【オニール八菜連載vol.4】子どもの頃からオペラ座まで、バレエ人生に影響を与えたダンサー、振付家たち。

昨年12月の頭、オーストラリア・バレエ団がシドニーで行ったピーター・ライト版『くるみ割り人形』の公演で、ゲストダンサーとして金平糖の精を踊ったオニール八菜。戻った翌日にはヴェルサイユ宮殿で行われた「世紀の舞踏会 ヴェルサイユのロアリング・トゥエンティーズ」に参加して、鏡の間でルドルフ・ヌレエフ版『シンデレラ』のパ・ド・ドゥを大勢の舞踏会参加者を前に披露した。この『シンデレラ』、子ども時代にビデオを繰り返し見た作品だという。バレエを習い始めた彼女が憧れの眼差しで見ていたのは、どんなダンサーたちだろう。連載4回目は彼女のバレエ人生に影響を与えたダンサーや振付家について話を聞いてみた。(取材・文/大村真理子)

繰り返し見た『シンデレラ』のシルヴィ・ギエム

「小さい時の憧れ......ありきたりなんですけど、やはりシルヴィ・ギエムでしょうか。ルドルフ・ヌレエフが1986年にパリ・オペラ座のために創作した『シンデレラ』のビデオが家にあったんですね。母のお友だちが録画してくれたものだと思うのですが、ギエムとシャルル・ジュードが主役で、ヌレエフがバレエの先生役、そしてモニック・ルディエールとイザベル・ゲランがアグリー・シスターズなんです。小さい時、バレエを観たい!っていう時、ビデオはいつもこれ。死ぬほど観たと思います(笑)。ギエムのテクニックがどうこうではなく、ただただ素敵!かっこいい!美しいな!って。自分もああなりたい、って思ってました」

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衣装デザインが森英恵に任されたルドルフ・ヌレエフの『シンデレラ』。その創作ダンサーはシルヴィ・ギエムとシャルル・ジュードだった。©︎Colette Masson/Roger-Viollet/amanaimages

このビデオでシルヴィ・ギエムを知り、徐々にパリ・オペラ座のほかのダンサーたちの名前を覚えるようになっていった。それは一般に"ヌレエフの子どもたち"と呼ばれるダンサーたちのことだ。少しばかり感慨に耽けるように、彼女はこう続けた。

「中でもイザベル・ゲランがすごく好きでした。イザベルといったら私の頭に浮かぶのは、『ラ・バヤデール』のニキヤですね。もちろんモニック・ルディエールも、ローラン・イレールも好きでした。シャルル・ジュードもかっこいいなあって......」

まだ小さかったのでパリ・オペラ座だからという目でダンサーを見ていたわけではないけれど、日本でバレエといったらパリ・オペラ座である。自然とオペラ座への憧れが芽生えていったそうだ。モノマネ上手の彼女は、この頃からギエムやゲランの真似をしていたのだろうか。

「多分......(笑)。音楽をかけてピョンピョン踊ったりはよくしてましたね。これはよく覚えています。『シンデレラ』はキラキラしたところも好きだったけれど、チャップリンの真似をして踊る場面が好きでした。おじいちゃん、おばあちゃんの家であの場面を真似して見せるのがすごく楽しみだったんです。日曜日の夜にみんなでお食事の後、ドアを閉めて、さあ、これから発表会です!って。何を見せるかは自分で考えて、ひとりで踊ることもあれば、弟やいとこたちにあれやってこれやって、というように監督のように指示をしたりして......(笑)」

『シンデレラ』はこうした子ども時代の思い出があることから、一度は踊ってみたいという気持ちがあるという。前回パリ・オペラ座で踊られたのは2018年の年末で、ちょうど彼女が肩の手術の後で休んでいる時だったので、次の機会を楽しみにしている。

「モニック・ルディエールは『ロミオとジュリエット』が私の一番のイメージですけど、家に貼ってあった彼女の写真は『ジゼル』の第2幕の写真でした。ニュージーランドの家の私の部屋には、オペラ座のエトワールたち全員の写真が壁一面に貼ってあったんですよ。日本で買ったダンスマガジンとか雑誌のページを切り取って、バレリーナたちの写真を切り抜きをしてコラージュしたり......。オーストラリア・バレエ学校に行った後、私の部屋は改装されたのでもうこの壁はないんですけど、写真は全部とってあるはずです」

