キリアン、物語をささやくラグジュアリー パルファム。
Paris 2018.09.25
2007年にパリに生まれるや、新しいパルファム ブランドのキリアンはすぐさま大きな話題となった。自分の名前をブランド名につけた彼。その苗字はヘネシー……といえば、ラグジュアリー界でもとびきりの響きを持っている。世界的に有名なコニャックのメゾンに生まれた御曹司の香水が話題にならないはずはない。しかしブランド誕生から11年たっても愛され続けられるのは、香りそのものに魅力があるから。日本でも10月10日から、日本橋三越本店でキリアンの19のパルファムが購入できるようになる。“アートとしてのパルファム”という考えで創造される香り。ひとつひとつに素敵なストーリーが込められている香りは、じっくりと時間をかけて選びたい。
貴公子的風貌と鋭い眼光の持ち主、キリアン・ヘネシー。
香水の販売はニューヨークのバーグドルフ・グッドマンからスタートした。パリでは2015年にカンボン通りにブティックをオープン。
まずは人気ナンバーワンの香りから。
日本ではまだなじみのないブランドである。アプローチしやすいよう、ベストセラーのパルファムを紹介することから始めよう。グローバル ジェネラル マネージャーのフロール・デ・ロベールによると、それは白いボトルに包まれた「グッド ガール ゴーン バッド」という香りだという。
「キリアンのブランドの販売を開始すると、どの国でもこれが必ずベストワンなのです。アメリカ、フランス、ロシア、中近東……それに韓国でも。この国の人の好みとしては強すぎる香りでは?と思っていたのですが、やっぱりベストワン! 香りの文化は国によってさまざまなのに、どこの国でもいちばん売れるのが『グッド ガール ゴーン バッド』なんですよ。おもしろいでしょ」
ということはひょっとすると日本でもベストセラーに? これは、いったいどんな香りなのだろう。香水というのは物語であると考えるキリアン。香りの前に、まず美しい物語を常に考える。教養あふれる彼のインスピレーション源は文学、音楽、絵画、オペラ……。『グッド ガール ゴーン バッド』は、アダムとイヴの原罪の物語だという。キリアンが説明を加える。
フルーティ フローラル ハーモニーの「グッド ガール ゴーン バッド」は世界のどこ国でもベストセラー。アダムとイヴの物語にふさわしいフルーツの香りはオスマンサス(金木犀)が包み込むアプリコットの香りから。個性的な香りにもかかわらず人気なのは、最高級の原料を使い、キリアンによるストーリーを表現する調合の強みだろう。50㎖ ¥36,720(10/10発売)
「この香りは、エデンの園からインスパイアされた『イン ザ ガーデン オブ グッド アンド イーブル』というコレクションの中のひとつです。神が創造したグッドガールが、誘惑に抗えずリンゴを食べてしまう……。『グッド ガール ゴーン バッド』というのは、イヴのメタファーなのです」
グッドとバッド。キリアンの香りの大きな特徴のひとつに、このデュアリティ(二重性)が挙げられる。明と暗、善と悪、美と危険、白と黒……こうした二重性を彼の香水のさまざまな面に見いだすことができると、フロールが続けた。
「ヘネシー家に生まれたキリアン。ヘリテージに敬意を払いつつも、自分自身の道を見つけ、新しいものに目を向けるという二重性が彼自身にもありますね。彼の香りはパーソナリティの多面性を表現します。両極面のうちのどちらか自分がなりたい方へと、後押しをしてくれるブランドといっていいでしょう。それが明るい面なのか、あるいはダークな面なのかはその人次第です。『グッド ガール ゴーン バッド』は、最初にオスマンサス(金木犀)やジャスミンといった軽い香りから始まり、中毒性の高いチュベローズが続いて、ディープに発展してゆきます。ライトからディープへ。ここにも二重性がありますね」
キリアンの香りはフェミニン寄り、マスキュリン寄りがあるものの、基本的にはすべてユニセックス。「グッド ガール ゴーン バッド」は白い花が多く使われていて、どちらかというとフェミニンなのだが、中東国では甘い香りに抵抗がない男性たちも愛用しているそうだ。ユニークな名を持ち、個性的な香りながら大勢の心を捉える驚きの香りは最高級の原料の数々、それを見事に調合したアルベルト・モリヤスのセンスが光る。「グッド ガール ゴーン バッド」は、時空を超えた香りのイットガールかも……。
