
私の美の世界☆
タラランタ、タン、タララーーン♬
最近毎朝、朝食後30分流れるピアノの音色。
この度の外出自粛に乗じて購入したエリック・サティのピアノ楽譜。
って、私じゃないのですよ…。
毎朝奏でているのは、夫。
夫「どう?ちゃんとサティに聞こえる?最近どんどんサティっぽくなってきたと自分では思うんだけど」
K「うん。サティって簡単なんだね〜!」
夫「簡単じゃねーよ!!」
「まったく君はシラ〜っとした顔で失礼なこと言うよね…」
と言うわけで毎朝我が家のピアノからは、なんちゃってサティが聞こえてきます。
その後に私はCDをかけて(やっぱプロが弾くと違うわ〜を感じながら)楽しむのが読書。
まずは毎朝1ページの日課からスタート。
それは掃除したら出てきた、2年前に途中でストップしてしまった『The Intellectual Devotional』 。
頓挫したきっかけは、右手首の骨折。
あの当時は、お風呂もお手洗いも着替えるのも一苦労、左手での食事はこぼしまくりな不自由を経験しました。
あの生活を思うと今の外出自粛なんてちゃんちゃら朝飯前だぜ〜な気がします。
篭ることも何かとストレスではあるけれど、自分の体が思うように動かせないこと、初めは夫にも迷惑をかけてすまなく思っていたのに慣れてくると掃除などしてもらっても「そうじゃない、ここもちゃんと!」な気持ちになってイラッとしたり、精神衛生上よろしくなかった。
と、あの頃の自分の不甲斐無さを思い出しながら1日1ページを再開。
雑学って面白い!
とにかく多くの方々と同様に、この外出自粛中は普段よりも読書量アップ。
(↑ 「進撃の巨人」は漫画だけど)
1冊に集中せず、いろんなジャンルの作品を並行読書。
(その方が頭の体操になると聞いたので)
K「こんな本、いつ買ったんだろう…」
夫「俺。おもしろそうでしょ、デブ菌♬」
きっかけはデンマーク映画でハマった『特捜部Q』シリーズや、ユイスマス展@オランジュリー美術館で興味が湧いた『さかしま』。
友人に借りた時代物な宮部みゆき作品『孤宿の人』、フェルメールファンとしては、触れておいた方が良いだろうと思うフェルメールを再発見させた人物テオフィール・トレについて書かれた『美のヤヌス』等々。
中でも先日読み終わった、コメントでNさんに教えていただいたエッセイ『私の美の世界』(森茉莉)は、今読んでも古さを感じさせない面白さでした。
出版されたのは、1968年。(2012年に改版)
知らなかったのですが、森茉莉(もりまり)は、森鷗外と彼の2人目の妻・志げの長女。
さすが文豪の娘!な、その文章はしなやかに切れ味鋭く、パリに暮らした経験がある彼女によるパリの街、パリ人の描写は今も昔も変わらなぬリアル・パリ。
グルメ話、オシャレ話もある一方で、フランス人のケチぶりもスパッと歯に衣着せぬ風で思わず笑ってしまったり、美人じゃないが雰囲気を持った女性の描写にその顔や雰囲気が目に浮かんだり。
個人的にはエッセイは一度読んで終わりなことが多いのですが、これは繰り返し読みたくなるものでした。
なぜならもっとこれからいろんな見聞や経験を重ね、文化・教養というものが増えたならもっと理解できること、うなずける点がありそうだから。
そして私自身も年を重ねる中で自分なりの美の世界を築きたいな…と感じられた1冊でした。
(読書のお供にオーストリア土産のホットショコラ)
ところで、森鴎外。
初めてその作品を読んだのは、中学生時代の国語の時間「舞姫」。
当時の私はこの作品を読むや、作者の自伝的とも言われるその内容に憤りを感じ作品も作者も大嫌いになってしまいました。
大人の恋愛事情などまったく理解も想像もできない、当時は清廉潔白気分全開、生意気盛りだった中学生ケーコには主人公がゲスなクズ野郎に思えました。
国費留学して、好き勝手して、彼女はポイですか?!そのくせ自分を正当化してないか?!事の顛末を他人のせいにしてないか? しかも自己憐憫。
あんたが嘆く以前に残されたエリスの方がずっと気の毒だよ!と。
そんな短絡的見解で、その後森鴎外作品に触れることはありませんでした。
でも大人になった今、人にはいろんな事情があること、自分の気持ちのままに生き抜く方が難しいこと、当時の社会、鴎外の環境を思えば結婚となれば家と家、つり合う家柄でないと…。
批難されることも覚悟して「舞姫」のような作品を発表したと思うと、また感じ方は変わってきます。
と言うわけで、娘の森茉莉から森鴎外を読んでみたくなっている今日この頃です。
最後にパリの1枚は、去年北マレエリアで見かけたギャラリーの宣伝ポスター。
知的冒険は無限。
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