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朝のクラスレッスンに、写真で眺めていたスターたちがいた。

「私がオペラ座に来た当時、エトワールはアニエス(・ルテスチュ)、クレールマリ(・オスタ)、オーレリー(・デュポン)、マリ=アニエス(・ジロ)、それにドロテ(・ジルベール)もいたしマチュー(・ガニオ)も......。朝のクラスレッスンで"あの大スターたちと一緒にスタジオで自分が立ってる!!" "ああ、ダンスマガジンで見たダンサーたちが、こんなにたくさん! すごい!!" って頭の中で思って、信じられない気持ちでした。あの時の雰囲気は忘れられないですね。とってもうれしかった。ある時、10時のクラスレッスンにニコラ(・ル・リッシュ)がいて、私のジャンプか何かに注意をしてくれたんです。話しかけられた瞬間はびっくり。こうした指導の伝統がパリ・オペラ座にあるって知りました」

パリ・オペラ座内に限らず先輩ダンサーの誰かに指導をしてもらいたいと思ったことはあるのだろうか? かなり前のことだけれど、バリシニコフがクラスレッスンに来ていたことがあり、ちょうどコンクールの時期だったので『other dances』を自由曲に選んだダンサーが彼に見てもらったことを耳にした。

「それを聞いて、ああいいなあ!って。私も彼には一度でいいからコーチングしてほしい、習ってみたいって思います。彼ってなんでも踊れるじゃないですか。それは彼のインテリジェンスゆえに可能なのかな、とか彼の頭の中が知りたくって。きっと私の想像通りだとは思いますけど......」

子ども時代の彼女にとっての大スター、シルヴィ・ギエムは彼女が入団するよりずっと前にオペラ座を去っていたのでクラスレッスンで会うことはなかったわけだが、これまでに何かの折に話をするというようなチャンスはあったのだろうか。

「ニコラのアデュー公演の時に彼女が彼と『アパルトマン』を踊って、そのあとオペラ座内でのカクテルの時に彼女がスーッと私の前を通っていって......。緊張しすぎて、とても話しかけられませんでした。彼女に教えてもらいたい、会ってみたいという気持ちがないわけじゃないけれど、"憧れのシルヴィ・ギエム"ということで満足です。ときどきおもしろいなと思うことがあるんですよ。もう少し大きくなってニュージーランドにいる時はオペラ座のエトワールとして、ヌレエフの子どもたちの次の世代に当たるアニエスやオーレリー、マリ=アニエスたちに憧れがありました。ビデオや写真から自分なりにどんなダンサーなのかと彼女たちをイメージをしていたわけですね。で、実際に接するようになって、あ、全然イメージと違った、ということもあって......(笑)。たとえばアニエスって本当に"女王様"のようじゃないですか。でも徐々に知っていくようになると、意外にざっくばらんな面もあるんだなってわかって」

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デフィレで行進する女性たちの胴着にはエトワールだけルサージュの刺繍が施されている。photography: Julien Benhamou/ OnP

エトワールとしてデフィレの時に着けるチュチュの胴着とティアラを、彼女は引退したアリス・ルナヴァンから譲り受けている。特別な関係が築かれているようだが、アリスは彼女にとってどんなダンサーなのだろう。

「アリスは私が入った時はスジェでした。すぐにいまのように親しくなったわけではありませんが、彼女は私が入団した若い頃から優しく接してくれたんですね。共通の友だちがいるので徐々に会う機会も増えていって、アドバイスをくれたり。私に彼女はとっても良くしてくれました。私と彼女って趣味が似てるところもあるので、バレエの稽古着とかときどき古着をくれることもあって、そんな流れでデフィレ用の2点も譲ってもらったわけです。彼女ってとても綺麗じゃないですか。お友だちですが、彼女のことはダンサーとしてとても尊敬しています。アーティストなんだな、って思わせるダンサーでしたね。彼女の踊りにはモダンなところもあって、クオリティがすごく高い。バレリーナというよりアーティストとして尊敬していました。彼女のちょっとしたムーブメントでも、ああアリスだからこのように綺麗にできるんだ、ってよく思っていました」

