ミュージアムで待つ発見の旅(1) 忘れられていた新ロマン派、マルモッタン・モネ美術館に蘇る。

Paris 2023.05.26

奇妙でメランコリック、どこかダークな空気が漂って……と気を引く展覧会のポスター。16区のマルモッタン・モネ美術館で『ネオ・ロマンティック、忘れられたモダンアートの時期1926~1972』展が6月18日まで開催されている。 

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左: ポスターのビジュアルはウージェーヌ・ベルマンの『Sunset (Medusa)』(1945年)。後に自殺する女優の妻がうずくまる姿を上から描き、その頭髪はメドゥーサを想起させる。 右: 会場のエントランスにはサー・フランシス・ローズによる『L’ensemble』(1938年)が。制作された翌年にプティ・パレで展示されて以来、パリでは初の展示となる作品だ。200.5x350.5cmの巨大なトワルに描かれているのはフランシス・ピカビア、ジャン・コクトー、ガートルード・スタイン、アリス・B・トクラス、パヴェル・チェリチェフ、クリスチャン・ベラール、セルジュ・リファール、ジュリアン・グリーン、タイロン・パワー、ウエリントン・コー中国大使夫人など。これは描かれている人物たちから、新ロマン派の“想像上の芸術院”といった意味合いで会場に展示されている。photo:(右)Mariko Omura

シュルレアリスムの台頭により、その影になってしまったひとつのムーブメントであるネオ・ロマンティック。この具象への回帰を100点の展示で紹介する展覧会で、時代は1926年から1972年の50年間が対象。1939年以降はアーティストたちが第二次大戦を逃れてアメリカに渡ってからの作品が主となっている。このムーブメントのアーティストたちはというと、最近モナコの美術館でも回顧展が開催され再び注目されているクリスチャン・ベラール(Christian Bérard)、ロシア人のパヴェル・チェリチェフ(Pavel Tchelitchew)、レオニッド・ベルマン(Léonide Berman)とウージェーヌ・ベルマン(Eugène  Berman)の兄弟、そしてオランダ人のクリスチャン・トニー(Kristians Tonny)……。日本ではあまり知られていない名前ばかりかもしれないが、パリでこのムーブメントの周辺にはジャン・コクトー、クリスチャン・ディオール、ガートルード・スタイン、マリー・ブランシュ・ドゥ・ポリニャック公爵夫人といった当時きらきらと輝いていた有名人がいて、彼らをそれぞれの方法で支援していた。

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始まりが1926年というのは、ロワイヤル通りにあったドゥルエ画廊で社交界色の強いイベント的な展覧会が開催されたことから。これは奇しくも画家クロード・モネがジヴェルニーで亡くなった年である。若い画家たちが抽象にうんざりし、新しい具象を提案する展覧会で、これを見たアート批評家がすぐにネオ・ロマンティック派ということばで彼らの仕事を表現したのだ。このムーブメントについて1935年に芸術批評家で収集家のジェームズ・スロール・ソビーが“ピカソ以降”と“ピカソを模倣”というふたつの意味を持つタイトルの『After Picasso』を出版した。若い画家の仲間たちがピカソのパラ色の時代、青の時代に影響を受け、それを乗り越え、新たな道を探ろうとした意図を語る新ロマン派の一種のマニフェストだ。

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左: ドゥルエ画廊で1926年、エドゥアール・ヴュイヤール、モーリス・ドゥニ、フェリックス・ヴァロタンたちにランソン美術学校で学んだ若いアーティストたちの作品が展示された。ネオ・ロマンティックの始まりがここにある。 右: MoMAが所蔵するクリスチャン・ベラールの『海岸にて(ダブル・セルフポートレート)』(1933年)がカバーを飾る『After Picasso』。photos:(左)Studio Christian Baraja SLB、(右)Mariko Omura

マルモッタン美術館で開催されている展覧会は、1926年の展覧会以降、初めてこのムーブメントについて紹介する大がかりな展覧会である。まず1926年の展覧会の雰囲気を再現し、その後、クリスチャン・ベラール、パヴェル・チェリチェフ、ウージェーヌ・ベルマン、レオニッド・ベルマン、テレーズ・ドゥバン、クリスチャン・トニー、クリストファー・ウッド&サー・フランシス・ローズとそれぞれの作品を展示する部屋が続く。

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クリスチャン・ベラール(1902-1949)

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クリスチャン・ディオールの若い時からの親友で、ココ・シャネルにも愛されたベラールはベベの愛称で親しまれていた。仏「ヴォーグ」誌のイラストや劇場の舞台装置など手がけていたが、47歳の若さで他界。会場にはジャン=ミッシェル・フランクが1936年に室内装飾を手がけた16区のアパルトマンのためにベラールが描いた4枚の屏風も展示されている。photo:Studio Christian Baraja SLB

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クリスチャン・ベラールによるポートレート、彼のインテリアを描いたアレクサンドル・セレブリャコフによる水彩、南仏での庭園劇『真夏の夜の夢』のコスチュームを準備中のベラールを捉えた写真などを展示。photo:Studio Christian Baraja SLB
 

パヴェル・チェリチェフ(1898-1957)

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左: モスクワの裕福な家庭に生まれたチェリチェフ。1923年に移ったパリでガートルード・スタインに気に入られ、またバレエ・リュスの舞台芸術を担当するなど前衛芸術愛好家たちの間のスターだった。1934年ニューヨークへ移住する。身体にまつわる作品を多数残した。 右:『裸体』(1926年) photos:(左)Studio Christian Baraja SLB、(右)collection de Georgy et Tatiana Khatsenkov ©︎ Maxime Melnikov

