
Musée Maillol☆久しぶりの常設展
今年2月、パリ7区にあるMusée Maillol(マイヨール美術館)で、特別展“Du Douanier Rousseau à Séraphine Les grands maîtres naïfs”(アンリ・ルソーからセラフィーヌまで:ナイーヴアートの巨匠たち展)を鑑賞した際に久しぶりにゆっくり観て回ったのが常設展。
(関連ブログ→ https://madamefigaro.jp/paris/blog/keico/post-1123.html )
特別展では度々訪れているMusée Maillol(マイヨール美術館)ですが、彫刻家アリスティド・マイヨール(Aristide Bonaventure Jean Maillol)にあまり興味がない私は時間をかけてゆっくり鑑賞したのは初めて来た時ぐらい。
その後は、特別展の後に見てもサーーっと流す程度、鑑賞しないことの方が多かった。。
若い頃恵比寿ガーデンプレイスで度々目にしていたマイヨール彫刻の女性はぽっちゃり太め。
当時はスーパーな体型なスーパーモデルブームで、私も雑誌などで細く、長く、頭の小さいなモデルたちを眺めてはうっとりしていました。
なのでマイヨール作品の太めの体に美しさを見出せず、興味関心が湧きませんでした。
しかし、これがまたパリ暮らしがきっかけで様々な芸術作品や文化に触れる中で、「細いボディライン=美しさ」とも限らないことを知りました。
時代や国よっては女性は太めな方が美しいとされる、されたことも知り、美しさが一つではないことを理解しました。
そして実際色々な作品を鑑賞する中で、丸みのある女性の体に魅力を感じるようにもなりました。
そこには女性として、人として、成熟した感や包容力、ぬくもりを纏っているようで、特に気持ちが凹んでる時や疲れた時などは眺めているとホッと癒されました。
こうしてようやくマイヨール作品にも興味を持ち始めた今日この頃のタイミングでの常設展鑑賞でした。
その展示室の最初にドドーンと壁一面の少女とおじいさんの画像に目を奪われますが、意志の強そうな彼女がDina Vierny(ディナ・ヴィエルニ)。
マイヨールのミューズで、数々の作品モデルになったロシア人女性です。
2人が出会ったののは、ディナ・ヴィエルニが15歳、マイヨールが75歳の時。
その後マイヨールが亡くなるまでの約10年間、彼のモデルとなったディナ・ヴィエルニ。
マイヨールの死後、彼女がマイヨール作品を管理し、パリとマイヨールの故郷バニュルス=シュル=メールにマイヨール美術館を設立しました。
これまでも何度かざっくりとマイヨールのクロノロジーは目にしていたと思うのですが、興味がないので右から左、記憶に残っておらず、興味が持てて初めてちゃんと頭に入ってきました。
意外にもマイヨールが彫刻を始めたのは、40歳を過ぎてから。
<自画像>
マイヨールは1861年、フランスの南端、スペイン国境の地中海沿岸の小さな村バニュルス=シュル=メールの織物商の子として生まれました。
画家を目指して20歳でパリへ出て、エコール・デ・ボザールに学ぶもその授業に失望。
モーリス・ドニ、ボナール、ヴュイヤールとともにナビ派の小グループに加わります。
彫刻家のイメージが強かったので、私にはこうして改めて観る絵画作品は新鮮でした。
(確かにナビ派な印象)
そして同い年の彫刻家アントワーヌ・ブールデと知り合い、ポール・ゴーギャンからも大きく影響受けた、と。
それを知ってから鑑賞すると、なるほど!と思えるわけで。。
自分の絵画に満足できなかったマイヨールは生まれ故郷に戻ってタピスリーや織物製作をスタート。
視力が弱くなったこともあり、1900年以降は彫刻へ向かうようになりました。
1902年の初個展で作品「レダ」を巨匠ロダンに絶賛され、彫刻家に転身。
パリ郊外のマルリー=シュル=オワーズに移転して制作を続ける中で、1934年にディナ・ヴィエルニーと出会ったのです。
第二次世界大戦中の1944年、故郷バニュルスで交通事故に遭い82歳で死去。
その作品テーマは一貫して裸婦像。
マイヨール作品は単に太いわけではなく、肉体のフォルムを究極までに単純化、抽象化したことが評価されたことを知りました。
優しさと強さを合わせって持っているようで、この日鑑賞してようやくマイヨール作品にちょっと近づいた気がしました。

と言うわけで、今後は特別展の後も常設展を繰り返し鑑賞したいと思います!
ARCHIVE
MONTHLY