子どもの頃から憧れ、入団してからは実際に接したエトワールたち。また自身も念願叶って、2023年3月にエトワールに任命された。パリ・オペラ座のエトワールはどうあるべきか。彼女にとってエトワールとしての模範となるダンサーはいるのだろうか。

「オーストラリアで芸術監督のデヴィッド・ホールバーグと話してた時に、"ハナは立っているだけでスター!という感じがあるよね。そんなオーラがプリンシパルダンサーには必要なんだよね"って彼が言って。自分のことはよくわからないけれど、私の憧れのマチュー(・ガニオ)にはオペラ座の廊下を歩いてるだけでも、ああエトワールだ!っていう何か特別なものがありますね。言葉にできない輝くオーラ、これがプルミエ・ダンスールとエトワールの違いだと思います。テクニック的には誰でも上手になれるじゃないですか。でも、それ以上に踊りに光り輝くものがある人。それがエトワールだと思います。優美さや礼儀正しさ......エトワールたちにはそういう面がありますね。模範とするダンサーですか? エトワールには各人の個性があるのが大事なことなので、そのオリジナル感をどう出せるかが問題。だから、この人みたいにというより、ほかの人と違うというか最も自分らしく踊れるというのがエトワールにとって大切なことだと思います」

ヴェルサイユ宮殿の鏡の間で、マチュー・ガニオをパートナーに『シンデレラ』のパ・ド・ドゥを踊ったオニール八菜。公演に関わったAlexandra Cardinaleのインスタグラムより。

日本で彼女が習っていたのも、オーストラリア・バレエ学校でもワガノワ式だった。その当時はスタイルの違いなどあまり考えていなかったけれど、パリ・オペラ座に来て"あ、こっちの方が私の身体に合うな、これが自分が踊りたかったスタイルなのだ"と強く感じたそうだ。

「この間オーストラリアに踊りに行っていて、自分がどれだけパリ・オペラ座が好きかって改めて感じたんですよ。向こうではお友だちにも再会できて、みんな優しくしてくれて楽しかったのですけれど、でもバレエのため、私の踊りのためにはパリにいて、オペラ座にいて本当に良かったって思いました」

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振付家ルドルフ・ヌレエフとピエール・ラコット

「オペラ座のレパートリーでは3幕物とか古典大作はすべてヌレエフ物ですね 。彼の作品を踊り慣れているので、彼の振り付けが私たちの踊りになっています。だから同じ作品でもほかのバージョンを踊ると物足りなさが感じられます。見てるほうはこんなに難しいのをどうやって踊るの?というようになりますけど、踊ってる私たちにはオーガニックな感じなんですよ。彼の振り付けには踊り方があるので、そのコードを知っている人から習うと、あ、なるほどってなります。彼の作品で私がまだ踊っていないのは『ロミオとジュリエット』『シンデレラ』。『ラ・バヤデール」はガムザッティ役を踊っていて、『ライモンダ』は主役はまだですが、友人のコンスタンス役を踊れたのでそれでいいとして......いつか、ジュリエットが踊れたら!と願っています」

パリ・オペラ座の芸術監督でもあったルドルフ・ヌレエフ。彼に加えて、彼女のバレエ人生において振り付家としてもうひとり大きな存在、それは2023年春に亡くなったピエール・ラコットだ。

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ピエール・ラコットの『パキータ』。ジェルマン・ルーヴェと。photography: Maria Helena Buckley/ OnP

「そうですね。当時の芸術監督だったバンジャマン・ミルピエが『白鳥の湖』を私に踊らせてくれて、それを見たラコットさんが、"あの子に絶対『パキータ』を踊ってほしい"と指名して下さったのです。彼には忠実なところがあって、その後私を『ラ・シルフィード』『赤と黒』にも選んでくれました。そういう意味ではピエールには感謝の気持ちがあります。私がオペラ座に入った年の最初のコンクールの課題曲が『パキータ』のパ・ド・トロワでした。リハーサルスタジオでローラン・ノヴィスと練習をしていたら、音楽が耳に入ったのでしょうね、ピエールが入ってきたんですね。ちょうどオペラ座で『ラ・シルフィード』があった時です。後でローランからピエールが私を気に入ったと言ってた、と聞かされて......ちょっとうれしかったですね、それは。自信にも繋がることです。彼にはコールド時代からいつも良くしてもらって、支えてもらえ、まるで彼の子どものような感じ。だから稽古中に怒鳴られたりしたこともありました。もちろんそれは私を思ってくれてのことでした」

