Comme d'habitude 〜パリ・東京行ったり来たりblog〜

ヴェネツィア巡礼

もうちょっとヴェネツィアブログを

今回改めて気がついたことや知ったことが色々だったヴェネツィア。
例えば、
カトリックなので当然教会は沢山あります。更に"Scuola"(スクオーラ)という建物が多いのです

特に印象に残ったのは、"Scuola Grande di San Rocco"(スクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコ)

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「スクオーラ」は、イタリア語では「学校」「同業者組合」という意味なのですが、ヴァネツィアでは「信者会」
共通の職業や出身地で団結した中産階級の人達が団結して作った集会堂だそう

一見、入口は質素というか普通ですが、中は絢爛豪華です
(室内は撮影禁止なので、以下2点画像はお借りしました)

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とにかく、どこもかしこも装飾が施され、「ティントレット美術館」と呼ばれるほど、彼の絵が沢山
2Fの大広間の天井は、思わず言葉を失う豪華さ。
しかも鑑賞用に「鏡板」が置いてあります。長時間天井を見上げていると首が疲れてしまうので、
お盆のような鏡を使って天井の作品を鑑賞する、というなかなかユニークな工夫。

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「スクオーラ」の豪華さを見れば、当時のヴェネツィアの豊かさを実感できる、という感じでした。

続いて、こちらは"Ca'd'Oro"(カ・ドーロ)と呼ばれる宮殿&美術館
「黄金宮殿」という意味の建物で、大運河に面したこのファザードは、かつて金で装飾されていたそう。

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内部は現在「フランケッティ美術館」になっています。
(室内は撮影禁止ですが、中庭とバルコニーはOK.)

中庭にはモザイクが綺麗な床、装飾の凝った井戸がありました。


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何より、バルコニーからの大運河の眺めは美しく、映画の主人公にでもなった気分
(この時は逆光でちょっと眩しかったけど・・・)

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かつては金で装飾が施されていたという話からも、これまた貿易によって潤っていたヴェネツィアの
豊かさを感じます。


印象に残った教会は、"San Zaccaria"(サン・ザッカイア教会)
中央にドームがあって、左右に小さなドームが対称に並ぶこのファザードデザインは、ヴェネツィアの
ルネッサンス様式の典型。

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こちらは、珍しく室内撮影可能でした。(フラッシュ禁止)

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ジョヴァンニ・ベッリーニの「玉座の聖母と諸聖人」という傑作。

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この教会も入るのに3€かかりますが、教会右手の「サンタ・タナシオ礼拝堂」に入るには更に1€必要です。
せっかくなので入ってみると、地下に続く階段がありました。

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ちょっとしっとりした空気の地下には、クリプタ(納骨堂)が。

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そしてまた階段を上がると、そこは一際明るく光が差し込む礼拝堂。

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ヴァネツィアの街を歩き、そして教会やスクオーラを見ていると、ローマをはじめとした他のイタリア地域と
違うな~という印象を抱きます

その歴史を知る中で、ヴェネツィアはとても長い間、ドージェ(総督)をトップにした議会制の共和国
であったということ改めて知りました

ヴェネツィア共和国は、20歳になった貴族の男子全てに共和国国会議員の資格があり、その中から
約100名が元老院議員となり、更にそのうち10名が国家機密を決定する委員、そして総督補佐6名、
一番トップの「ドージェ」(総督)の17名が「十人委員会」と呼ばれ、組織されたそう

そして貴族となり、政治に参加できる人達が元々は船を使っての貿易で一財産築いた人も多い、と。
なのでスクオーラのような組織、活動が活発になったようです。

貿易により資金も潤沢ですし、ローマの権力に従わずとも、自分達独自の政治、経済、文化を推進する
ことができた結果、他とは違うヴェネツィア国が出来上がったのだと知りました。

そんなヴェネツィア共和国の国会、行政、裁判をつかさどり、ドージェ(総督)が居城としたのが
サン・マルコ広場の南側にある"Palazzo Doucale"(ドゥカーレ宮殿)
(室内撮影禁止のため画像はお借りして)

