モダンデザインの粋と華。
ウィーン工房の美意識
デザイン・ジャーナル 2011.10.14
1903年、建築家のヨーゼフ・ホフマンとコロマン・モーザー、実業家のフリッツ・ヴェントルファーが設立した、建築設計やデザインを手がける「ウィーン工房」。
機能性、合理性を追求するモダンデザインと、ウィーンという地らしい華麗なる表現とが融けあう品々を生んだ、"会社"です。そのウィーン工房を回顧する展覧会が、パナソニック電工 汐留ミュージアムではじまりました。
ハンドアウトには、「いま甦(よみがえ)る、モダン・インテリアの開拓者たち」と。
工房の空間にもこだわり、「職人とアーティストが同じ環境で仕事をすることが大切」と、光あふれ、風が吹き抜ける仕事場が設けられます。理想的な環境から生まれた品々は、家具やテーブルウエア、花器、ファッション、アクセサリー......。
「ヨーゼフ・ホフマンやコロモン・モーザーをはじめとする人たちが、生活にかかわる色々なものをデザインし、ブルジョワ(お金持ち)のおくさまの人気の的となりました」
なるほどこれは明快な説明ですが!......で、そうした当時の女性たちの装いや美意識溢れる生活の様子をうかがい知ることができるのは、1916年、20点の木版で制作された『婦人の生活』。ウィーン暮らす女性たちの姿が描かれていて、『靴屋にて』、『公園にて』など。
彼女たちのテキスタイルは人気の品となり、ポール・ポワレがファッションショーのために大量のテキスタイルを購入していたりもします。モード部門では、ホフマンら男性建築家の表現とはまた異なる、華麗なビーズのバッグやネックレスなどが生まれています。
フェリーチェはホフマンの工房に務めていた建築家の上野伊三郎と結婚し、1926年に夫と来日、京都に暮らします。夫が設計したモダン建物の内装も担当していました。
京都の七宝焼の職人と実現させた現代的な柄の飾箱、飾プレート。テキスタイルデザインでは、『バリ』『ギザギザバンド』。壁紙デザインには、『そらまめ』『夏の平原』......。
みずみずしい才能は、鉛筆で描かれたクリスマスオーナメントのデザイン、会場の最後に掲げられている水彩画『ヨーロッパ最後の港』からも伝わってきます。
ウィーン工房の活動は1932年までとなりますが(株式が競売にかけられ、破産してしまうのです)、「生活全般にかかわる総合芸術を目ざす」試みは、第一次世界大戦や世界恐慌といった激しい時代の流れのなかで財政難を乗りきる工夫も重ねながら、約30年、続いたのでした。その精神がこうして日本で浸透していったことも、忘れてならないこと。
私がいま関わっている展覧会などの仕事の土台づくりとしても重要なのですが、そのことに限らず、20世紀からいまに至る世の中の流れもふり返っているところ。その時代だから試みられた行動、提案、表現の数々。一方、時代の違いを超えて大切なこと、着眼点。
また、先週は、ウィーン工房の資料と平行して、ウィーン工房設立年と同じ1903年生まれの女性建築家、シャルロット・ペリアンの自伝(みすず書房)も読み返していたところです。ペリアン本の終盤、強い意思が込められた一文がでてきて、これが彼女らしかった。文明、現代の地球環境にふれての考えですが......。
「社会とはそれを構成し、方向づけ、動機づける個々人の意識の果実である。
引き受け、予測をしなければならない。新たな考察、探求の道が開かれなければならない」
時代の開拓者たち。ほんとうにたくましい。
「ウィーン工房 1903-1932
モダニズムの装飾的精神」
12月20日まで。
会期中、作品の展示がえがあります。
前期:11月13日まで。後期:11月15日〜12月20日
http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/
機能性、合理性を追求するモダンデザインと、ウィーンという地らしい華麗なる表現とが融けあう品々を生んだ、"会社"です。そのウィーン工房を回顧する展覧会が、パナソニック電工 汐留ミュージアムではじまりました。
ハンドアウトには、「いま甦(よみがえ)る、モダン・インテリアの開拓者たち」と。
工房の活動を代表するコロマン・モーザーの『アームチェア』1903年、豊田市美術館蔵、座面は藤です。Photo: Tatsuo Hayashi, Photos(all): Courtesy of Shiodome Museum