2024年の年末から2025年の新年にかけて、彼女は彼の作品『パキータ』を踊った。10年前にマチアス・エイマンをパートナーに初役で踊った彼女。今回稽古を始めて、この作品の振り付けの激しさは忘れていたけれど、身体が全てを覚えていたのですぐに振り付けが戻ってきたそうだ。

「ラコットさんの作品って本当に音楽的なので、スタイルをリスペクトして踊るとおもしろいところが出てくるんですよね。それを守って大事に踊りたいと思いました。彼の振り付けは女性も男性同様にふくらはぎ、ひざ下をすごく使うんですよ。今回のパートナーはジェルマン・ルーヴェ。ラコットさんは学校公演の『コッペリア』の主役に彼を選んでいて、ジェルマンのことがすごく好きだったんです。だから私たちがピエールの最後のふたりのソリストみたいな感じですね。スタジオにラコットさんはもういないけれど、今回、リハーサル中、いつも彼が座っていた場所にその存在を感じていました」

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『パキータ』より。photography: Maria Helena Buckley/ OnP
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『パキータ』より。photography: Maria Helena Buckley/ OnP

ヌレエフ作品は彼が故人なので直接学ぶことはできない。従って彼の作品を踊る時は振り付け家との間に伝承者というワンクッションがあるのだが、現存の振付家とダイレクトに仕事をすることはそれとは違うおもしろさがある。

「今年の世界バレエ・フェスティバルの時に、アレッサンドラ・フェリさんとちょっと話をしたんですね。踊ってる時のコーチは誰だったんですかって彼女に聞いたら、30年間くらい、先生はウィリー・バーマンだった、と。では、リハーサルの時もウィリーだったんですかと聞いたら、"リハーサルの時はもちろん振付家とよ"という返答でした。ヌレエフ世代もそうですが、振付家たちと直接仕事をしてたんですよね。マクミランとかとも......。あの世代のダンサーたちってラッキーですね」

オペラ座でコンテンポラリー作品に配役されているダンサーたちは現存する振付家たちと仕事をする機会が多く、彼らの間には深い関係が築かれている。こうした結びつきを羨ましいと思わなくもないという彼女も、振付家と直接仕事をするおもしろさは経験済みだ。

「すごく気に入られたとかいうんじゃないんですけど、マッツ・エクとの仕事がとても印象に残っています。最初に『カルメン』のM役をやった時、もちろんいい経験だったけれどその時はどこがマッツ・エクの素晴らしいところはなんだろうって、ちょっとわからなかったんです。で、2回目に同じMを踊った時に彼のジーニアスなところをすごく感じることができました。たとえば何もしてない時でもすべてに意味があるといったような......。シンプルなことでも意図が込められてないとやる意味がないという、そういう考え方はすごいなって。彼の作品でそれは大事なことで、それを彼に学んで以来、クラシック作品を踊る時にもその点を意識するようになりました。私が好きなのは新しいものを習う、新しいスタイルを習うことです。だから、もう亡くなってしまったけれど、ピナ・バウシュの作品は絶対踊ってみたいなって思っています」

何事にもオープンな彼女。機会があればクリエイションに参加してみたいとも思っている。振付家がちょっと迷った時に一緒に考える、というのができるのはおもしろい仕事だという。これはヌレエフ作品の継承ではできないことで、現存の振付家との仕事だからこそできること。その両方を経験できるのがパリ・オペラ座ならでは!と語る言葉にもまたカンパニーに対する彼女の深い愛情が感じられた。

editing: Mariko Omura

東京に生まれ、3歳でバレエを習い始める。2001年ニュージーランドに引っ越し、オーストラリア・バレエ学校に学ぶ。09年、ローザンヌ国際バレエコンクールで優勝。契約団員を2年務めた後、13年パリ・オペラ座バレエ団に正式入団する。14年コリフェ、15年スジェ、16年プルミエール・ダンスーズに昇級。23年3月2日、公演「ジョージ・バランシン」で『バレエ・アンペリアル』を踊りエトワールに任命された。

photography: ©James Bort/Opéra national de Paris
Instagram: @hannah87oneill

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