AMANKILA~マンギス・バリ島/インドネシア~ 「アマンキラ」への旅! 乾季に沸くバリ島のハイシーズン。
ホテルへBon Voyage 2023.09.20
世界ではトラベラーがひっきりなしに世界を飛び、旅を始めています。パンデミックや円通貨の問題で、私も少々臆病になった日本人トラベラーのひとりでしたが、今回、久し振りにバリ島に飛びました。目指すはアマンキラです。
訪れるたびに暑いイメージのバリ島ですが、訪れた8月末の時期、日本の夏の酷暑にほとほと疲れていた私は、涼しく快適な気温の続くバリ島の乾季にすっかり癒されました。そして巨大空港となったウングラライ新空港でも右往左往し、到着時から発展著しいバリ島の変わりゆく様にため息をつきました。空港からのドライブで、まずはアマンキラ(サンスクリット語で“平和なる丘”の意味)に向かうこと約1時間半、出迎えてくれた私に、スタッフのひとりが声をかけてくれました。「12年ぶりですね!」とひと言。何とも時の経つのは早いものです。
アマンキラのオープンは1992年、第一号のアマンとなったアマンプリ(タイ、1988年開業)では、ゲスト1名に4人のスタッフがサービスをするなど贅沢な話題が世界を飛び交い、「リゾートの概念が変わった」とワールドトラベラーたちの間にアマンへの憧れが一気に盛り上がった中でのオープンでした。
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その後、3軒目としてアマンダリが1989年にオープンし、ここでアマンは世界的に認知度を上げ人気が爆発するのです。アマンダリがウブドのライフスタイルに近い伝統や文化を踏襲した造りであるのに比べ、同じバリ島にあるアマンキラはあくまでもスタイリッシュに、バリ島の伝統的な海の家を模した高床式のヴィラとして斜面に点在するように造られ、美しい海と山の狭間の隠れ家リゾートとして、いまもなお、リピーターに愛され続けているのです。
実際にアマンキラのロケーションはドラマチックです。背後にはバリ島最高峰の活火山3031mのアグン山を見渡し、ロンボク海峡の大海原に抱かれるようなドラマチックな情景が続くマンギス地区にあります。バリ島東海岸は、かつて王国が繁栄した地域と言われているだけに、このアマンキラ周辺にも遺跡が残り、古くからの慣わしの中で人々の日常生活が送られています。
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アマンキラの総客室33室(全室スイートヴィラタイプ、94㎡~660㎡)、スタッフ200名以上、その半分以上が近隣の地元スタッフから構成されています。ユニークなデザインを担当した世界的建築家エド・タトルは、「17世紀に栄えたカランガッセム王朝時代、アナ・アグン・アングラ・クトゥ王が自身の静養に、迎賓にと、好んで使った“水の宮殿”にインスパイアされた」と、アマンキラ創造にいたるまでの経緯を語っています。そのエド・タトル存命の頃、一度だけお会いすることができたのです。今回、その水の宮殿を訪れ、エド・タトルへのオマージュのような時間を過ごし記憶を新たにしました。
かつて創業者であるエイドリアン・ゼッカやデザイナーのエド・タトルが一堂に集った2012年7月21日、創業20周年の祝賀パーティーに出席した時以来のアマンキラ滞在。タイの伝統様式と80年代後半に流行った禅スタイルを融合させた建物はいま、とても新鮮な印象がします。メイン棟に隣接するヴィラと反対側の急な断崖を一気にビーチまで降りると、高い崖に両側を挟まれ、静かに過ごせる平和な佇まいのビーチクラブがあります。プライベート感に満ちたプールやクラブハウスは、オーシャンスポーツをするための基地でもあり、サンセットクルーズに出るクルーザーもここが出発点、ココナッツの木々に守られ、まさに隠れ家的な佇まいを見せています。
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近い将来、大掛かりなリニューアルが始まる計画を進行させているというのは、「アマン京都」で開業以来総支配人を務めた現アマンキラ総支配人、日本人の塩田明氏です。赴任して1年と少し、今はスタッフから尊敬され、地域にも馴染み、全体がアクティブに動き始めているアマンキラには多くのジャンキーたちが戻ってきています。
Manggis, Bali, Indonesia
tel: (62) 363- 41333
0120-951-125 (日本語対応10時~5時)
www.aman.com/ja-jp/resorts/amankila
Kyoko Sekine
ホテルジャーナリスト
スイス山岳地での観光局勤務、その後の仏語通訳を経て94年から現職。世界のホテルや旅館の「環境問題、癒し、もてなし」を主題に現場取材を貫く。スクープも多々、雑誌、新聞、ウェブを中心に連載多数。ホテルのコンサルタント、アドバイザーも。著書多数。
http://www.kyokosekine.com