁と玉ネギの甘みによる絶妙な旨味を堪能できる。
魚介のイメージが強い淡路島だが、黒毛和牛の繁殖農家と肥育農家も多い。一般的に肉牛を育てるには母牛に子牛を産ませ、その子牛を育てる繁殖農家と、市場で仕入れた仔牛を出荷するまで育てる肥育農家に分かれる。淡路島の子牛は、但馬牛として肥育されるうちの60~70%を占め、つまり淡路島は但馬牛の一大生産地でもある。淡路島の肥育農家で育てられる和牛のうち、厳格な規定をクリアした和牛は淡路ビーフの名称でよばれ、もちろん最高品質であることは間違いない。
同じようにナンバーワンの生産量で淡路島の存在感が高めているもの。それは全国7割ものシェアを誇る線香だ。淡路島と香りの関係は日本書紀にも登場。595年に香木が淡路島に漂着し、それを見つけた島民が焼いたところいい香りがしたので、天皇に献上したという内容が記されている。香りに関する記述としては、日本で最も古い内容だという。その伝承地とされる一宮には枯木神社があり、御神体として沈香木が祀られている。
実は日本書紀の内容と現在の線香づくりは繋がりがなく、淡路島の一宮で線香づくりが始まったのは江戸後期。冬は海が荒れて漁に出られない漁師たちが、線香の生産地である大阪の堺から職人を招いて、副業として線香をつくるようになったのが始まり。線香づくりは乾燥させる工程が重要で、播磨灘から吹いてくる西風が線香を乾かせるのに向いていたため、高品質な線香がつくられるようになった。
現在、線香を製造する会社は20数社。インテリアになるお香をはじめ、さまざまなフレグランス商品を手掛ける会社も増えてきた。海外へ出荷されるものもあり、新しい香りの文化がこの島から発信されている。
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