フェリシー・コール、パリジェンヌの生き生き上海ライフ。
Paris 2019.06.05
結婚式はジョン・ガリアーノの白いドレスで、バカンスはイル・ド・レで、ママになっても仕事を続け……フィガロ・ジャポン本誌でパリジェンヌを代表して、さまざまなテーマで誌面を飾ったエルメスのプレス担当だったフェリシー・コール=ル・ブラン。第二子が生まれて間もなく、ホテル業界で働くご主人が転勤することになった。行き先は上海、期間は3年ということだ。
そして2011年、一家4人は上海へと旅立った。彼女も上海のエルメスで仕事を続けることに。その後のパリジェンヌ 、アジアの国でどんな暮らしをしているのだろう。
フェリシー。ブレスレットとネックレスは中国の少数民族ミャオのハンドクラフトだ。photo:By_fab
上海の暮らしを一家で満喫
「上海に着いて、とにかく好奇心いっぱいで興奮しました。私たちの一家の新しい生活がここでスタートする ! 家族にとって素晴らしい効果をもたらすに違いないわ、と。子どもたちがここの暮らしに慣れるのには、1週間もかからなかった。当時長男セザールは4歳、長女エルザは1歳という低年齢だったせいでしょうね。半年もしないうちに、セザールは中国語で話し始めたのよ」
上海生活をエンジョイ!
フェリシーが最近ブロカントで掘り出したのは……。
「最初の時期、フランスとの違いに馴染めないこともありました。たとえば狂ったような生活のリズム。ここではヨーロッパに比べて、何もかもが驚くほどスピーティなの。また人々が金銭について、タブーなしに話すことにもびっくり。それって、フランスでは考えられないことでしょ。それに、オフィスでは上下関係がとても重要なことに驚かされました。中国の若者たちって学ぶのも、飲み込むのもとても速い。スタイルをすぐに変えて、流行に合わせるスピードもすごいのよ。8年暮らす間に私も中国人化し、そしてこの国では多くのことが西洋化していることもあって、上海で暮らす中で違和感を抱くことはなくなりました。暮らし始めたときから、私たち一家も現地人のように移動はいつも自転車で。こんな生活をすることになるとは、想像もしてなかったわ」
どこに行くにも自転車で。
長女エルザはご近所さんの可愛いアイドルだ。英中学院に通っているが、彼女のクラスは母国語が中国語という生徒のクラスだ。
子どもたちの留守の間、ママは古物店へ。
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「住む前は、上海って高いタワーばかりの街だというイメージを持っていたの。その昔の上海にこれほど広く、建築的に豊かなフランス租界があったなんて予測もしていませんでした。1920年代に植樹されたプラタナスの並木路、アール・デコ建築の建物といった眺めには感嘆を惜しみません! 私たちの家もかつてのフランス租界に建つ建物のひとつで、Lane Houseと呼ばれる30年代のこの地の典型的な建築物なのよ。1フロアが2部屋ずつで、地上階も含めて合計4フロアという縦に長い建物なんです。引越しの際、お気に入りの家具はフランスから持ってきました。たとえば祖母から譲られたイームズの肘掛け椅子や、パリの蚤の市で見つけた50年代の家具とか。そのほかの家具やオブジェはこの地で買い集め、インテリアを楽しんでいます」
1階。飼い猫ものんびりと通りの散歩を。
1930年代のアール・デコ建築。
夫妻の寝室。各フロアにバルコニーがある。
フェリシーの仕事部屋。
「上海に暮らし始めてから、中国内はもちろん、アジアのいろいろな土地を家族で旅しています。インド、フィリピン、カンボジア、ベトナム、オーストラリア、タイ、マレーシア、インドネシア、韓国、台湾、もちろん日本にも。ここにいる間にできるだけ多くの国を訪問しようと思ってるの。夏のバカンスは、毎年コルシカ島やブルターニュで家族や友達と過ごすようにしています。これはとても大切なことなので」
お手伝いさんの作る餃子が大好物というセザールとエルザ。今日はタケノコ狩り!!
