
ダ・ヴィンチが暮らしたクロ・リュセ城☆
今回私達がロワールの旅を選んだ理由は、久しぶりだから!もありますが、今年2019年はレオナルド・ダ・ヴィンチの逝去、シャンボール城着工、カトリーヌ・ド・メディシスの生誕500周年のアニバーサリーイヤーだから。
と言うわけで、しっかりデジュネをいただいた後にまず向かったのは、「クロ・リュセ城」(Chateau du Clos Luce)。
緩やかな坂道、カラッと暑い!
途中切り立った山の岩肌を掘った住居を発見。
廃墟になったものもあれば現在も生活されている様子の洞窟の家々。
到着!
この建物は1471年に国王ルイ11世のお抱え料理人エティエンヌ・ル・ルーによって建てられたもので、その後1490年に国王シャルル8世の所有地となり、以降2世紀に渡りフランス国王の居住城、夏の別荘として利用されました。
その歴史の中で最もこのお城を有名にしている理由とも言えるのが、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
1516年に当時の城主フランソワ1世がレオナルド・ダ・ヴィンチを招き、彼が1519年5月2日に亡くなるまでの生涯最後の3年間をこの城で過ごしたのです!
見学コースはまず監視塔に登り、回廊を渡りながらスタート。
朧げな記憶の中で唯一はっきり覚えいたのがこの回廊。
前回来たのは7月の初めだったのですが、どんより曇った冷たい雨の日。
この回廊から見る景色も寒々していたのが、今日はあの日と大違いの夏空☆
回廊から見える広々と広がるレオナルド・ダ・ヴィンチパーク。
つくづく旅の印象は天気に左右される…。
天蓋付きの立派なベットの「ダ・ヴィンチの寝室」。
ここでかのイタリア・ルネサンスの巨匠が寝起きをしていたと思うと感慨深いというか、彼が見ていたものと同じ雰囲気、景色を自分が目にしていることが面白い。
シャルル8世の命により妻で王妃のアンヌ・ド・ブルターニュのために建てられた「アンヌ・ド・ブルターニュの小礼拝堂」。
幼い子供たちを亡くした王妃がアンボワーズ城の喧騒を離れてここで静かに涙を流し、祈っていたそう。
天井のフレスコ画が綺麗でした。
それはダ・ヴィンチのアトリエの画家たちによって描かれたと伝えられています。
ダ・ヴィンチのアトリエ。
ダ・ヴィンチは亡くなる直前まで「モナ・リザ」「聖母子と聖アンナ」「洗礼者聖ヨハネ」の3作品を仕上げるために最後まで手を入れ続けたそう。
ルーヴル美術館のシンボル的な有名作品、代表作の最後の仕上げがここで施されたとは!と思うとこれまた感激。
かしこまって美術館で眺めるよりもリアルとい言うか、こちらがレプリカなのに絵がイキイキと感じられる気も?!
そしてこうしたアトリエや書斎から自由で奇抜な発想をもとに次々と制作のアイディアが生れたのね〜と。
画家、建築家、技師、彫刻家、発明家など溢れる才能に恵まれたダ・ヴィンチってスゴいよね…の感想しか出てこず。
個人的にはお屋敷探訪の中で「書斎」を見るのが好き。
とは言え私自身は他人に自分の本棚を見られるのはちょっと恥ずかしい…。
普段あまり語っていないことでもその人の興味関心、趣味嗜好がチラチラ見えてまう本棚は人を語る一面があるかな、と。
ダ・ヴィンチが来客を迎えた大広間。
壁にはさり気なく「モナ・リザ」。
元々はこんな感じで晩年のダヴィンチに寄り添っていたのかも。
発明品の展示コーナーには土木・軍事、機械学、水力学・光学、航空力学といった様々な分野の発明品の模型や設計図とそれらをグラフィック映像で紹介。
自動車、旋回橋、飛行機、パラシュートなど。
中でも十数年前に初めて見た時、一番印象に残った「戦車」と再会。
今でこそ戦車のデザインは戦車として知るところですが、16世紀に史上初として考え出したダ・ヴィンチの発想力はすごい。
作ってみたいものが後を絶たなかったであろうダ・ヴィンチにとって67年の人生(当時としては長生きな方?)は短かかっただろうと思う。
お、これだ!アンボワーズ城に繋がっていると言う秘密の地下道。
なんか最近つまんね〜な〜とか思ったフランソワ1世がダ・ヴィンチおじさんはまた何か面白いこと考えたかな?見に行こう!と、お忍びで会いに来ていたことを妄想すると楽しい。。
そもそも秘密の部屋とか地下道とかは、秘密を目撃してきた場所だと思うとドキドキするし。
以前来た時に比べると公開スペース、展示物も増えだいぶ観光化が進んだ印象で改めて知ることも色々だったクロ・リュセ城。
緑が眩しいお庭を通ってダ・ヴィンチが晩年を過ごしたお城を後にました。
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