創造性を刺激する南フランス、アートの旅 離婚後20年、再び結婚して終生を共にした芸術家カップル。

Paris 2022.06.23

1. アンス・アルトゥング&アンナ=エヴァ・ベルグマン

今年5月から、南仏アンティーブにあるアルトゥング - ベルグマン財団が春から秋にかけて一般公開されるようになった。20世紀を代表する抽象画家のアンス・アルトゥング(1904~89年)とアンナ=エヴァ・ベルグマン(1909~87年)夫妻が暮らして仕事をした場所に、彼らの遺言に沿って財団が設立されたのは1994年のことだ。これまでは作品の保存、普及、貸し出し、リサーチなどが対象で一般人は訪問ができなかったので朗報である。といっても、彼らの名前にあまりなじみがないかもしれない。それだけに財団で彼らの人生、仕事を発見するのはとても興味深い。

この一般向けのオープニングに際して企画された『les archives de la création(創造のアーカイブ)』展が、9月30日まで開催されている。開催はかつてふたりのアトリエだった2棟の建物内。アトリエも彼らの自宅もアルトゥング自身の設計ということで、建築ファンの好奇心もそそる場所なのだ。2万㎡の敷地内、自宅内は残念ながら見学ができないけれど、ブルーに光り輝くプールを中央に据えたパティオを玄関から見ることができる。展示会場へは樹齢200年近いオリーブの木々が見事な庭の斜面を抜けてゆく。

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左:1929年、結婚した年のアンナ=エヴァとアンス。フランスの東南地方のLeucateにて。©️Fondation Hartung- Bergman  右:財団のブティックで販売されているトートバッグには、アンナ=エヴァ・ベルグマンが1940年にイラストに残した夫妻の創作活動風景が。photo:Mariko Omura

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かつてのアンナ=エヴァのアトリエ棟(上)とアンスのアトリエ棟にて、オープニング展『創造のアーカイブ』が9月30日まで開催中。©️Fondation Hartung - Bergman

財団のディレクター、トマ・シュレセーによると、一般公開のための2年がかりの工事を終え、5月に開館するや予想以上の来訪者を迎えることになり驚かされたそうだ。アンティーブというとシャトー・グリマルディのピカソ美術館が知られているが、この財団は現代アートファンたちにとって南仏の新しい訪問地となることだろう。ペロタン東京ではこの財団の協力で、7月2日まで『アンス・アルトゥング展』を開催中だ。パリでは2019年に改装を終えた近代美術館が最初に催した展覧会が、彼の回顧展『la Fabrique du geste』だったことはアート界の記憶に新しいが、日本で彼の作品がこうしてまとまって紹介されるのは久々のこと。今年の秋はニューヨークで、彼の妻アンナ=エヴァ・ベルグマンの回顧展も予定されている。

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ふたりのアーティストの名前を耳にする機会が今後増えそうだけれど、彼らの生涯について語られることは、過去にあまりなかったのではないだろうか。昨年パリではジョセフ・アルバースとアニー・アルバースの展覧会が開催されたが、彼らのようにそれぞれがアート界で名前を確立していた伝説的な芸術家カップルは少なくない。人生をともにした期間や法的関係はさまざまだがフリーダ・カーロとディエゴ・リベラ、レオノーラ・キャリントンとマックス・エルンスト、ニキ・ド・サンファールとジャン・ティンゲリー……最近ではラランヌ夫妻がいる。このアルトゥングとベルグマン夫妻も、こうしたリストに加えるのにふさわしい。まずは、ふたりの人生を駆け足で紹介することから始めよう。

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左:1933年、アンスが撮影したアンナ=エヴァ。photo:Hans Hartung 。右:1929年、アンナ=エヴァが撮影したアンス。photo:Anna-Eva Bergman

ふたりの出会いは1920年代に遡る。アンナ=エヴァはスウェーデン人の父とノルウェー人の母の間に生まれた。彼女が幼い時に両親は離婚。母の国に帰るのだが、仕事を持つ母は自分のキャリアを求めてロンドンへゆき、アンナ=エヴァは母親の親戚のもとに預けられたそうだ。そんな母の娘らしく、彼女もまた自由であることを生涯希求していた女性である。幼くしてアートを学び始めた彼女はオスロで応用芸術の学校に学び、ウィーンの芸術校を経て1929年5月、20歳でパリに来たところで5歳年長のアンス・アルトゥングと出会うのだ。そして3カ月後、ふたりは結婚する。

