フュースリとシッカート、“怖い絵”ファンをパリで待つふたつの展覧会 プティ・パレでは切り裂きジャック? シッカート展。

Paris 2022.12.15

“怖い絵”は中野京子の著作によって、絵画のひとつのジャンルとしてすっかり定着した感がある。5年前に上野の森美術館で開催された「怖い絵」展も大好評で、今年の春にはこのテーマで舞台作品も。こんな日本でのブームをパリの美術館が察知したわけではないけれど、目下パリ市内のふたつの美術館が彼女の著作シリーズの中で作品が紹介されている画家の展覧会を開催中だ。彼らの生涯にわたる創作活動に触れられるよい機会である。

 

フュースリの『夢魔』から1世紀以上が過ぎ、英国に再び現れたショッキングな画家がWalter Sickert(ウォルター・シッカート/1860~1942年)だ。父の国ドイツに彼が生まれたのはフュースリの死後のことで、8歳の時に英国に移住し、ヴィクトリアン朝に画家として活躍した。彼こそが連続猟奇殺人事件を起こしてロンドン中を震え上がらせた“切り裂きジャック”であると信じた推理小説家パトリシア・コーンウェル。私費を投じて彼女は調査をしたというエピソードがあるが、真実はさておき、シッカートがこの事件に関心を抱いていたのは確かであり、1908年に発表した『カムデン・タウンの殺人』が切り裂きジャック事件を彷彿させると話題にもなり、また同年に『切り裂きジャックの寝室』という作品を制作したのも確かなことである。

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ウォルター・シッカート作『Little Dot Hetherington at the Old Bedford Hall』(1888-89年)Collection particulière photo:© James Mann/Collection particulière

プティ・パレ美術館で開催中の「ウォルター・シッカート:描き、逸脱する」展は彼の作品を150点展示。フランスでこれほどの規模で彼の回顧展が開催されるのは今回が初めてだという。フランシス・ベーコンや、とりわけ11年前に亡くなったルシアン・フロイドに影響を与えたという具象画の巨匠である。会場では作品を時代順にテーマを絡ませながら紹介している。彼は第一次大戦後にイギリスで名声を築いたが、それ以前、20世紀の初頭にはディエップとパリでも展覧会を開催している。フランス滞在中にピサロ、ドガ、モネたちと親交を結び、パリやディエップで知り合ったフランス画家たちの描き方を英国にもたらしているものの、フランスでは忘れられた存在となっていた。

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 シッカートの巨大なポートレートに迎えられる展覧会。セクション1は「謎めいた人物」で、彼が生涯を通じて描いた自画像が並べられているのだが、これがおもしろい。フュースリが神父から画家なら、彼は俳優から絵画への転身である。扮装をした自画像を多数残しているのだ。セクション2は「学びの時代」。スレード美術学校で学び、1882年にジェームズ・マクニール・ホイッスラーのアトリエにおいて彼はキャリアをスタートした。短期間だが多大なる影響を彼から受けている。1883年にフランスでドガに出会い、友情を育んだ。その時代の印象派の影響が感じられる作品を展示。

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左: 展覧会場に掲げられたシッカートの巨大なポートレート。 右: 亡くなる7年前、1935年にグリザイユ画法で描いた自画像。写真をベースにしている。photos:Mariko Omura

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左: キリストが死から蘇らせたラザロに扮した自画像は3人目の妻テレーズ・レソールが撮影した写真をベースに制作。1927年。 右: デビュー間もない頃の作品『Rehearsal, The End of The Act. The Acting Manager』(1885-86年頃)。photo:© Christie’s Images/Bridgeman Images

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セクション3は「ミュージックホール」。彼は1880年代の終わりに、ミュージックホールをテーマに作品を制作し始めている。フランスではエドガー・ドガがなしていたことでもありテーマとして成立していたが、ヴィクトリア朝社会はこれを大衆娯楽とけなしていた時代で、ロンドンでは彼の作品はスキャンダルを巻き起こすのだ。シッカートの挑発的姿勢がここにある。

