Portrait de Parisiens パリの気になる男たち パン、エピスリーそしてレストラン、ダン・ハンフリスの冒険。

Paris 2022.06.08

レストラン、ジャンヌ・エメの開店。

パリの9区、地下鉄ノートル・ダム・ドゥ・ロレット駅のすぐ近くに、レストラン「Jeanne Aimée(ジャンヌ・エメ)」が4月に静かにオープンした。広報活動もしていないのに、レストランは早くも予約の取りにくい店に。ある日のランチ、妙齢のカップルが帰りがけに「良いお店ね。このまま続けてちょうだい。また来ますから」と声をかけたのはレストランの共同経営者のひとり、ダン・ハンフリスだった。ダンはレストランから徒歩2~3分のミルトン通りで、エピスリー「Humphris(ハンフリス)」を経営している。この店の顧客たちやシェフのシルヴァン・パリゾの仕事をフォローしている人々の間で、開店の情報が口コミで伝わっていったのだ。

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左: ダン・ハンフリス。 右: 2015年に開店したエピスリー「Humphris(ハンフリス)」。 photos:(左)Paul Verin、(右)Mariko Omura

薪窯焼きパンから始まったハンフリス。

パリにアトリエを構える陶工のマリオン・グローが愛する野菜の店として昨年本誌でも紹介した、9区のミルトン通りにあるエピスリーのハンフリス。レストランのジャンヌ・エメの魅力を語るには、2015年3月に開店したこのエピスリーから始める必要がある。

「ハンフリスは家族の物語なんです。父はパンを焼き、野菜を作っているけど、もともと農業を営んでいたわけじゃなかった。20年くらい前、パリの西方で厩舎を経営しようと農地を購入したところ、そこに薪窯があったんですね。馬の仕事は実現しなかったけれど、父はパン焼きを学んでみようかと、フランスの北部で薪窯焼きパンを市場で焼いて売っているセルジュ・エネに教えを請いました。モンマルトルのパン屋『Shinya Pain』のシンヤもセルジュに学んでいますね。父はセルジュに助けてもらって農家の薪窯を復興し、そしてセルジュのように市場に横付けした車でパンを焼いて販売を始め、僕はリセが休みの週末に手伝っていました。市場にいる買い物客に焼きたてのパンを試食してもらい、”パパがあそこで焼いてるんです!”って」

この時にダンは人々とのコンタクトがある現場の仕事がとても気に入ったそうだ。

「窯から出たての熱々のパンは気持ちをほぐし、素直になります。ストレートに人々に語りかけます。学校の卓上の勉強と平行して、この体験をするのは楽しかった。そこで考えたのは、父が作るパンはおいしいのだから、これを市場で売るだけじゃなくパリでパン屋を開いて発展させたらいいだろうと。ハンフリスの開店は父のパンを世に知らしめるのが目的だったのです」

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ハンフリス(2, Rue Milton 75009 Paris)内のパン売り場。営業時間は10:00~19:30(月~金)、9:30~19:30(土)、9:30~19:30(日)。photos:Mariko OMURA

「父は2ヘクタールの小さい農地で少しばかりビオの野菜も栽培していたので、パンの店に置いてみたところ野菜も素晴らしい!といってパンを買いに来ていた人たちが飛びついたんです。収穫は少量だったので、たとえばトマトはひとり500グラムまでというように制限を設けたくらい。最初にオープンしたハンフリスでは焼きたての父のパンが届くと窯の匂いが店に漂って、その脇にちょっとだけ野菜があってというほかにはない店でした。これがエピスリーのハンフリスの始まりです。当時テロワール・ダヴニールがあったくらいで、パリではまだ珍しかった」

「9区のミルトン通りに開店したのは、まったくの偶然です。開店の場所を探していて、そこが僕のちょっとした手持ちの予算でも始められるという価格的理由からです。人は誰でもパンが好きなのだから、ということで市場調査もしませんでした。隣のマルティール通りが活気づいているので、ミルトン通りは悪くないという知り合いの声もあって……。店を開いたら、すぐに客たちに受け入れられました。パンに使うセレアルは知り合いのイル・ド・フランスの農家から。うちの農家から3キロの場所で挽かれています。店の野菜は徐々に増やしてゆきました。そして近くのハムやヤギのチーズもというように。父の野菜だけではお客さんのニーズにまったくこたえられなくなったので、うちと同じようにクオリティの高い、ビオのラベルを持つ野菜を生産する人を見つけなければなならなくなって……。ところがイル・ド・フランスはセレアルの生産者はいても、野菜栽培をしてる人がいない。いてもビオの野菜の量は売るほどにはないという……。父は自分の畑でできた種を収穫し、それを次の季節に撒いています。ビオの種を買うのではなくて。これこそが自然のサイクルだって僕は思うんです。それでブルターニュの生産者グループとコラボレーションをすることにし、いまや150の生産者たちと仕事をしています。店は手狭になったところで2018年に通りの向かい側に広いスペースが見つかったのでそちらに移転。最初の店はワインカーブか小さなレストランか……などと考えたけど、18㎡なので何かをするには狭すぎです。それでいまはストックのためのスペースとして使っています。開店から7年経ち、ワインも扱えば、肉も扱って……少しずつ少しずつエピスリーを発展させていってるのです」