ドイツのライプツィヒのブルジョワの家庭に生まれたアンス。ドレスデンのアート校で学び、パリに来た時にはすでに画家としてのキャリアがあった。結婚したふたりはコートダジュール、スペインなど多くの土地を旅して暮らす。しかし世界的な大恐慌もあり、またアンスの父が亡くなったことで財政困難となったふたりは、バレアレス諸島のひとつ、ミノルカ島に土地を買い、ここで実にシンプルでつましい暮らしを営むことになる。子どもを持たないと決めたのも貧しさゆえだ。島の丘の上に、1934年、アンスはひとつ目の家を設計した。その真っ白い建物は現在財団となっているアンティーブに建てた家のミニチュアのような家だった。あいにくなことに、ミノルカでの暮らしは数年と続かない。アンナ= エヴァは胃腸の持病があるため手術を繰り返し、さらにチフスを患い、おまけにふたりはナチスからスパイ容疑をかけられてしまうのだ。彼らの暮らしを覆う暗雲は層をなしてゆき、1938年、彼女の決断でふたりは離婚する。

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夫妻がアンティーブの丘の上、2ヘクタールのオリーブ畑の中に建てた終の住処。ヴィラではプールのあるパテイオをコの字型に彼らの居住空間が取り囲んでいる。プールの奥に見えているのが、階下にもスペースがある夫妻の寝室で、扉の左隣には愛犬のために小さな出入り口が設けられていた。photo:Mariko Omura

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左:ヴィラ。プールを挟んで寝室の向かい側はリビングルーム。 中:寝室翼とリビング翼を繋ぐのがキッチン&ダイニングスペースだ。廊下のない家で部屋間の移動はパティオにて。建物の屋根は庇が大きく張り出していて、身体が不自由なアンスが移動しやすい作りでもあった。 右:パティオの下のフロア。photos:Mariko Omura

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アンナ=エヴァは建築家の息子と再婚し、アンスは画家と再婚。1952年にそんなふたりがパリのモンパルナスで再会するのだ。映画や小説のように偶然ばったりという出来事ではなかったようだが。彼は第二次大戦中、ベルフォールでの戦いで右脚を失ったものの、画家として世界的名声を得て、芸術家として開花していた。彼女のほうはジャーナリスト活動やイラストレーターとして活動した後、1940年代末から抽象画へと進んでいた。再会したふたりは当時の伴侶とそれぞれ離婚し、1957年に再婚する。そしてパリの16区にアトリエ兼住居を構える一方で、ユートピア構想の実現のためアンティーブに2ヘクタールのオリーブ畑を購入。それから12年後の1973年、彼が設計した地中海的要素と古代ローマの家屋の要素が合わさった自宅棟とアトリエ棟が完成するや、パリを引き払い、ふたりは終の住処となるアンティーブで自然との共生を始めるのだ。日中はそれぞれがアトリエで作品の制作に励み、残りの時間は南仏の生活を楽しむ。そんな日々を続けるふたりの傍には、ヴァンピールとニッキーという愛犬のエールデル・テリアがいた。アンナ=エヴァが1987年に78歳で亡くなり、その1年半後にアンスが85歳で亡くなる。遺言に財団設立を残して。

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アトリエ棟。南仏の光が白い建物のあちこちに鋭角の影を生み出す。photo:Mariko Omura

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左:アンスは自身の設計の実現のため、工事人を10人近く変更した。 右:アンナ=エヴァのアトリエ棟。それぞれが独立した芸術活動をしていたので、共同で作品を制作することはなかった。photos:Mariko Omura

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左:自宅棟からオリーブ畑の斜面を抜けて、アトリエへ。建築に際して、可能な限りオリーブの樹を保存する努力がなされたそうだ。 中:庭のオリーブから毎秋オイルを収穫。 右:それぞれのアトリエには、オリーブ畑の向こうに建つ自宅棟に面して大きな窓がとられた。photos:Mariko Omura

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2. アンティーブの新名所、アルトゥング - ベルグマン財団

財団で開催中の『les archives de la création(創造のアーカイブ)』展では、ふたりの仕事を写真、ドキュメントなども合わせての展示で紹介している。彼らが残した作品をこうしてまとめて見られる機会は、これがおそらく初めてだろう。生前のままの状態に残されたアルトゥングのアトリエ訪問が展覧会のハイライトだ。

アンナ=エヴァ・ベルグマンの展示から始めよう。彼女のアトリエがあった建物の前には大きな石のテーブルが設えてある。これは作品を乾かすための場所だったそうだが、財団のエントランスからそこにいたる途中にも石があり、彼女の石への愛着を来場者は会場に入る前に察することになる。

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左:財団の敷地内、エントランスから展覧会場に向かう途上にアンナ=エヴァがどこかから持ち運んだ大きな石がふたつ並んでいる。 右:かつてのアンナ=エヴァのアトリエの前に置かれている石のテーブル。photos:Mariko Omura