人気ナンバー2はコレクション「ルーヴル ノワール」の「ストレート トゥ ヘヴン ホワイト クリスタル」。ラム、ドライフルーツ、パチョリが調香されたエキゾティックな媚薬。キリアンのコニャック貯蔵倉の思い出が込められ、ブランドのアイコニックな香りである。彼の多くの友人たちがつけているそうだが、女性からも愛されている。50㎖ ¥36,720(10/10発売)
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では、キリアン・ヘネシーについて。
総指揮者のキリアンとは、いったいどんな男性なのだろうか。
「こう見えても、僕はロマンティックなんですよ」と笑う彼。それを裏付ける、こんなエピソードがスタッフから披露された。家族も含め、キリアンが愛する女性たちはみなチュベローズの香りを好むそうだ。ある時出会った女性も、また、ピンとくるものを感じた彼。そして、その女性のために特別なチュベローズの香りを用意する機会が彼にある日訪れた。それは彼女と彼の結婚式……。
生まれたのは1972年。幼少期の思い出の中にしっかり染み付いた匂いがあるという。彼のファミリーがフランス南西部に所有するコニャックの貯蔵倉に眠る樽の木の香り、空間に漂っている樽から蒸発するアルコールの糖分の匂いである。熟成期間中、樽に詰められたコニャックは蒸発し、誰が飲んだわけでもなく量が減っていく。コニャック製造者たちはそれを“天使の分け前”と呼んでいて、キリアンはアルコールを天使と分かち合うというこの表現がとても気に入っている。
「その場を護るべき役割の天使が、アルコールをちょっと飲み過ぎてしまう、というイメージはとても愉快ですね」
クリスタルのサン・ルイによるコニャックを思わせるカラフェも。彼の生活ではリキュールやコニャックが身近な存在。香水のストーリーテリングにもお酒が役割を果たし、オフィスにはバーが設けられている。カクテルを楽しむように香りも、という意図で、モスクワのブティックの中にもバーが。これはいずれ他の店にも設置が予定されているそうだ。
パリ8区にあるキリアン・ヘネシーのオフィス。飾られたオブジェに彼の嗜好がうかがわれる。ここには飾られていないが、写真家はギイ・ブルダンが好みだという。
キリアン、香水の世界へ。
蒸留酒の生まれる環境で、自然に育まれた鋭い臭覚。文化と言語に興味を持つ彼はソルボンヌ大学で、香りの言語について学ぶことになる。音楽にはドレミがあり、絵画には色というように世界的な共通言語があるのに、香りにはそれがない。この点に興味を持ったのだ。「神や運命との共通言語としての香り」についての論文を書いた。その後、彼はジャック・キャヴァリエ、ティエリー・ワッサー、カリス・ベッカーといった著名な調香師たちと香料業界で仕事をすることになり、そのおかげで、彼は香水についての深い知識と技術を自分のものとしてゆく。
そうして10年が経つ頃、彼は香水の世界の現実に失望を覚え始める。どの香水ブランドも香りの中身ではなく、広告を始めとする香りの外側ばかりにお金をかけているということに……。そして、キリアンに決定的瞬間が訪れる。
「香水業界を去り、ほかの分野の仕事へと移ろうとしている時のことでした。バカラ美術館内のレストランでディナーがあり、美術館で開催されていた展覧会を覗いてみたのです。『シャリマー』『ディオリッシモ』『ルール ブルー』といったバカラ社が19世紀末から20世紀半ばまでに製造した香水ボトルの数々が展示されていました。そこにあったのはハイレベルなラグジュアリー! オブジェとしての美しさ! もしこのように高い水準のリュクスをいまの時代のデザイン、調香で提案するブランドがあったら、消費者は気持ちを惹きつけられるに違いない。この時にそう確信したのです」
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究極のラグジュアリー パルファムを。
