スターシェフのアラン・デュカス、ビスキュイの味の追求を語る。
Paris 2024.10.25
「ル・ビスキュイ・アラン・デュカス」の製造販売が、10月24日から日本橋でスタートした。その"生みの親"であるシェフ、アラン・デュカスの話に耳を傾けてみよう。
パリのバスティーユに製造工房を設け、販売を行う"パリのマニュファクチャー"とうたうブランドの一番手は2013年のチョコレートの「ル・ショコラ・アラン・デュカス」だった。そして2021年にアイスクリームの「ラ・グラス・アラン・デュカス」、その翌年の2022年に生まれたのがビスケットの「ル・ビスキュイ・アラン・デュカス」である。この新しい挑戦について、彼はこう語った。
「ビスケットのエキスパートになる! こう決めたんですね。そしてそのために試作を重ね、いまでは最高のビスケットを提案しています。進化を続けているブランドで、その最初の海外進出先に日本を選んだのは、20年も前から私のビジネスの第2の国だからなんです。我々の製造業にどの国よりも関心を持ってくれる国が日本なのです。日本人はフランス人と同じように美味、そして卓越を追求していますね。好奇心も強い。食について言えば、ストリートフードからクラシックなものまで幅広く興味を抱いている日本人には驚かされます」
チョコレート、アイスクリーム、カフェ、ビスキュイに共通する"マニュファクチュール(manufacture)"。言葉の中にも手(main)を意味する"マニュ"が含まれているように、これは機械による大量生産が始まる以前の手を使った物づくりの方法だ。
「最高を作ると我々は決めました。いかにして最高のものを? それは、ゆっくりと作ることなのです。機械生産を試したものの、手づくりの少量生産とはその卓越度において全く異なりました。ほかのマニュファクチャー同様にビスキュイのシェフ、フローラも多くのことを少量の作業で進めていて、これはオートクチュールのビスケットなのです。モードにプレタポルテがあり、リュクスなプレタポルテがあり、またファストファッションもある。製造の異なる形態の消費が必要とされていますから、あらゆるレベルのものが存在すべきだと思っています。食の世界で言えばオート・ガストロノミーからストリートフードまで、ですね」
アイスクリームのラ・グラス・アラン・デュカスの誕生は、彼がイタリアで食べたグレープフルーツのアイスクリームがきっかけだった。それを作ったマテオと一緒に働きたいと思ったことからブランドが生まれたというエピソードがある。ビスキュイのシェフのフローラ・デヴィスとはどのように?
料理学校で製菓を学んでいた最終学年の時に、エッフェル塔のレストラン「Jules Vernes」で研修をしたのが彼女とアラン・デュカス・グループとの出会いである。その後、グループによるシャルル・ド・ゴール空港内のエア・フランスのファーストクラスのサロンで彼女はシェフを一時期務めている。2021年のラ・グラス・アラン・デュカスのオープンに関わり、その数カ月後にビスキュイの責任者に任命されたのだ。
「彼女は私のレストランのパティシエだったので、以前からよく知っています。彼女なら"最高のビスキュイ"のスペシャリストになれると感じました。世界最高のビスキュイを作る可能性、作ろうとする意欲の持ち主です。それで一緒に多くの仕事をしました。仕事なしに天才は存在しませんよ。才能と仕事の両方が必要です。彼女が最高になるべく我々のチームのエキスパートが彼女に付き添い、いまや彼女はビスキュイの最高のスペシャリストだと言えます。彼女は、そう、チャーミングな人柄ですね。それに加えて情熱の持ち主です。最高のビスキュイを作ることに情熱を傾け、その情熱をシェアしています。実に大きな責任を彼女は背負っていて、仕事は簡単ではない。でも彼女は悠然と構え、広い心で物事に接しています。良いことですね」
デイヴィスはチョコレートのシェフのカンタンやカフェの焙煎職人のヴェダと、横の繋がりをクリエイションに生かしている。バスティーユの1カ所にマニュファクチュールをまとめた裏には、それがもともとデュカスの頭の中にあったことなのだろうと思いきや、「いえ、それぞれの知識を交換し、分かち合ってるのは彼らが自発的に始めたことなんですよ。カフェの焙煎職人ヴェダがチョコレートのシェフにカフェの焙煎を教え、チョコレートのシェフはデイヴィスにその専門知識を伝授して......とリサーチを怠らないチームなんです。万能なサヴォワールフェールを持つ人は誰もいません。交換することによって、各人がより良くなってゆくのです。我々は豊かな専門知識を持つ企業なのです」
もっともカカオの焙煎にどれだけ優れた人がほかにいても、アラン・デュカスが率いるチームほど上手にはできないとも彼は語る。その違い、それは道具だ。
「よそのショコラティエたちは現代的な機械を持っているけれど、我々が作るほどおいしく作れないのです。古い機械が必要なのです。たとえば我々が使っている粉砕機は1950年の機械を修復したもので、現代の機械に比べるとパフォーマンスは落ちますけど、素材の持つ風味を害することなく粉砕作業をします」
"異なる方法で"。語る中でデュカスが何度も口にするのがこの言葉だ。古い機械についても、これは当てはまる。ビスケットの基本素材となる粉についてもそれは同じ。どのようにこれまでとは異なる粉挽き方法で?と探った結果、焙煎してから挽いたトウモロコシの粉が選ばれたのだ。
「焙煎された穀類を挽くと、ただ挽いただけの穀類とは異なる固さがもたらされるのです。チョコレートでもたとえばイタリアのドモーリに比べるとうちのはカカオの挽き方が粗いのですが、それが深い味わいをもたらしています。焙煎した穀類においても言えることで、つまり粒度分布(グラニュロメトリー)が違うのですね。技法、素材、ありふれたものではない味わいの提案......これらのリサーチを絶え間なく続けています。過去に存在するのと同じものを作ることには興味がありません。過去のものよりベターを。我々のは最高だ、と言うのはとても野心的ですが、我々は時間をかけて仕事をしているし、素材探しも素晴らしいのです」
このように多くの違いが積み重なって、世界一おいしいビスケットが出来上がるのだ。日本で作るビスキュイは穀類については国産を使用する。日本のル・ショコラ・アラン・デュカスのシェフがビスキュイも担当し、彼は焙煎したトウモロコシの粉を日本で見つけることができた。「日本でもパリと同じ水準のエクセランスを提案できるんです。シェフはもう何年もの間、日本で働いているので見つけるべきものを心得ていますから僕は安心です」と語るデュカス。
さて、日本橋のブティックに並ぶ多数のル・ビスキュイ・アラン・デュカスで、ブランドを理解するのに最初は何から!?という問いの答えは、「サンポール」と「ピュール・ブール」だった。そして、その後徐々に凝ったビスケットへ、とのこと。
ゆっくりと作られたビスケットは、ゆっくりと味わってこそ真価がわかる。彼の語ることを聞くと、頬張ることなくひと口ずつ、その食感と味覚に集中してビスケットを味わいたくなる。ちなみに彼自身の子ども時代のビスケットは、いまもフランス中のスーパーマーケットで買えるおやつの定番的存在の「LU(リュ)」だったそうだ。そのビスケットを象った大型の陶器がパリのブティックのカウンターに置かれている謎が、これで解けた!
editing: Mariko Omura