パリから列車で2時間、贅沢が香る海浜リゾート地へ ドーヴィルに魅せられた画家、キース・ヴァン・ドンゲン展。

Paris 2022.08.17

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ドーヴィル海岸で有名な板張り歩道(プランシュ)をはじめ、市内のいたるところにヴァン・ドンゲン展のポスターが見られる。photo Mariko Omura

日本では東京のパナソニック汐留美術館で “フォーヴィスムからレザネフォル”として44年ぶりの個展が開催されている画家のキース・ヴァン・ドンゲン(1877~1968)。フランスではパリから列車で2時間、贅沢が香る海浜リゾート地のドーヴィルに昨年生まれた文化施設「Les Franciscaines(レ・フランシスケンヌ)」にて、『Van Dongen Deauville me va comme un gant』展が9月25日まで開催中だ。タイトルは “ドーヴィルはヴァン・ドンゲンに誂えたようにぴったり”といった意味である。

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左・中: 海岸の板張り歩道の更衣室キャビンの壁には、ヴァン・ドンゲンに限らずドーヴィルにまつわる著名人が写真で紹介されている。 右: 展覧会場入り口には、1955年8月29日に海岸で撮影されたヴァン・ドンゲンの写真が。

1913年に初めてドーヴィルを訪れて以来、毎夏、ホテルの「Le Normandy(ル・ノルマンディー)」に宿泊し、パリから集まった社交界の人々やセレブリティたちとの交際を彼は楽しんでいた。1919年から雑誌「Sur la Riviéra Normande」(ノルマンディー地方のリヴィエラにて)のカバーを定期的に描き、50年通い続けたドーヴィルで、彼は1955年には市の名誉ゲストに選ばれている。彼が出合うべくして出合った街なのだ。1961年に市の100周年を記念するポスターに使われたのは、いまも健在の店「Bar du Soleil」を描いた彼の作品だった。

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左: キース・ヴァン・ドンゲンの『Bar du Soleil』をドーヴィル市は 1961年にドーヴィル100年祭のポスターに使用した。©️ADAGP.Paris, 2022 右: 1931年に出版された『Deauville』はヴァン・ドンゲンによる水彩画とクチュリエのポール・ポワレによる文章。©️ADAGP.Paris, 2022

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展覧会は100点近い作品を600㎡の会場に展示。これはドーヴィルの街が彼に捧げる初の大回顧展なのだ。夏にカンヌもビアリッツも訪れているヴァン・ドンゲンだが、これらの土地はほとんど描いていない。なぜドーヴィルか? それは自己宣伝力に長けていた彼はパリのアトリエでよく自分の客や社交界の人々を集めてパーティを催していたが、そのゲストたちが夏に集まるのがドーヴィルだったのだ。夏の高級リゾート地は彼にとっては営業の良い機会となっていたのだ。展示は時代順ではなく、「モンマルトルからノルマンディー地方へ」「海水浴」「競馬と馬の世界」「マシシ、ジャズバンド、タンゴ」「ショーの世界」「ラ・ギャルソンヌ」「ドーヴィルの注文」という7つのテーマで構成されている。キュレーターは2008年にモナコ国立美術館で開催され、この展覧会が企画されるきっかけとなったヴァン・ドンゲン展のキュレーションを務めた当時の美術館ディレクター、ジャン=ミッシェル・ブウールだ。

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左: 海水浴がテーマの部屋で、『La  Baigneuse de Deauville』(1920年)。サロン・ドートンヌ出品作で、肌の露出を厭わず水着で自由を主張する女性の姿がここにある。©️ADAGP.Paris, 2022 右:『La Chimère-Pie』(1895〜1907年)。馬は彼が自身の男らしさを重ねるテーマで、この作品は手放すことなくアトリエに常に置いてあったという。彼がモンパルナスから引っ越した16区のアトリエは乗馬の地であるブローニュの森の近くで、競馬が盛んなビアリッツと結びつくものがあった。photo:Mariko Omura