2007年、彼はエレガンス漂う究極のラグジュアリー ブランドを設立した。彼にとって、真のラグジュアリーは永遠。ラグジュアリーとは捨て去られるものではなく、香りのボトルは一生大切にされるものでなくてはならない。こう考えるキリアンがフランスのガラスメーカーに作らせたのは、職人の手仕事が生きた細部にまでこだわりのある美しいボトル。当然ながら、ボトルは詰め替え可能だ。シャワージェルやボディローションなどキリアンのほかの製品についても、詰め替えが可能なのは同様である。
ミニ ウィスキーボトルに似たパルファムの50㎖入りボトル(中央)。どの香りにも同様に、サイドにアキレスの盾と誘惑の武器のレリーフの装飾。正面を飾るメタルプレートには香水とブランド名が刻まれ、1枚ずつ手作業でボトルに貼られている。ボトルは手の中に収まりのよいフォルムで、サイドのレリーフの感触は手にとても心地よい。
とても贅沢なボトル。しかし、それだけでは終わらない。さらに、それを収めるクラッチやコフレ ボックスがボトルにプラスされているのだ。というのも、これは目に見えない香りを可視化したいと願う彼流の技なのである。たとえばベストセラーの「グッド ガール ゴーン バッド」は、ゴールドの蛇が這う真っ白いクラッチ。クリムトの絵画『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像』にインスパイアされた香り「ウーマン イン ゴールド」を収めるのは、画家が用いたモチーフが彫り込まれたゴールドのコフレ ボックス。映画のプレミアや劇場のオープニングナイトなどで、こうしたクラッチを持ったセレブリティの写真がメディアに掲載されることによって、香りが目に見えるものになる、というわけだ。セレブリティの身近にいる彼だからこその発想!
「ウーマン イン ゴールド」のボトルとコフレ ボックス。これはクリムトにオマージュを捧げる複雑で眩しいほどの香り。ゴールドに香りがあるなら、どのような?とクリエイトされたパルファムだ。インスピレーション源となったのは、キリアンのお気に入りの絵画作品のひとつである。50㎖ ¥36,720(10/10発売)
オフィスに飾られた白と黒のクラッチはまるでアート作品のよう。コレクション「イン ザ ガーデン オブ グッド アンド イーブル」は4章からなる。「グッド ガール ゴーン バッド」「フォービドゥン ゲームズ」「プレイング ウィズ ザ デビル」は白いクラッチに納められ、4つめの「ヴレヴ クシュ アヴェク モワ」は黒いクラッチだ。
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映画監督が演者を選ぶように、調香師を選ぶ。
日本でこの秋に販売されるのは7つのコレクション。それぞれが複数の章に分かれていて、合計19のパルファムの物語が展開される。調香師は香りによって異なり、ブランド創立時は2名、そして現在は5名とキリアンは仕事をしているそうだ。
「僕が伝えたいエモーションによって、テーマによって誰と仕事するかを選んでいます。パフューマーは各自それぞれ独自の嗅覚スタイルを持っていますね。人によっては、よりダイレクトなスタイルの才があり、それはどちらかというとマスキュランな香り向きです。たとえば、『ストレート トゥ ヘヴン ホワイト クリスタル』や『ウォッカ オン ザ ロックス』のシドニー・ランセッサーですね。カリス・ベッカーのように、レースのようにディテール細やかな表現法をとるパフューマーもいます。彼女とは『ラヴ ドント ビー シャイ』や『リエゾン ダンジュルーズ ティピカル ミー』など、多くを一緒に創っています。官能的な香りには、アルベルト・モリヤス。「グッド ガール ゴーン バッド」「ヴレヴ クシュ アヴェク モワ」ですね。僕は映画監督が主演俳優を選ぶように、パフューマーを選んでいるのです。僕が求めるエモーションを伝えることのできる調香をするのは、誰だろうか、と」