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とにかく広い!そしてティツィアーノやヴェロネーゼなど傑作だらけ。

それらの絵画鑑賞もいいですが、ヴェネツィアと言えば~、色男「カサノヴァ」
そのカサノヴァも一時投獄されていたという牢獄は、壁にはイタズラ書きなのか?囚人達の言葉なのか?
な言葉がいっぱい。狭く天井が低かったです

そして宮殿内にある裁判所で有罪判決を受けた囚人が渡ったという「溜息の橋」(Ponte dei Sospiri)
を渡りました。
もう外には出れない、この世に別れを告げて溜息をついたことから、こんな名前になったそうです。

(ここは皆さん写真を撮っていたので、私もちょっと囚人はこんな眺めだったのか?と思い、
狭い窓枠からパチリ。すぐ近くにいる人達がなんだかとても遠い人、遠い世界に見えました

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そして、今回お目当ての"Sala del Maggior Consiglio"(大評議の間)
ここには、世界一大きいと言われる油絵でティントレットの"Il Paradiso"(天国)があります
壮観です。

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見たかったのは、この絵に加えて、この部屋の周囲を取り巻く歴代ドージェ達の肖像画の中のある1枚。
肖像画は76枚あるのですが、そのうち1枚だけが真っ黒に塗りつぶされてしまっているのです

それは"Marino Farlier"(マリーノ ファリエール)の肖像画。
裕福な家庭に生まれ育ち、20歳で議員に、30歳ちょっとで十人委員会に、その後は各地で陸軍、海軍の
指揮官としても活躍。1354年70歳を越えた頃に、ついにドージェになった優秀な人

家柄、財力、経歴、ともに完璧なドージェで周囲からの期待も大きかったそうですが、就任後半年もしない
うちに自分が絶対君主となるべくクーデターを企てた容疑で捕まり、処刑されてしまった人

歴史上は、ドージェの謀反ということでヴァネツィアの歴史から消すべく、肖像画が真っ黒に塗りつぶされて
ますが、実際には70歳を越える彼は何を企てたのか、本当は何が起こったのか

「政治」はたぶん今も昔も変わりなく、力と力の関係の中、ハメたりハメられたりがあるなぁと思うと、
色々と想像力も働き、なかなかその真っ黒な肖像画から離れられませんでした。


ちなみに美しいこの建物正面ですが、柱の色が2本違います。
(この写真だと左から4本目と5本目)

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このピンク色の柱の間がドージェがカーニバルを見学する指定席だったそう。
と、同時にこの場所は死刑囚の処刑宣告と執行も行われた場所
このキレイな柱の間で絞首刑も行われた・・・と思うと、ちょっと怖くなる瞬間でした

さて、ドゥカーレ宮殿を出ると目の前に高い鐘桜があります。
昔は灯台の役割を果たしていたそうで、ラグーンを一望できます。

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この鐘楼は1902年7月4日の朝、突然倒れて崩壊
でもまわりの建物に被害は無く、一人の死傷者も出なかったそうです。
これは、ヴェネツィアの奇跡として語り継がれているそうです。
(元のままの姿で1912年に再建)

まだまだ沢山の不思議やミステリーが眠るヴェネツィアにまた来たい
そして古寺巡礼気分でミステリーを探りながら?ゆっくり丁寧に見たいです

おまけのパリ

チューリップがキレイな季節です。

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本場オランダのチューリップ畑もいつか見てみたい!と、公園のチューリップを見る度に思うのですが
なかなかオランダに行く機会がありませ~ん

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KEICO

新潟県の老舗旅館に生まれ育つ。
上京、進学、就職、まさかの出逢い?で結婚し2004年渡仏。
現在は夫と共にパリ・東京を行ったり来たりな生活中☆
そんな毎日からのグルメ・ファッション・カルチャー・バカンスなどの話題を中心にブログ更新致します。

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