イル・ド・レに住む友人、イザベルが作る詰め物料理の話。

「この人の、あの料理」というものが、世界には散らばっています。二十代の頃から、延々と旅を続けている私にとって、その土地で、その人が作ってくれた料理こそが、私自身の料理の発想の源でもあり、人生の宝物でもあります。

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モロッコに住む友人、ヴァレリーの自宅の庭に広がる素晴らしい菜園。

例えば、花蓮の兼子さんの青菜炒め。トスカーナのディルヴァの子牛肉のグリーントマト煮。ピエモンテのアレッサンドラの緑のリゾット。シチリアのアンナのかぼちゃのニョッキ。束の間の旅の間に、あるいは寝食を共にした暮らしの中で教えてもらった料理は、世界中に数限りなくあります。しかし、10年、20年以上経ってもなお、忘れることのできない料理には、作ってくれたその人の背景があり、その土地の香りというものがあるのです。

料理を生業にしていますから、あまりに難しい料理でなければ、大抵は見よう見まねで、あるいは作り方を聞いて、あるいは食べただけでも、なんとなくそれらしいものを作ることができます。しかし、時に、己の無力さを感じることもあります。フランスの友・イザベルの「ギリシャ風トマトとパプリカの詰め物」も、そんな料理の一つです。

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ヴァレリーの自宅の庭で収穫したトマトのみずみずしさ。

イザベルはアルザス人ですが、おばあさまがイタリア人だったおかげで流暢なイタリア語を話します。おかげで、共通言語を見つけた私たちは、料理や物選びの好みも共通するところがあり、すぐに仲良くなりました。以来、イザベルとは、互いの料理を手伝いながら、学び、感じ合うことのできる料理仲間となりました。彼女の料理にはフランスという国の背景を持ちつつ、独特のシンプルさと美しさがあります。彼女が私の料理をどんな風に捉えているかはわかりませんが、

いつ、どこで出会っても、自然に共に台所に立つことができる貴重な友なのです。

そんなイザベルが、数年前に大西洋に浮かぶ島であるイル・ド・レに休暇の家を持ちました。かつてはぶどう酒の醸造所だったという石造りの家は、なんとも心地よい魅力的な家に生まれ変わりました。ぜひ、遊びに来てほしいという彼女の誘いを受け、家ができてすぐの夏に、私は小さな娘を連れてそこを訪ねました。

以来、夏のイル・ド・レの旅は私と娘の年中行事になっているのですが、その時に欠かさず作ってもらうのが、イザベルがおばあさまから習ったという「ギリシャ風トマトとパプリカの詰め物」です。

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甘く熟した真っ赤なトマトにナイフを入れる。

初めてイル・ド・レを訪れた年、イザベルが友人たちを招いて夕食会をすることになりました。一体、どんなご馳走が振舞われるのだろうと期待していたところ、オーブンの中からおもむろに彼女が取り出したのは、赤黒い、決して見た目には華やかさのない物体でした。「トマトとパプリカの詰め物よ。」肉や魚よりも、野菜をこよなく愛する私は、聞いただけで心踊る気持ちになります。ああ、一体どんな味がするんだろう。おいしそうな料理を前にした時の、独特の高揚感は何にも代え難いものです。それにしても、もはやトマトもパプリカも本来の鮮やかな赤い色はどこへやら、しっかり、こんがりと焼けて、ひょっとしたら焦げかけているのではないかと思ってしまいます。

巨大なトマトとパプリカを前に、お客様優先という遠慮も重なり、まずは小さめのトマトを一つ、パプリカは半分に切って皿に盛りました。どちらも、ナイフが必要ないほど柔らかく、全く抵抗なく切れました。さて、中から一体何が出てくるのでしょう?期待に胸を膨らませて切り分けます。赤く染まった米、香草、レーズン、松の実。ぱっと見る限りは、ヨーロッパや中近東の詰め物料理に定番のものしか入っていません。しかし、それは衝撃的なおいしさでした。私はあっという間に皿の上のものを平らげ、話に夢中のフランス人たちを横目に、こっそりとおかわりをしました。

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詰め物にオーブンでじっくりと火を入れる。

決して変わった料理ではありません。変わった料理ではないからこそ、ここまでおいしく作るためには、作る人の経験や知識、そして何より、素材の底力が必要です。イル・ド・レの野菜や香草は、ただでさえ香りの爆弾です。南イタリアを始め、野菜がおいしい土地を旅してきた私にとっても、特筆すべき素材の力があります。

毎夏イル・ド・レを訪れるようになり、イザベルは私のために必ずこの詰め物を作って待っていてくれます。そして、フランスの旅を経て、モロッコへ渡った年、私はマラケシュ郊外の美しい邸宅で料理をさせていただく機会に恵まれました。

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マラケシュ郊外に住む友、サイーダ宅のキッチンにて。

メディナ(旧市街)のスーク(市場)で野菜や果物を抱えきれないほど買い込みます。トマトに玉ねぎ、いちじくにレモンの塩漬け。スパイススークでは、干しぶどうやアーモンドなどのドライフルーツも忘れずに買います。何を作るのかは、買い物をしている時にははっきりとは決まっていないのが常ですが、歩きながら、あるいは車に揺られながらアイディアを固めてゆきます。そんな風にして思いついたのが、イザベルの詰め物料理でした。モロッコの野菜や香草ならば、あの詰め物が作れるような気がしたのです。

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詰め物の具材はシンプルな野菜のみ。炒めて甘みを引き出す。

さて、果たしてその結果は?次回にまたお話しいたしますね。

2019年7月20日   細川亜衣

本サイト上とフィガロジャポン本誌にて連載中の「細川亜衣の旅と料理。」2019年9月号(7月20日発売)では、細川さんがモロッコの旅で作った「トマトの詰め物」のレシピとエッセイを掲載。

photos:YAYOI ARIMOTO

大学卒業後にイタリアに渡り、レストランの厨房や家庭の台所など、さまざまな場所で料理を学ぶ。熊本に移住し、菩提寺の泰勝寺にて、マーケットや料理会、教室などさまざまな食関連の企画をしている。

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