コレクション「イン ザ ガーデン オブ グッド アンド イーブル」より「ヴレヴ クシュ アヴェク モワ」。フローラル ウッディのこの香りは、エデンの園の新章で夜の物語だ。50㎖ ¥36,720 キリアンの香りにはどれもトラベルスプレィセットも用意されているので、愛する香りと自由に旅に出られる。7.5㎖×4 ¥22,140(以上10/10発売)


コレクション「ルーヴル ノワール」より、グルマン フローラル ハーモニーの「ラブ ドント ビー シャイ」 50㎖ ¥36,720、7.5㎖×4 ¥22,140(10/10発売)
パルファムの名前は、時にはフランス語と英語がミックスされ、長く、そしてなかなかに挑発的である。キリアンの世界がこれらを通して見えてくるのでは? そう、彼にとって香りはセンシュアルなアクセサリーなのである。夜の物語の香りであるVoulez-vous coucher avec Moi(意味:私と寝てみたいですか)や、ローズとフルーツの秘密の情事とサブタイトルがついたLiaisons Dangereuses(意味:危険な関係)……これまで香水には考えられなかったようなネーミングである。さらに前者は蛇が這う黒いクラッチに納められ、後者はタッセルつきの鍵で締めるブラックボックス入りと、センシュアリティのゲームが続く。香りを身にまとう前からその物語に入り込めそう。これがキリアンのパルファムだ。
香水の境界線を押し広げたいキリアン。
ブランドの創立10周年を記念して、彼が行ったコラボレーションはランジェリーだった。
「ニューヨークのFleur de mal(フルール・ドゥ・マル/悪の華)という若いブランドとのコラボレーションです。下着には、香りのマイクロカプセルが編みこまれたレースが使われています。香水産業は19世紀からあまり進歩がなく、作っているのは相変わらずオード トワレ、オード パルファム、ボディ ジェル……。僕はその境界線を拡げてゆこうと考えています」
「ラブ ドント ビー シャイ」がレースに香るランジェリーは期間限定アイテム(日本未発売)だが、香りを身に纏う方法のひとつとして彼はセンティッド ジュエリーにも力を入れている。ネックレス、リング、ブレスレット、カフスボタン……。好みの香りのセラミック プレートを潜ませる仕組みで、 身体が動くたびに香りが漂う。香りの可視につながるアイデアであり、新しい香りの着け方である。ジュエリーのデザインは、アルベール・エルバス時代からランバンでデザインをしているエリー・トップとのコラボレーション。今後の発展が楽しみな分野だ。
エリー・トップとのコラボレーションによるセンティッド ジュエリー(日本未発売)。
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キリアン、日本を語る。
パリとニューヨークを頻繁に往復する暮らしをしているキリアン。日本には一度だけ行ったことがあるそうだが、14年も前のことだ。タクシーも庭園も何もかもが清潔で、匂いがあまりない国であると驚いた記憶があるという。日本人は清潔な香りが好き、とよく言われる。この秋の日本上陸にあたって、彼はこれについてどう思っているのだろう。彼の7つのコレクションの中に、東洋文化へのオマージュをこめた「アジアン テイルズ」があり、これは他の6つのコレクションとは趣を異にしている。清潔な香りという言葉に、彼はすぐにこのコレクションの名を挙げた。
「落ち着いた瞑想の時をイメージしてクリエイトしたものです。穏やかで、透明な香り。香りにも休息が必要ですからね。それで、落ち着いたパルファムを作りました」
では、キリアンに最後の質問。「グッド ガール ゴーン バッド」は日本でもベストセラーとなるだろうか。
「このパルファムでいちばん大切な花はオスマンサス(金木犀)。日本や中国で咲く花ですね。ほかにもさまざまな花が使われ、花々のミルフィーユとなっています。これらの花を包み込むのが、清潔感を感じさせる匂いとして知られるホワイトムスクです 。清潔感の殻に包まれた巨大な花束が、日本でどのように受け入れられるのかを知るのは楽しみです」
好みの花はカラー。彼の行くところ、どこにでもこの花が生けられている。
réalisation:MARIKO OMURA