
2024年のパリ五輪の会場グラン・パレ・エフェメール
東京五輪が開催された場合、3年後のパリ大会の開催国としてマクロン大統領が開会式に出席することが発表されましたが、残念ながらフランスでは東京五輪の話題があまりにも乏しくて、フランス人からすっかり存在を忘れられているように思う。
一方で、お店のお客さんの会話に挙がるのが、エッフェル塔があるシャン・ド・マルス公園に完成したばかりのグラン・パレ・エフェメール( Le grand palais éphémère )。1900年にパリ万国博覧会のために建設されて以来、美術館・展示やイベント会場としてパリの人々に馴染みの8区のグラン・パレが工事中の間、代わりの会場として建設されました。2024年のパリ五輪の会場としても使用し、その後は解体されることが決まっている。エフェメールはフランス語で「仮の、一時的な」という意味で、グラン・パレ・エフェメールとはそのまんま「仮設グラン・パレ」。仮設といっても、有名な建築家ジャン-ミッシェル・ウィルモット氏が手掛けた10,000 m2もある立派な建造物です。
ガラス張りで、正面入り口から覗くと向こう側にエッフェル塔(工事の人達の奥)が透けて見えます。ガラスに映っているのは、モットピケ通りを挟んで向かいにあるナポレオン・ボナパルトも在籍したエコール・ミリテール(旧陸軍士官学校)。
お客さんが話題にしているといっても、実は好評の真逆で、評判が悪いったらない。店に来てくださるフランス人のお客さんの多くがこの公園に面したアパルトマンに住んでいるので、工事の騒音が酷い、景観が悪くなった、大勢の人が訪れると治安が悪くなる、他にいくらでも代用できる会場があるのに税金の無駄遣い、醜い外見、オリンピックが始まったらあちこち通行止になって不便極まりないと、散々な言われよう。
私は開放的なきれいな建物でなかなか素敵だと思っているのだけど、そこの住民ではないし、何より反対の意見を言うと火に油を注ぐだけなので「そうですか」とただひたすら相槌を打っている。シャン・ド・マルス公園近辺はパリで最も時価が高い土地で、豪奢なオスマン建築のアパルトマンが立ち並び、特権階級の住民が多い。変化を嫌うフランス人の、その最たる人達がこのシャン・ド・マルス界隈の住民達だからだ。私がこの界隈で働くようになって驚いたことに、自分でシャンプーとブローをしたことがないという人がごろごろいる。予約や支払いですら人任せで、連絡や雑事は全て執事が取り仕切っている人もいてまさに別世界の人達。
数年前に惜しくも106歳で亡くなられたマダムDは、パリ万博が終わった後に住宅地として売りに出されたそのアパルトマンを、新婚だった両親が建物ごと購入してそこで産まれた。建物全部が自分の家だから、最初は最上階に住んでいたけれども、足が弱ってくる度に下の階に移動して、私が出会ったときには管理人が住む地上階(日本の1階。パリの多くのアパルトマンは地上階は管理人が住み、2階以上が住宅になっている。)に住んでいた。
マダムLのお宅はまさにグラン・パレ・エフェメールの真横で、用事があってお伺いしたら居間の全ての窓からもバルコニーから見えるのもグラン・パレ・エフェメールで、本来は見晴らしがすごく良いはずなのに視界が殆ど遮られていて、怒るのも無理ないと同情してしまった。「私達の税金を使ってこんな物を建てて、その税金でたった3年で壊すなんて馬鹿げている!」と怒り心頭の様子。この界隈の住民が支払う税金は、きっとグラン・パレが何個でも建てられそうなほど莫大な額に違いないけれど、一体いくら払っているんだろう?
87歳のマダムMも産まれたときから住んでいる人で、公園を挟んで反対側のやはり公園に面したアパルトマンに82歳の従姉妹が住んでいて、兄妹親戚の中で生き残っているのは自分達だけになったし毎日のように公園を突っ切って往き来していたのに、グラン・パレ・エフェメールのせいでぐるっと回り道しなくちゃならないと文句ブーブー。「パリオリンピックが終わるまでの3年の我慢ですよ」と言ったら、「人がどっと押し寄せて来て、年寄りの静かな生活が脅かされるのよ。オリンピックまで生きていたくない!」とエステを受けながら息巻いていましたが、ご両親も100歳まで元気だったというし彼女の願い通りにはならないだろうなぁ・・。
コロナは2024年のパリ大会までに収束していると楽観視しているフランスに対して、カフェやレストランのテラス席や美術館・劇場の営業再開で警告を発している専門家や医療関係者。さて、東京五輪は、そしてパリ五輪はどうなるんでしょう?!
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