ベルト・モリゾ展☆Musée d'Orsay
只今Musée d'Orsay(オルセー美術館)で開催中の“Berthe Morisot”(ベルト・モリゾ展)。
女性印象派画家の一人、Berthe Morisot(ベルト・モリゾ)の1860年代から最晩年の1895年までの画業に焦点をあてた展覧会です。
私が初めてBerthe Morisot(ベルト・モリゾ)と言う名前、存在を知ったのは有名印象派画家の一人で「近代美術の父」とも言われるエドゥアール・マネ(Édouard Manet)の作品中のモデルとしてでした。
マネ作品に描かれた彼女は元祖パリジェンヌ風に黒がよく似合い、その黒によって美しさが引き立った印象的な人だな〜と。
マネにとってモリゾは作品のモデルあり、弟子であり、おそらく恋愛関係だったのでは…と言う親密な関係。
でもそんなモリゾはマネの弟と結婚したという現実。。
恋愛関係は当人同士にしかわからないものですが、なんだかぐちゃぐちゃしていたのかな…?とつい想像もしてしまいます。
さて私が訪れたこの日、本展は大盛況でその賑わいにベルト・モリゾ人気を感じました。
モリゾはフランス・ブルージュのブルジョア階級の生まれで不自由なく育ちました。
イブとエドマという2人の姉と弟ティブルセの4人兄弟で家族は1852年にパリへ移ります。
当時のパリでは上流階級に生まれた女性たちが美術教育を受けることが一般的になってきたため、モリゾ姉妹も美術を学びます。
美大生としてモリゾとエドマは一緒に学んでいたのですが、エドマは結婚をきっかけに画家の道を諦め、その後ほとんど絵を描かなくなってしまいました。(もう一人の姉イブも結婚)
そんな仲良し姉妹だったというモリゾの作品には姉とその子供たちが多く描かれています。
姉が結婚をきっかけに絵画の世界から離れてしまったのは仕方ないことだと思うけれど、モリゾは寂しかったはず。
今は女性も好きな仕事や趣味を続けなら家庭を築くこともできる時代になってきたとは言え、今も昔も女性にとって「結婚」はそれまでの生活、キャリア、友達づきあい、交友関係が変わるきっかけにはなってしまう。。
K「結婚するとね〜女は何かと不自由になることがあるのよねぇ」
夫「嘘?! 君、結婚してどんどん自由になってるよね?」
K「・・・。」(そう見えるのか…心外だ)
姉エドマは結婚後もモリゾに芸術活動を続けるよう励まし、二人の関係は良好だったそう。
モリゾが最初にサロン・ド・パリに参加したのは1864年で、当時23歳。
2枚の風景画(本展の入口看板になっている「穀物畑」)を出品し入選。
その後も1873年までサロンに定期的に参加し好評を得ます。
そして1868年、モリゾはマネに出会う!
マネに絵画を学び、彼のモデルを務め、マネとの恋仲も噂され…。
1874年、モリゾはマネの弟ウジェーヌ・マネと結婚し、1878年に娘ジュリーを出産。
ジュリーはモリゾの作品に多く描かれました。
モリゾ作品の多くは姉、姪、娘など家族と友人の肖像で、どれも観ていて穏やかで明るく優しい気持ちになれ、とても女性的。
白を多く使うことも特徴の一つだそう。
この当時裕福な家庭の女性が絵を学ぶことはあっても職業にすることはなかった中でモリゾは夢を実現し、そのために結婚を諦めたりもせず子宝にも恵まれ、そもそもの育ちも良く、はたから見たら恵まれた、そして望むものを自分で手にしたとても現代的なカッコイイ女性のイメージです。
唯一残念だったとすれば、その人生がそれほど長くなかったこと。
1892年に夫が亡くなり、その三年後にモリゾも肺炎で死去(享年54歳)。
愛娘のジュリーは16歳で孤児になってしまったのですが、モリゾの死後、詩人で評論家のステファヌ・マラルメがジュリーの後見人となり、親戚のもとで暮らしたそう。
モリゾやマネの印象派仲間らもジュリーの生活をサポートし、中でもルノワールは彼女をモデルにした絵を描いたりしています。
そして1900年にジュリーは画家で甥のエルネスト・ルアールと結婚。
最期まで一人娘を心配していたというモリゾは天国でホッとしたことと思います。
さて、本展で私が一番好きだったのは「化粧室の女性」。
後ろ姿から感じる何気ない日常的な仕草や素敵でした☆
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