La Vie de Marie de Médicis~華麗なるマリーの生涯~
今日はパリブログ。
7月の帰国直前に行ったルーヴル美術館。
好きな展示室の一つ、La galerie Médicis (メディシスのギャラリー)へ。
そこにはフランドル、バロック絵画の巨匠Peter Paul Rubens(ピーテル・パウル・ルーベンス)
によるMarie de Médicis(マリー・ド・メディシス)というフランス王妃の生涯を描いた
24枚の連作があります☆
王妃マリーの生涯は神格化され、華やかに!ドラマックに!壮大に!描かれてます。
そのストーリーは、マリーが生まれる前、神様たちが「このコはどんな運命にしましょう?」な
相談場面からスタート。
マリ―は1573年、フィレンツェで名門メディチ家の娘として誕生します。
マリーはしっかり教育されて育ちます。
以下、連作からピックアップしながらマリーの生涯を辿ってみることに♪
<4枚目>Henri IV reçoit le portrait de la reine et se laisse désarmer par l'amour
アンリ4世が天使からマリーの肖像画(お見合い写真)を受け取る場面。
頭上でローマ神話のユピテルとユノーが見守ってます。
アンリ4世は、マリーの美貌にうっとり♥
でも実際は、この結婚は政略結婚...。
しかもアンリ4世と言えば人気のある国王の一人ですが、なんたって女好き...。愛人多数(>_<)
あまりマリーに興味を示さなかったそう...。
<5枚目>Les Epousailles de la reine ou La Réception de l'anneau, dit encore Le Mariage
par procuration de Marie de Médicis et d'Henri IV, à Florence le 5 octobre 1600
1600年10月5日、フィレンツェで行われた結婚式で指輪を受け取るマリー。
これはブラック・パールか?!しかも薬指ではなく、右手・人差し指にするのか〜。
どうでもいいけど、私も指輪は人差し指にするのが好き♥
OL時代、そんな私の指を見た後輩ちゃんが
「ケーコさん、右手人差し指に指輪する人って自己主張が強過ぎて男性が近づかないって
言われてますよ~。だからケーコさん・・・。」
そんな言葉が忘れられず...。
実際、私が指輪を人差し指にしていると夫はちょっとイヤがる。
「その指輪の持つ良さが出ず、綺麗に見える位置じゃないと思う」と。
そう言われても一人で出かける時は、人差し指にすること多し♥
話を画に戻します!
実際フィレンツェで行われた結婚式にアンリ4世は多忙のために出席せず。
マリーの叔父さんが新郎の代理を行ったそう。
オイオイ!と思わず突っ込みたくなる一枚でもあります。
自分の結婚式を代理で済ませる夫...。ありえない!
最初からマリーへの愛情や関心の薄さを感じる(>_<)
<6枚目>Le Débarquement de la reine à Marseille, le 3 novembre 1600
1600年11月3日、マリーがマルセイユに上陸。
神や天使に祝福され、とても華やかな上陸場面☆
青いマントを着けた人物は、フランスを象徴的に擬人化していて、そのためマントには
王家の紋章"fleur-de-lis"(ユリの花)がついてます。
その後、マリーはリヨンでアンリ4世と初対面。
アンリ4世をローマ神話のユピテルに、マリーをその妻ユノーになぞらえて描かれてます。
(ユピテルもかなりの女好きのプレイボーイ...。アンリ4世に重ねたのはワザとでしょ?!)
そしてマリーは後のルイ13世となる男の子を出産☆
サン・ドニの大聖堂で王妃の戴冠式が行われます。
アンリ4世はドイツ遠征のために、国内政治をマリーにお任せ!
ところがアンリ4世が暗殺されるという突然の不幸に見舞われます。その結果、わずか9歳で
即位したルイ13世の代わりにマリーが摂政となります。
フランスとスペインの同盟会議場面は、フランス代表のマリーと神々の会議として描かれてます。
<13枚目>La Prise de Juliers, le 1er septembre 1610, dit autrefois Le Voyage de Marie de
Médicis au Pont-de-Cé(en Anjou, en 1620)
オーストリアに占有されていた町・Juliers(ジュリエール)を占領。
マリーは勇ましく馬に乗り、兜をかぶり、勝利の女神から祝福の冠を授かります。
<14枚目>L'Echange des deux princesses de France et d'Espagne sur la Bidassoa
à Hendaye, le 9 novembre 1615
フランスとスペインの王女たちの交換。
1615年11月9日、ルイ13世はスペイン王女のアンヌ・ドートリッシュを妻に迎え、フランスからは、
フェリペ4世(アンヌの弟で後のスペイン国王)のもとに、マリーの娘のエリザベートが嫁ぎました。
というワケで次々と政治を仕切り、マリーの摂政政治は全盛期を迎えますが、その後ルイ13世が
成人し自らが政治を行うようになると、母マリーと対立。
ついに息子によってマリーはブロワ城へ幽閉されてしまいます。
マリーはそこからなんとか脱出。
最後はルイ13世と和解、めでたし、めでたしで連作は終わり、ラスト3枚はマリーの母、
戦争の女神に扮したマリー自身、マリーの父の肖像画となってます。
初めてこの連作を観た時は、誰もが羨やむような生まれながらに全てを持ち、素晴らしい教育を受け、
フランス国王へ嫁ぎ、王妃として国母として最期まで華々しい人生を送った女性かと思ったのですが、
実際は幸福とは言えそうもない結婚生活にはじまり、夫(アンリ4世)は暗殺され、
息子(ルイ13世)とは争いが生じ、その結果国外追放され最期は異国で亡くなったという人生。
王妃としての活躍、功績、国民からの支持もほとんどなかったと...。
(↓こちらもルーベンスによる肖像画)
ルーベンスによる美化された生涯が皮肉にも見えそうですが、絵画の中で生き続けるマリーは
強く、美しく、幸せそうに描かれ、これから先もずっと残っていくのだな...と。
史実は別として何よりこの絵巻物のような、大河ドラマのようなストーリー展開が素晴らしい
ルーベンスの傑作です。
À demain(^_^)/~
おまけのパリは「モンブランの日ができました♥」をBelle et Bonneで♥
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<INFO>
Musée du Louvre(ルーヴル美術館)
99, rue de Rivoli 75001 Paris
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