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野菜、パンに加えワインのセレクションも豊富だ。ジャム、蜂蜜、パテなども彼が信頼を置く生産者たちからの品だ。photos:Mariko Omura

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レストランの料理の素材はエピスリーから。

その7年の間に18区にもエピスリーのハンフリスを開いた。3区にも開こうと考えたそうだが、ミルトン通りの店をよりよいものにすることに専念することにしたそうだ。

「開店して1年半したところで、買い物客だったエリックがアソシエートとなって、これは彼からのアドバイスでした。レストランのジャンヌ・エメはかつて40年営業を続けて界隈では有名なクスクス店のムスターファがあった場所で、エリックがそのオーナーと仲良しだったのです。オーナーが経営権を売る際にエリックに誰かいないか?と聞いたことから、立地も良いし、と僕たちがやることになりました。2018年の頭で、そのときはピザ屋か何か具体的にはどんな店にするかは決めずに……。工事を始めたら、あちこちが劣化していて、簡単なリノベーションをしただけでは水漏れやら2年も経たずに問題が続出するだろうということで、この場所をよりよくするためにできる限りの工事をしようじゃないか、と。それで天井をあげ、ガラス屋根を設け、壁を取っぱらって奥ゆきを稼いで……」

途中ロックダウンもあり、工事は4年がかりとなった。その間に出会いもあり、アイデアも湧いて……。かつては湿気で使用できなかった地下のスペースも健全な空間にし、ガストロノミーとカルチャーやアートの世界を結びつける場にできたら、と考えているそうだ。バーカウンターとミニステージを設けてジャズのコンサート、ワンマンショー、詩の朗読、ダンス……食事に来た人が地下でアーティストを発見したりということに加え、野菜の生産者が地下で会議を開いたりも、とアソシエートとともに夢を広げるダンだ。

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ある日のランチの前菜から。ポワローのローストと味噌味豚足の組み合わせや、ホワイトアスパラガスとポレンタなど意外な味のハーモニーが食卓に驚きと喜びをもたらす。photo:Mariko Omura

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ある日のランチのメインから。メインは魚、肉、野菜料理から選べる。シェフのシルヴァン・パリゾは素材の組み合わせ、調理法で新しい味の世界を提案する。photos:(左)Mariko Omura、(右)Paul Verin

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左: オリーブを用いたデザート。 中: ヤーコン、ハニーアイスクリーム、ソバのクランブルにシャンティー。 右: マスタードの粒をのせたフレッシュなヤギのチーズ。ビーツの甘い味が添えられている。ランチタイムは前菜+メインまたはメイン+デザートで27ユーロ、前菜+メイン+デザートで33ユーロ。photos:Mariko Omura

「ほかには例のない場所をクリエイトしたいというのが僕たちの希望でした。工事については建築面をエリックが、内装面を僕が担当。家具は60~70年代の北欧家具のヴィンテージでまとめるようにし、壁画アーティストも僕が見つけたカミーユ・ヴィリーというアーティストにお願いして。石灰と砂を素材に、砂丘を描いてもらいました。彼女のことを聞いて会いに行った時見せてくれたのはブルーの波だったのです。気に入ったけど、これだけの広いスペースをブルーにするとなんだか海のようになってしまう。ソフトで温もりの感じられる色がいいな、といこうとで砂丘に。パースペクティブな仕事なんですよ。入り口の壁は淡い色で始まり、徐々に色が濃くなっています。奥の空間は砂丘が逆さまで、雲の中に砂丘が落ちるという……。なぜこうしたかというと、石、木、コンクリートと壁の素材も天井の高さも異なる空間が繋がり、入り口は廊下のようなので、そうしたことを視覚的に解消したいと思ったんです」

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レストランの奥のスペースは壁いっぱいにカミーユ・ヴィリーによるフレスコ画が。photo:Mariko Omura

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左: 60〜70年代の北欧の椅子はダンのセレクション。 右: エントランスから奥のスペースの途中のバーカウンターにも、カミーユ・ヴィリーがガラスにペイントを施した。photos:Mariko Omura

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ジャンヌ・エメのシェフはシルヴァン・パリゾ。アストランス、アピシウス、エルメールなどで仕事をしている。また若いシェフが交代で料理をするレストラン「Fulgurances(フュルギュランス)」の最初のゲストシェフでもあった。彼はジャンヌ・エメでたとえば植物ラベージのような珍しい素材、牡蠣とカマンベールといった驚くような味の組み合わせ、マスの出汁のような国籍を超えた味など、食事客に新しい体験をもたらす創作料理を日々提案している。その彼にいたるまでの話に耳を傾けてみよう。ここにもまた、人との出会いがある。