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ウージェーヌ・ベルマン(1899-1972)、レオニッド・ベルマン(1896-1976)

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左: ポスタービジュアルの『Sunset (Medusa)』を描いたウージェーヌ・ベルマンもまたロシアのサンクトベテルブルクの裕福な家庭に生まれた。兄レオニッド・ベルマンとともに革命を逃れ、1917年にフランスへ。1935年アメリカへ移住する。映画『風とともに去りぬ』でレット・バトラーの愛人役を演じた女優オナ・ムンソンと結婚するが、鬱気味の彼女は1955年に自殺。写真の展示は『After Picasso』の著者ソビーからの依頼で制作した5点、その右はパリの前衛芸術のパトロンのマリー=ロール・ドゥ・ノワイユ。 右: 兄のレオニッド・ベルマン。貧困、彷徨を描き暗い作品が多い弟に対し、レオニッドは海の風景などを好んで描いた。写真は『Malamocco, Lagune Vénétieenne』(1948年)。photos:(左)Mariko Omura、(右)Collection de Georgy et Tatiana Khatsenkov  ©︎ Maxime Melnikov
 

クリスチャン・トニー(1907-1977)、テレーズ・ドゥバン(1897-1964)

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左: クリスチャン・トニー『D’apres Van Eycke(Gertrude Stein)』(1930-36)©︎ Allen Phillips / Wadsworth Atheneum 右: ネオ・ロマンティック派には珍しいフランス女性画家。『若い女性の肖像(自画像)』(1948年頃)個人所蔵、©︎ studio Christian Baraja SLB

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次いでクリスチャン・ベラールによる音楽家たちのメセナとして名高いポリニャック伯爵夫人の自宅の装飾のためのプロジェクト『音楽家たち』の絵画の一部が掲げられた下を抜けて、第2パートへと。ちょっと劇場内に入る、といった雰囲気である。

まずは「ヴァンドーム広場17番地、1939年7月5日」。 第二次世界大戦時ニューヨークに移住し、画商として名声を築く前の若きレオ・キャステリがここで登場する。資産家の妻を持つ彼は、1939年に友人のルネ・ドゥルアンとふたりで、ヴァンドーム広場17番地に画廊を開く。この画廊でアーティスティック・ディレクションを任されたのがレオノール・フィニ(1907~1996)だった。マックス・エルンスト、サルヴァドール・ダリ、パヴェル・チェリチェフ、ウージェーヌ・ベルマンなどといった友だちを持つ彼女は、この画廊のためにウージェーヌ・ベルマンとともに、“人間の形をした家具”をテーマに廃墟化した小部屋をイメージしたのだ。このためにベルマンによって制作されたトロンプルイユの衣装家具はロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館が所蔵し、彼女による2枚のパネルは個人所蔵である。1939年の展示以来初めて、この展覧会で当時のように展示されているのだ。

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1939年の「人間の形をした家具」展を再現。左右がレオノール・フィニ、中央がウージェーヌ・ベルマンの作品だ。photo:Studio Christian Baraja SLB

オペラ、演劇、バレエなどは新ロマン派がその本領を発揮できる素晴らしい分野。「劇場の舞台」のコーナーでは、彼らによるプログラムのカバーやポスターを多数展示している。最後のコーナー「ペーパー・バル」は映像にて。アメリカへと舞台を移し、コネチカット州ハートフォード市のアメリカ最古の美術館であるワズワース・アテネウム美術館において1936年に開催された舞踏会へと誘われる。富裕層が暮らす街における最初のハートフォード・フェスティバルでのイベントだ。美術館の学芸員アーサー・エヴェレット・オースティンは画商ジュリアン・レヴィと協力して新ロマン派の作品のプロモーションに務め、この舞踏会の会場装飾と招待客のコスチュームをチェリチェフとベルマンに依頼したのだ。ペーパー・ボールであるゆえ、全てが紙素材である。これにはアレクサンダー・カルダーも制作に参加した。彼が段ボールで象や馬の顔をかたどったコスチュームをつけたゲストたち……貴重なモノクロの映像がこの展覧会を締めくくる。

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左: クリスチャン・ベラールの絵画の下を抜けて、ふたつ目のパートへ。奥に見えるスクリーンで『ペーパー・ボール』を鑑賞する。 右: 劇場の催しのポスターやプログラムなどを多彩に展示。photos:Mariko Omura

展覧会のキュレーターは作家で編集者のパトリック・モリエスだ。装飾芸術界において、才能はあるものの何かの弾みで世間から忘れられたアーティストに関心を抱く彼。イラストレーターのルネ・グリュオー、ブロンズの詩人と呼ばれた女性アーティストのリン・ヴォートラン、写真家デヴィッド・サイドナーなどについての書籍を出版している。また昨年グランヴィルのリシャール・アナクレオン美術館で開催された『ラランヌ/動物園』展ではキュレーターを務めた。時代、分野さまざまに興味を抱く彼。リサーチをして集めたディテールが彼の頭の中でパズルのように寄せ集まり、ひとつにまとまって何かが生まれる。その実りのひとつがネオ・ロマンティック派。この展覧会の開催により、あまり語られることのなかったアート・ムーブメントについてフランス人も発見するのだ。

『Néo-Romantiques, Un moment oublié de l’art moderne 1926-1972』展
Musée Marmottan Monet
2, rue Louis-Boilly
75016 Par
開)10:00~18:00(火、水、金〜日) 10:00〜21:00(木)
休)月
料:14ユーロ
www.marmottan.fr

editing: Mariko Omura

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