休日を楽しむ一家。暑くなる5月になると、上海の中心部から30分ぐらいの場所にあるプール付きホテルに家族で出かけて一日を過ごす。ご主人はトライアスロンに参加しているそうだ。
「この街の持つダイナミズム、中国人のポジティブ・マインド……私たち家族は上海にすっかり心を奪われています。進化を続ける街なのでより暮らしやすくなり、子どもたちも流暢に中国語を話せるようになりました。この街の暮らしが気に入り、一家で幸せな日々を送っています。定年まで暮らすつもりはないにしても、いつフランスに戻るかは決めていません」
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上海発のパリジェンヌ・ブランドCHINOISES
3年でフランスに戻る……はずだったが、あっという間に8年経過。この間、ご主人は職種変えをし、彼女は上海に暮らすパリジェンヌとふたりでブランドを設立した。ブランド名はCHINOISES(シノワーズ)。彼女同様に上海に暮らすパリジェンヌのカリーヌ・ボワイエがアソシエだ。
「エルメスに15年勤めたことによって、美しいオブジェに対する嗜好が芽生え、サヴォワール・フェールへの敬意も興味も生まれました。パリに暮らしていた時代は遠くの国を旅すると必ずその地の珍しいアクセサリーやユニークな品を持ち帰り、モードに取り入れて楽しんでいたの。ここに暮らすようになってから、中国の各地を旅し、職人技がとっても豊かな国であることを発見したんです。それと同時にそれらが生かされる場があまりないことにも気がついて……中国の職人技を生かしつつ、私たちパリジェンヌの視線を介したひねりを効かせたアクセサリーや服をクリエイトできたら、と。そんな思いがきっかけとなって、カリーヌとCHINOISES(シノワーズ)というブランドを始めました」
フェリシーとカリーヌ。椅子を運んでいるこの写真の謎は以下に。
「ブランドの自信作はチャイニーズ・ジャケットよ。モード好きの女性たちがチャイニーズ・ジャケットをいかにしたら現代風に、日常生活で着られるようになるか、ということが出発点となって生まれたもので、伝統的な中国の織物とデニムのリバーシブルなの。パリジェンヌが好むジーンズタッチを加え、シルエットをルーズにし、現代風に仕上げています」
刺繍のシルク・ジャケット。
ジャケットは背中にも刺繍が施されている。
リバーシブル・ジャケット。
リバーシブルのこちらはデニム側。最近、フランスへの商品発送を始めたそうだ。
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「貴州省地方にとても豊かな職人仕事があることを知ったのは、家族旅行がきっかけです。職人たちがどんな仕事をするのか間近で見てみたくて、その後、ひとりで出直したの。特にインディゴの花で染めたコットンの織物に興味をひかれて……。この二度目の旅の折に、山あいの小さな村で出会った少数民族のミャオ族の女性が自宅でしているという刺繍を見せてくれたんです。それは、ミャオ族の女性たちが祭りなど大切な行事の時に着る“百鳥衣”と呼ばれる盛装のための刺繍でした。中国の伝統で意味を持つ鳥、虫、花などのカラフルなモチーフがとても綺麗。その時に、この刺繍を生かしたベルトを作れたら、というアイデアが生まれたんです」
ミャオ族の祭りを見に一家で貴州省へ。
フェリシーも中国語の会話は問題なしにできるようになったそうだ。
藍染のコットン・ジャケット。
民族衣装を試してみるフェリシー。
ミャオ族の刺繍をベルトに。
「私たちの椅子も人気なのよ。30〜40年代に中国の役所で使われていた典型的な肘掛け椅子を、ワックスプリントや中国の布で再生しているんです。この椅子のフォルムには当時ヨーロッパからの影響が強かったことが見えますね。時々ポップ・アップを開催するのだけど、椅子のファンには中国人もいます。ヨーロッパのブランドに目がない両親たちと違って、いまの中国の若者たちは自分たちの国へと目を向けています。私たちがこうして中国の品に第二の人生を与えていることに、感謝の言葉をもらいました」
左と右はアフリカのワックス・プリントを使用。中央は南京の典型的なインディゴのプリントだ。中国の縦縞布を使用したクッションも作っている。
同じフレームでも布が違うと印象がまったく異なる椅子になるのが面白い。これはフランス製の布を使用。価格は一脚450ユーロ。詳しくはインスタグラム@__chinoises__にて。
「中国というと、メイド・イン・チャイナの粗悪な品だったり、あるいは豊かな中国人の欲を満たすための西洋の高級ブランドのブティックが並ぶショピングモールだったりのイメージ。バラエティに富んだ豊かな職人技を有する国であることを、中国の人たちも忘れてるんですね。とても広い国です。奥地のサヴォワール・フェールをもっともっと発見していきたいと思っています」
生まれ育ったパリから遠く離れた土地で、活動的な日々を送るフェリシー。今年40歳を迎えたという。ポジティブに生き生きと前進を続ける、素敵なパリジェンヌだ。
réalisation:MARIKO OMURA, photos:courtesy of Félicie Corre-Le Blan