
パウル・クレー☆作品にアイロニーを
只今パリ4区にあるPompidou Centre(ポンピドゥー・センター)で開催中の
"Paul Klee. L'ironie à l'œuvre"(パウル・クレー 作品にアイロニーを)展へ。
やってきたのは何年ぶり?なとても久しぶりのポンピドゥー・センター。
ガラスのチューブの中のようなエレベーターはちょっと近未来的。
階を上がるごとに眺めが良くなり、
最上階まで上がるとパリの街を一望できる。
変わりやすい天気でちょっと雨が降ってきたけれど、雨に煙るパリもガラス越しには絵になる?!
しばらく雨のパリを眺めた後、会場へ。
本展は、スイスのツェントゥル ム・パウル・クレー(パウル クレー センター)といった
美術館所蔵品からプライベートコレクションまで約250点を集めた、フランス国内では1969年
以来となるパウル・クレーの大回顧展ということで、早くから今シーズンの話題に☆
とは言え、私はこの画家にはついてはほとんど無知...。まとまった形で観るのは初めてでした。
会場に入ると大混雑とまではいかないものの来場者は多く、みんな作品の前で食い入るように
鑑賞していることからも、熱心なクレーファンが多いことを感じました。
(館内は写真撮影可)
クレー作品を貫いた精神は 「皮肉」なのだそう。
と言われて、タイトルだけ見ても想像力に乏しい私にはなかなか絵とタイトルが結びつかない
ような...。
でも大丈夫!本展では、作品が描かれた当時の出来事とタイトルの由来説明付き。
記号的なモチーフや格子などが変則的に組み合わされた作品も多く、なんだか謎めいてる...。
その作品たちは時代とともにどんどん変化するので、同じ一人の画家の作品?!という驚きも。
ただ私自身はこれまでに見慣れていない作品たちなので、タイトルを見て、説明を読んで、
「ふーーん」となって、更に踏み込んだ感想まで述べられないという感じ(=_=)
パウル・クレーは1879年、スイスの首都ベルンでドイツ人音楽家の両親のもとに生まれ、
音楽の才能に長け、オーケストラでヴァイオリンを弾き、その実力は11歳で市の管弦楽団の
非常勤団員になるほどだったと。
両親は音楽家への道を望んだそうですが、彼自身は文学や絵画へと惹かれていったそう。
ピアノ教師の女性と結婚し、しばらくはクレーが主夫として家事と育児をこなすイクメン生活。
転機が訪れたのは、1914年の北アフリカ・チュニジア旅行。
この旅行きっかけで鮮やかな色に目覚め、「色彩の魔術師」に変わったと言われています。
チュニジア旅行から戻って間もなく、ドイツは第一次世界大戦へ突入。
一緒に旅をした画家仲間が戦死したことが彼には衝撃的で、戦争に対する憤りを抽象絵画と
いう形で表現する中で徐々に画家として注目を集めるようになっていったのだそう。
1919年、美術工芸学校「バウハウス」が設立され、クレーは友人カンディンスキーと共にここで
教鞭と取り、バウハウス退職後は1931年から1933年までデュッセルドルフの美術学校の教授に。
そしてナチス政権の成立とともにはじまった前衛芸術の弾圧はクレーにも及び、アトリエへの捜索や
その作品への批判が厳しくなる。
ナチス支配下の祖国ドイツから追われ、スイスへ亡命。
そして原因不明の皮膚硬化症を発症し、晩年の5年間は療養と闘病のなかでの制作となり、
手がうまく動かないこともあり、単純化された線・色、太めの線という独特の造形作品が誕生。
1940年、スイス・ロカルノ近郊の療養所に移り、その地で死去。享年60歳。
初めてじっくり観るクレーの作品だったので、その経歴とともに画風の変化を追いながらの
鑑賞で(途中でカメラのバッテリーも切れた...)、タイトルや制作背景について、作品の中の
アイロニーまで考える余裕はありませんでしたが、よくわからないけど面白いもの観た...
それが観賞後の第一感想でした。
そしてクレーには音楽の才能があったと知ったせいか、作品からは何か音色が聞こえてきそうな気も。
記号、模様、線、色が不思議なバランスで配置されながら奏でる音色、それは私の中では複雑で
賑やかなストラヴィンスキーの音楽を連想させるものでした。
おまけは「救世主・おこめ缶」をBelle et Bonneブログで♬
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<info>
Pompidou Centre(ポンピドゥー・センター)
Place Georges-Pompidou, 75004 Paris
*Paul Klee. L'ironie à l'œuvre展は、2016年8月1日迄
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