1955年の4つの石を抽象的に描いた『Quatre-formes』から始まる最初の展示室。中央のガラスケース内には、アンナ=エヴァが興味のあるテーマとして手書きしたリスト(1969~70年頃)を示し、そこに書かれている山、谷間、火、小舟……といったテーマの作品が展示されている。抽象画にカテゴライズされる彼女の作品だが、必ず何かを表現しているのだ。

光に魅了されていた彼女がビザンチンのイコン、イタリアのルネッサンス期のとりわけフラ・アンジェリコ、またクリムトなどからインスパイアされ、金、銀、銅などの金属箔を作品に取り込むようになったのはカテドラルの修復家に教えを受けた1942年以降のことだ。1950年代後半から、金属箔を用いた作品が増えてゆく。クラシックな技法にとどまることはなく、自分なりの表現法を金属箔に加える追求を亡くなる直前まで彼女は続けていた。会場で光を受けて表情を変えるそれらの作品からは詩情と力強さが漂う。

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左:『N°26-1955、Quatre- formes』(1955年)。 右:壁の作品のテーマは左から、木、山、月。中央のテーブルにはテーマだけでなく、戦後、彼女が黄金比に興味を持っていたことも物語る材料も展示されている。photos:Mariko Omura

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金属箔の輝きが表現する火、海洋、谷間。Photo:Mario Omura

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小さな部屋では夫妻が暮らしたミノルカ島の家や島の様子、そして生計を立てるのに役立った彼女のイラストレーターとしての才能に触れられる材料を展示している。彼女が料理本を出したいと願って準備したイラストも。ちなみに生前叶わなかった料理本の出版は財団によって実現された。また、この部屋ではノルウエーの石、岩、フィヨルドとの彼女の密接な関係も紹介。世界各地でこれからも彼女の作品展が開催されることはあるだろうが、この部屋の展示はアンナ=エヴァが本格的に抽象画に専念する以前の活動を、財団が保全するアーカイブからの構成で知ることができる貴重なものだ。

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左:1942年、アンナ=エヴァは1930年代のミノルカ島での暮らしをイラストと文章で『Turid i Middelhavet』にまとめて出版。商業的理由から共著を余儀なくされたことが不満で、彼女はいずれ書き直したいと思っていたそうだ。 中:ミノルカ島で描いた作品や写真も展示。 右:ウィーンの雑誌に掲載された、コートダジュールをテーマにしたアンナ=エヴァのイラスト。1931年。photos:Mariko Omura

最後の展示は彼女が作品を制作していたアトリエ内にて。大きな窓の外にはオリーブ畑が広がり、金属箔を扱う彼女はこのスペース内でイーゼルは用いず大きなテーブルを置いて、その上で創作していた。ここに集められたのはコートダジュール時代、つまり、1973年以降の作品だ。それらのインスピレーション源は氷河など北欧の景色である。もっとも、この土地で得た新しいテーマも。それは水にまつわるもので、波と雨をテーマにした作品が展示を締めくくる。波を表現するシンプルな作品は金属箔とモデリングペーストが生む立体感が輝きを放ち、アンティーブの地に降り注ぐ雨が題材の作品はキャンバスに叩きつけるような雨足をモデリングペーストと金箔で表現。アトリエの奥の小さなスペースには、残された金属箔や画材が展示されている。

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アンナ=エヴァのアトリエでの展示。壁の作品はオークルカラーの地と金色の空を描いた『N°12-1975 Terre ocre et ciel doré』(1975年)。

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左:『N°13- 1965 Mur de montagne de Norvege』(1965年)。テンペラと金属箔で。ノルウエーの山がインスピレーションだ。 右:コートダジュールで得たテーマによる作品。左はバロックの波とタイトルされた『N°49-1973 Vague Baroque』(1973年)、右は雨がテーマの『N°-1974 Pluie』(1974年)。

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左:アンティーブの家の建築が始まっていた時代、南仏のサン・ポール・ド・ヴァンスにてアンスが撮影したアンナ=エヴァ。1968年。 右:創作活動の写真や道具なども展示。

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20世紀を代表する抽象画家と紹介されるアンス・アルトゥング。彼の展示は3点の自画像から始まる。1点目の1922年は具象だが、3点目の1923年の作品は黒いチョークによる抽象で、アンナ=エヴァに比べると彼が抽象作品を制作するのは1920年代と早かった。カンディンスキーを思わせる絵画も残している。もっとも彼は具象も続けていて、1931年にドレスデンの画廊での展示の再現でもそれがうかがえる。この時に売れた自身初の油彩の抽象作品を彼は買い戻す努力を亡くなるまで続けていたそうだ。2年前に財団が彼の願いを叶えることができたというエピソードがある。

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左:1920年代に描いた自画像3点。 右:1931年のドレスデンの画廊での展示のように具象と抽象を並べて。右の3点の中央が、油彩による初の抽象作でアンスが買い戻したかった『1931-1』。