工房の空間にもこだわり、「職人とアーティストが同じ環境で仕事をすることが大切」と、光あふれ、風が吹き抜ける仕事場が設けられます。理想的な環境から生まれた品々は、家具やテーブルウエア、花器、ファッション、アクセサリー......。
ヨーゼフ・ホフマン『花器』1910 年、エルンスト・プロイル コレクション © エルント・プロイル。美しい......。スタイル提案そのものも行っていたウィーン工房、花器のカタログには実際に花を生けた写真もあったそう。
右:コロマン・モーザー『花器』1906年、エルンスト・プロイル コレクション © エルント・プロイル。理知的な幾何学模様、そして優雅です。
ダゴベルト・ペッヒェ『蓋付きの容器』製昨年不詳、エルンスト・プロイル コレクション © エルント・プロイル
「ヨーゼフ・ホフマンやコロモン・モーザーをはじめとする人たちが、生活にかかわる色々なものをデザインし、ブルジョワ(お金持ち)のおくさまの人気の的となりました」
なるほどこれは明快な説明ですが!......で、そうした当時の女性たちの装いや美意識溢れる生活の様子をうかがい知ることができるのは、1916年、20点の木版で制作された『婦人の生活』。ウィーン暮らす女性たちの姿が描かれていて、『靴屋にて』、『公園にて』など。
『婦人の生活 Ⅶ』1916年、島根県立立石見美術館蔵
彼女たちのテキスタイルは人気の品となり、ポール・ポワレがファッションショーのために大量のテキスタイルを購入していたりもします。モード部門では、ホフマンら男性建築家の表現とはまた異なる、華麗なビーズのバッグやネックレスなどが生まれています。
マリア・リカルツ『ビーズバッグ』1919年、エルンスト・プロイル コレクション ©
エルント・プロイル
フェリーチェはホフマンの工房に務めていた建築家の上野伊三郎と結婚し、1926年に夫と来日、京都に暮らします。夫が設計したモダン建物の内装も担当していました。
京都の七宝焼の職人と実現させた現代的な柄の飾箱、飾プレート。テキスタイルデザインでは、『バリ』『ギザギザバンド』。壁紙デザインには、『そらまめ』『夏の平原』......。
みずみずしい才能は、鉛筆で描かれたクリスマスオーナメントのデザイン、会場の最後に掲げられている水彩画『ヨーロッパ最後の港』からも伝わってきます。
ウィーン工房の活動は1932年までとなりますが(株式が競売にかけられ、破産してしまうのです)、「生活全般にかかわる総合芸術を目ざす」試みは、第一次世界大戦や世界恐慌といった激しい時代の流れのなかで財政難を乗りきる工夫も重ねながら、約30年、続いたのでした。その精神がこうして日本で浸透していったことも、忘れてならないこと。
フェリーチェ(=上野)・リックス『イースター用ボンボン容れ下絵1』、1920年代、京都国立近代美術館蔵
私がいま関わっている展覧会などの仕事の土台づくりとしても重要なのですが、そのことに限らず、20世紀からいまに至る世の中の流れもふり返っているところ。その時代だから試みられた行動、提案、表現の数々。一方、時代の違いを超えて大切なこと、着眼点。
また、先週は、ウィーン工房の資料と平行して、ウィーン工房設立年と同じ1903年生まれの女性建築家、シャルロット・ペリアンの自伝(みすず書房)も読み返していたところです。ペリアン本の終盤、強い意思が込められた一文がでてきて、これが彼女らしかった。文明、現代の地球環境にふれての考えですが......。
「社会とはそれを構成し、方向づけ、動機づける個々人の意識の果実である。
引き受け、予測をしなければならない。新たな考察、探求の道が開かれなければならない」
時代の開拓者たち。ほんとうにたくましい。
「ウィーン工房 1903-1932
モダニズムの装飾的精神」
12月20日まで。
会期中、作品の展示がえがあります。
前期:11月13日まで。後期:11月15日〜12月20日
http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/

Noriko Kawakami
ジャーナリスト
デザイン誌「AXIS」編集部を経て独立。デザイン、アートを中心に取材、執筆を行うほか、デザイン展覧会の企画、キュレーションも手がける。21_21 DESIGN SIGHTアソシエイトディレクターとして同館の展覧会企画も。
http://norikokawakami.jp
instagram: @noriko_kawakami
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