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左: サーカスや演劇の演者を描くだけでなく、観客や劇場にも彼は目を向けた。photo:Mariko Omura 右: 『The PS Wings in the O.P Mirror ou le Music-Hall』(1888-89年) © C. Lancien, C. Loisel / Réunion des Musées Métropolitains Rouen Normandie

セクション4は「魂を描く」。ミュージックホールの作品は買い手市場を見つけられず、また度重なる浮気に愛想を尽かした妻が去ったため彼女からの援助もなく、そんな時期、彼は肖像画で生計を立てていた。もっとも彼は偉大なる画家たちに倣って魂を描くことを目的としたため、ときに依頼者の気に入る仕上がりとはならなかったようだ。セクション5は「風景、ディエップ、ヴェニス、ロンドン、パリ」。肖像画も思うようにはいかず経済的に難しい時期を迎えた1890年代、彼は風景を描き始め、建築物にも関心を抱く。旅先で描き始めた風景画について、彼は旅から戻った後もロンドンで続けた。

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左:会場「魂を描く」から「風景」の部屋へと。photo:Mariko OMURA 右: 『Blackbird of Paradise』(1892年頃)。© Leeds Museums and Galleries, UK/Bridgeman Image

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左:シッカートはノルマンディー地方のディエップに数年暮らした。その間に描いた『L’Hôtel Royal Dieppe』(1894年) © Sheffield Museums/Bridgeman Images 右:こちらもディエップにて。『Bathers, Dieppe』(1902年)。© National Museums Liverpool/Bridgeman Images 

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セクション6は「モダンヌード」。1902年~13年にかけて、彼は裸体を多く描いている。ディエップで始めたが、主にヴェニスでの作品が多い。当時英国では裸体画は神話や寓話に題材を得ていたが、彼の作品はそれとは正反対だった。フランスのドガ、マネ、クールベたちから大きな影響を受けたていて、彼は自作の裸体画を語るとき“我がフランス時代”と表現したほどだという。ありふれたモデルを選び、自然なポーズの大胆さで画角を満たす作品を前に、ルシアン・フロイドの仕事を思い出す人も多いだろう。

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『The Iron Bedstead』(1906年頃) Courtesy Hazlitt Holland-Hibbert. © Hazlitt Holland-Hibbert.

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左: 『La Vénitienne allongée』(1903-04年) © C. Lancien, C. Loisel/Réunion des Musées Métropolitains Rouen Normandie 右: 仰臥する裸体をシッカートは多数描いている。photo:Mariko Omura

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セクション7は「カンバセション・ピーシーズ、“内輪の光景”」。彼は1930年代に再び劇場をテーマにするが、その直前の1910年代は当時英国で流行っていた演劇のスタイルにインスパイアされて、主に男女の人間関係にフォーカスした作品を制作した。彼の代表作で有名な『Ennui(倦怠)』(1914年)がここに含まれる。最後となるセクション8は「転換:晩年」。1914年からは、彼の表現による“最高の絵画法”について集中し、写真やイラストをベースに、それを絵画に転換することを始めるのだ。写真は自分で撮影することもあった。セクション8のパート2では、その方法を来場者がスクリーン上で試せるコーナーも用意されている。

ご覧のように展覧会では切り裂きジャックがらみのテーマは特に設けられていない。しかし彼が切り裂きジャックが住んでいたという部屋を借りたことを思い出させるかのように、会場の中程で彼がロンドン市内で転々とした様子を地図で示している。150点の中には不安をかき立て、どことなく不気味な印象を与える暗い作品が多数あり、シッカートの世界を堪能できる展覧会だ。

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左: セクション7。左が『Ennui(倦怠)』(1914年)、右は『Baccarat-the Fur Cape』(1920年)。 右: セクション8。シッカートが使用した写真機。photo:Mariko Omura

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セクション8では彼の晩年の作品を展示。

『Walter Sickert, Peindre et transgresser』展
会期:開催中〜2023年1月29日
Le Petit Palais
Av. Winston Churchill, 75008 Paris
開)10:00〜18:00(火~木) 10:00〜19:00(金~日)
休)月
料金:15ユーロ
www.petitpalais.paris.fr

editing: Mariko Omura

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