生涯で1点だけ残した彫刻作品を含め、1948年から80年代までの作品を展示する広いスペースは、テクニックの変化が一目瞭然で興味深い。50年代に彼はアクション・ペインティングへと手法を変えてゆく。庭仕事や台所仕事の道具が筆に変わるのは、60年代に入ってからだ。彼は木の枝や、熊手、箒、刷毛などを筆の代わりに用いたり、あるいは筆を複数繋げて1本の筆に仕立てたオリジナルの道具で……。1980年代後半には噴霧器や硫酸塩スプレーを用い、キャンバスと距離を置いて巨大な作品を創作していた。身体障がい者であることに加え、身体は老いてゆく。これは彼が肉体の可能性を超越するひとつの方法だったという。作品の中には、彼の腕の素早い身振りや彼が放つスプレーの勢いなど、ダイナミズムが感じられるものも。彼はふたりのアシスタントとともにクリエイションを行っていて、彼らの話によるとアンスの腹筋と肩の筋肉は相当なものだったそうだ。

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左:この部屋の展示作品によって、アンスが実験的にさまざまな手法を実践していたことが見えてくる。 右:『T1963- E45_』(1963年)。

その奥の小さな部屋では、彼が最も好んだ作品だという『T-1958-3』を展示。ちなみにタイトルが鑑賞者に先入観を与えるのを避けるため、アンスはある時からタイトルは制作年の表示に変えている。デッサンをキャンバスにスケールを変えて写し取る方法をある時期実践していた彼。この『T-1958-3』はその手法で制作され、ベースとなったデッサンを併置している。なお、この作品は郵政省によって切手となり、その際に1980年に郵便博物館でアンナ=エヴァとふたりの作品の展覧会が開催されたそうだ。いつかふたりの作品展の機会があることを祈ろう。

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左:大きな身振りの筆使いで描いたように見える『1958-3』(右)。実は左の1956年のトワルをベースに正確なプロポーションで縮小したものだ。 右:1980年に『1958-3』が切手に。それを記念して、1980〜81年に郵便博物館で『アンス・アルトゥング、アンナ= エヴァ・ベルグマン』展が開催された。

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隣接する小さな部屋では、同じ日に制作された複数作品の2シリーズを展示。使用道具、作品のフォーマットなど彼が残した記録も合わせて展示している。写真は『T-1985-H24』『T-1985-H25』『T-1985-H26』。左の作品には制作時についたと思しき葉っぱが。

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小さな扉を開けて入るアトリエは、中央に車椅子が置かれて彼の生前のまま保存されている。ここもオリーブ畑に面して大きく窓が取られ、窓際には絵筆とは程遠いさまざまな道具類が並べられている。噴霧器から発された絵の具が壁にも扉にもラジエーターにも……これも作品だ。アトリエでは常にアンスはバロック音楽をカセットで流していたそうだ。このスペースに身を置くと、彼のエクスペリメンタルな創作活動のの現場に居合わせているように気がしてくる。

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左:1971年、アンナ=エヴァが撮影したアンス。Les Landes にて。photo:Anna-Eva Bergman。 右:アンスのアトリエ。

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アトリエのディテール。彼が使用した道具類、噴霧器などが彼の創造活動を彷彿させる。

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左・中:アトリエの裏手、1987年に亡くなったアンスが最後に手がけていた3×5メートルの巨大な作品。 右:アトリエの裏手に設けられているのはキャビネ・ドゥ・キュリオジテ風空間でアンスの義足、石のコレクションなどプライベートなオブジェを詰め込んだミニスペースである。夫妻より先にアンティーブに暮らしていたピカソから贈られたという陶器も。

財団の一般公開にあたり、チケット販売およびブティックのための建物がアルトゥングの設計に則って作られた。ブティックではカタログ、夫妻の作品集、グッズなどを販売。ブティックの前に設置された小さなワゴンでは飲料だけでなく、夫妻の料理人だったマルセルが腕をふるって作るアンスの好物だったという南仏名物のピサラディエールも味わえる。オリーブ畑の一角にはベンチが配置されているので、木陰で憩いの時間を過ごしてふたりの暮らしに想いを馳せるのもいいだろう。

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左:財団入り口。ニースの空港からなら、タクシーで20分前後。 中:マルセルのピサラディエールを販売するワゴン。 右:オリーブ畑で憩う。

Fondation Hartung - Bergman
(一般公開/5月~9月末)
173, Chemin du Valbosquet
06600 Antibes
tel:04 93 33 45 92
開)10:00~18:00(水・木・金)
休)土日月火
料:10ユーロ
www.fondationhartungbergman.fr
public@fondationhartungbergman.fr

editing: Mariko Omura

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