社交界、ハイファッションを描いたジェームズ・ティソ展。

Paris 2020.05.12

画家のJames Tissot(ジェームズ・ティソ/1836~1902年)。ティソットとは発音しないものの、彼の名を文字で見ると英国人かと思ってしまう。本名はジャック=ジョゼフ・ティソで生粋のフランス人である。絵を描き始めた初期にはジャック=ジョゼフでサインをしていたが、イギリス贔屓の彼には英国的に名乗る方がピンとくるものがあり、画家名をこう決めたのである。

オルセー美術館で3月24日から始まる予定だった『ジェームズ・ティソ あいまいなモダニティ』展は外出制限措置に伴い開催が延期された。会期は7月19日まで。小規模な美術館は5月11日から再び扉を開けるが、オルセー美術館はいつになるか。滅多にない彼の回顧展。19世紀後半の装いと暮らしのエレガンスを描いた画家の作品を大勢が鑑賞できぬままで終わってしまうとしたら、それはとても残念だ。ほかの展覧会のように会期の延長は期待できるのだろうか……。

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ジェームズ・ティソの代表作から、『The Gallery of HMS Calcutta (Portsmouth)』(1876年頃)
Royaume-Uni, Londres, Tate Collection Photo © Tate, Londres, Dist. RMN-Grand Palais / Tate Photography

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額の中から衣擦れが聞こえてくる。

19世紀のハイソサエティをテーマに装いも背景も細部まできっちりと描きこんだ彼の作品を眺めると、当時の暮らしぶりはもちろん、美しい布をふんだんに使った当時のモードを堪能できる。ナント市で高級毛織り物を扱う店を営む両親のもとに生まれ、裕福な家庭に育った彼。画家アングルの弟子だったルイ・ラモットについて、19~20歳の時にパリのボザール校で学ぶ。1864年のサロンに出品した2作品によって、彼は名声を得る。そのうちの1作は現在オルセー美術館が所蔵する、赤いボレロが印象的な『L.L.嬢の肖像』だ。

ジャポニズムにいち早く興味を示した画家のひとりで、1864年の作品の中には着物を羽織った裸婦を描いた『浴室のラ・ジャポネーズ』がある。自宅には日本の版画や布地などが多数飾られたそうだ。『日本の品々を眺める娘たち』(1869年)は彼の自宅で描かれたものだろうか。ティソの肖像をエドガー・ドガが描いているようにふたりは親しい関係にあった。ドガ、それに印象派の画家たちと交友があり、ティソ自身も印象派風の作品も手がけているが、人物への興味が強い彼は被写体を抽象化することができなかったという。対象をしっかりと描く彼による肖像画は当時の社交界の人々を魅了し、彼は憧れの貴族社会へと招き入れられることになる。ハイソサエティの肖像画家としての彼の名声はパリから、ロンドン、そしてアメリカにも伝わるほどだった。

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『ミラモン公爵夫妻と子供たち』(1865年)は彼が手がけた貴族のファミリーポートレートの中でもよく知られた作品。一家4名の上質な装いが忠実に再現されている。© Musée d'Orsay, dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt

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愛に生きる。

1871年、34歳の時にイギリスに引っ越す。過去に雑誌「ヴァニティ・フェア」の仕事もし、またロンドン万博にも参加していたので他国とはいえ無名画家ではない。テムズ川、海浜リゾート地に惹かれ、ロンドン滞在前半にはヴィクトリア朝の余暇や社会が題材の作品を多く残している。これらの作品は批判もかなり集めたものの、よく売れたそうだ。

1876年にアイルランド出身の女性キャスリーン・ニュートンと出会った彼は、恋に落ちる。敬虔なカトリックの家庭に生まれ育った彼と、離婚経験者で子持ちの彼女。結婚は能わず、ふたりは外界との交際を絶ち、ゲストを迎えることもなくひっそりと暮らすことに。とはいえ贅沢好みの彼である。ロンドンに所有したのは、パリのモンソー公園を模した庭つきの豪奢な家。その邸宅内、あるいは庭で、彼のおおいなるインスピレーション源だったミューズのキャスリーンをモデルに作品を制作していた。

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ロンドン時代の作品から。ジェームズ・ティソ作『Jour Saint (Holyday)』(1876年頃)。背景の人々もきっちり描かれ、まるで被写界深度の深い写真のよう。Royaume-Uni, Londres, Tate Collection Photo © Tate, Londres, Dist. RMN-Grand Palais / Tate Photography

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パリの女性シリーズ。

1882年、彼女が結核で亡くなるや、その翌週彼はフランスに戻る。ちなみに彼のロンドンの家は、友人で画家のローレンス・アルマ=タデマが購入した(彼同様ヴィクトリア朝時代の画家であるフレデリック・レイトンの自宅のようには一般公開されていないのが惜しい!)。ティソがフランス帰国後に成功を収めるのは1885年に発表した『La Femme à Paris(パリの女性)』シリーズ。当時のパリジェンヌのモダンな美しさ、蠱惑(こわく)を描き込んだ15作品で構成されている。

またロンドン時代から始めた七宝焼きを帰国後も続け、植木用ポット、ティーポット、花瓶などを制作。収集していた日本や中国の品、そして1860~70年フランスに吹き荒れたジャポニスムの時代にクリストフルのようなメゾンが製作した品々にインスパイアされていたそうだ。いっぽう、キャスリーンの死をきっかけに彼の興味は死、精神界、霊媒、神秘学などへと向かい、また信仰心の篤い彼はキリストを主題にした作品を晩年多数手がけた。

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1883〜85年の『La Femme à Paris』より、『Ces Dames des chars』。
Etat-Unis, Providence, Rhode Island School of Design Photo © Courtesy of the RISD Museum, Providence, RI

『James Tissot(1836-1902)、L’ambigu moderne』展
会期:6月23日〜9月13日
Musée d’Orsay
1, rue de la Légion d’Honneurs
75007 Paris
www.musee-orsay.fr

réalisation : MARIKO OMURA

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