「レストランの厨房を造るにあたって、シェフを探しました。原始的な薪火料理を好むシェフというのが僕の条件で、グーグルでリサーチ。そこでひとりシェフを見つけたんですけど、彼はスイスをベースにした移動シェフでパリの人ではなかった。でも建築事務所よりシェフのほうがいいだろうから、って厨房造りの素材やデザインなどを彼が手伝ってくれることになりました。その彼が、シルヴァン・パリゾがレストランを探してるよ、と教えてくれたんですね。早速彼にコンタクトをし、僕たちのプロジェクトを話しました。季節の素材、ビオ、素材調達はハンフリス経由でということ以外、料理はシェフ個人の表現なので、彼に任せました。良い素材をもとにシェフはシェフの料理を作ればいいのです。シルヴァンは15年のキャリアの持ち主。使えるのが季節の素材に限られているので、野菜の年間の使用を考えてピクルスやソースを作るなどしています」

メニューは2週間ごとで変わる。今は昼と夜がほとんど同じメニューで前菜3種、メイン3種、デザート3種。9月からはディナーにデギュスタシオン・メニューを考えているそうだ。野菜がいまの社会では重要視されているとはいえ、客にチョイスを与えたいからとジャンヌ・エメでは魚料理も肉料理も出す。もちろん素材は厳選されている。ハンフリスでは肉も扱っているが、魚は販売していない。レストランの魚メニューにマス料理がよく登場するそうだ。これは遠方のサーモンより、彼の農家から3キロのところで環境を汚染しない自然な方法で養殖しているマスを、ということからだという。デザートを担当しているマルゴーは野菜を素材にすることで知られている。セロリのティラミス風を作ったり、“土の梨”と呼ばれる芋のヤーコンを使ったり。

「これには食事客の好奇心が刺激されますね。古く忘れられた野菜をレストランで発見した人は、ここで使い方の例を知り、エピスリーで購入して自分で料理して、と。エピスリーにも良い結果をもたらします。先日、食事に来た父は野菜作りへの欲が湧く、と言ってました。彼が育てた野菜がリスペクトされて、おいしい料理に作り上げられていることに感激していました。作物の素晴らしさは畑で終わらず。その自然の恵みは人間の創造性でまた新たな素晴らしさを生むのですね」

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左: シェフ、シルヴァン・パリゾ。 中: 季節の野菜を保存。 右: ガラス屋根、中庭からの光が快適なレストラン。photos:Mariko Omura

レストランで客に供するのはもちろんハンフリスのパンだ。エピスリーの1軒隣のスペースが空いたのを機会にここをパン焼きのラボラトリーとし、彼の父のレシピを1年がかりで継承。現在、12種のパンを焼いている。ハンフリスで販売し、かつ徒歩で配達できる範囲のいくつかのレストランに卸しているそうだ。ちなみにレストランで供するパンは農家の名前をとった「Heurteloup(ウルトルー)」という名前のパンである。なお週末だけ彼の父は農家でパンを焼き、農家に併設のブティックで販売しているそうだ。

ランプなどレストランの内装を9月までに終了し、厨房もいま3人のところが4人となり、さらにかつてハンフリスで働いていたワインに強いトマもスタッフに加わる。それによってワインリストもより完成したものとなるとうれしそうに語るダン。急ぐことなく、自分たちの無理のないリズムで進めている姿勢が好ましい。さて、レストランを軌道にのせたら、次にどんな冒険に乗り出すのだろうか。

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次なる冒険はファームにて?

「ふたつ目のレストランの予定はありません。農家に暮らし、畑で働けたらと考えています。パリではなく、今度は農家のプロジェクトですね。いまの畑の周囲に75ヘクタールを購入し、古代麦を栽培しようと思ってます。さらに野菜を栽培し、エピスリーもレストランも自給自足を目指したいんです。アメリカにはブルー・ヒルというレストランを持つダン・バルベーがいますね。ファーム・トゥ・テーブルをうたっていて、彼は種子の交配も自分でしています。僕は人々にいろいろなことを提案したいと思っていて、いずれはホテル業もと。ファームの小屋に滞在し、やってきた子どもたちが学べる空間も設けて、といったようにして。そして農地がすべてビオに転換できたら、養蜂業も始めたいんです」

頭の中にはさまざまなプロジェクトが生まれているようだ。リセ時代に作り手と食べ手の間のヒューマンな関係を発見した彼。「エピスリーの開店はとても良い決断だったと思っています。いま、とても幸せですから」と語った。

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左: レストランでサービスをするダン。手にしているのはオリジナルのケフィアのドリンクだ。 中: 共同経営者のエリック・デルバールはイベント関連の仕事に携わっていたそうで、アーティスティックな面でのアイデアが豊富だとダンが讃える。レストランの店名は104歳でなくなった彼の祖母ジャンヌからの命名だ。 右: 地下スペースへの階段。どんな空間が生まれるか、楽しみに待とう。photos:(左、中)Paul Verin

Jeanne Aimée
3, rue Bourdaloue
75009 Paris
Tel 09 73 88 48 44
営)12:15〜14:00、19:30〜22:00
休)月ランチ、土、日
Instagram:@jeanne.aimee.restaurant

editing: Mariko Omura

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