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左: ドーヴィルは20世紀初頭にヨーロッパに入ってきたタンゴを踊るために、パリから人々が集まってくる歓楽の街でもあった。踊ることが好きだったヴァン・ドンゲンは右の『タンゴまたはタンゴと大天使』(1913〜1935)ほか、踊る人を描いた作品を多数残している。 右: 『タンゴ』の部分。彼が描く靴は、ヒールの底が広がるルイ15世スタイルが多かったそうだ。左の写真の左の作品内も同様のスタイルの靴を女性は履いている。photos:Mariko Omura

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左:『Madame Jenny S.』(1920年)。ポール・ポワレで修行をしたクチュリエで、1920年代の社交界の女性たちに服を作っていた。© Adagp, Paris, 2022 © photo : Centre Pompidou, MNAM-CCI, Dist. RMN-Grand Palais / Guy Carrard  中:ヴァン・ドンゲンが描く女性のポートレートにおいて、常に宝石の輝きが大胆な筆使いで誇張されている。 右:『サロメ』(1920年)。野獣派時代から服に限らず顔の影などにもグリーンをよく用いていた。

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左:『Portrait de Suzy Solidor』(1927年)。1913年、彼はドーヴィルでモダンな女性たちに出会う。そのひとりがアンドロジナスな魅力の歌手スージー・ソリドールだ。©️ADAGP. Paris,2022 右: 短髪女性の“ギャルソンヌ”たち。©️ADAGP. Paris,2022

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展覧会の最後のテーマ「ドーヴィルの注文作品」。彼はドーヴィルのバー・デュ・ソレイユやカンヌのカジノといった場所で、商売人のように肖像画などの注文をとっていたそうだ。注文主たちは彼のモンパルナス、16区のアトリエで彼が催すパーティの常連でもあった。

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ヴァン・ドンゲンという画家の名に人が思い浮かべるのは、女性をモデルにした色彩豊かな作品ではないだろうか。彼が興味をもっていたのは女性の身体で、これは彼が20世紀の初めに“洗濯船”でピカソの隣人だった貧困の時代に始まる終生のテーマとなった。この展覧会でも、彼が描く女性の身体の変遷を見ることができ、また同時に彼が女性の社会的立場について興味をもっていたかを知ることができるのだ。また彼自身についていえば、華やかなお祭り騒ぎが好きで、自身の男らしさへの拘りが強かったこともこの展覧会を通じてわかる。

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『ネプチューンに扮した自画像』(1922年)。1922年に開催された仮装パーティ「海の舞踏会」で海の神に扮したヴァン・ドンゲン。この作品はその年のサロン・ドートンヌに出品された。ナルシストで露出狂的な面がある彼は、1935年には『裸の自画像』を残している。© Adagp, Paris, 2022 © photo : Centre Pompidou, MNAM-CCI, Dist. RMN-Grand Palais / Guy Carrard 

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左: 彼が用意した仮装パーティ用のマスクなども展示。 右: 本『Deauville 』の内容を壁に展示した中央に、Gustinus Ambroisiによるヴァン・ドンゲンの胸像(1939年)。

会場のレ・フランシスケンヌは19世紀末にできた修道院だった建物。海難事故による女子孤児たちがここに集められていた。パリのサン・ラザール駅から約2時間で到着するドーヴィル・トゥルーヴィル駅から徒歩で約18分だ。買い物や食事に便利なモルニー広場からは、徒歩12分の距離にある。なおレ・フランシスケンヌ内にもカフェ・レストランがあるので、街を歩き回る余裕がないときは展覧会後にここで食事をとってもいいだろう。

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左: 19世紀の建物をベースに生まれたレ・フランシスケンヌ。 右: 1階のカフェ・レストランに併設されたテラス席。photos:Mariko Omura

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レ・フランシスケンヌの大改装の担当建築家はFabio Bezzecchi。1階ホール。かつて修道院の中庭だった場所に、8本の鉄柱が支える屋根から無数のガラス棒が下がり太陽の光を集めている。photos:Mariko Omura

『Van Dongen、 Deauville me va comme un gant』展
開催中 ~9月25日
Les Franciscaines
145B, avenue de la République
14800 Deauville
開)10時30分~18時30分
休)月
料)10ユーロ

 

editing: Mariko Omura

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