男であり女でもあると同時にそのどちらでもないという主人公の、愛を求める叫びが観客の心を揺さぶった『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』。マドンナやデヴィッド・ボウイをも触発した、この伝説のロック・ミュージカルの作者/主演俳優ジョン・キャメロン・ミッチェルが、日本の舞台にヘドウィグとして初登場する! 10月に開催される『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』SPECIAL SHOWという日本特別公演で、2007年山本耕史主演の日本版公演でバンド仲間イツァークを演じた中村中が共演。一方、ジョン・キャメロン・ミッチェルは、映画監督として、エル・ファニング、ニコール・キッドマン出演のラブ・ストーリー新作映画『How to Talk to Girls at Parties』も12月1日より公開を控えている。
舞台公演での来日を前に、ジョン・キャメロン・ミッチェルに彼の世界観の核心についてインタビューした。
──オフ・ブロードウェイでの『ヘドウィグ』初演から20年になります。この間の社会の変化をどんなふうに見ていますか?
「最近は、ジェンダーフリュディティ(性差の流動性)に対する恐れがかなりなくなってきているよね。先進諸国ではそれを法的にどうしていくかという流れにあり、ゲイマリッジが合法化されるようになったし、例えば学校のトイレを男女別ではなくジェンダーフリーにしようといった議論が起こったり。男だから女だからではなく、自分の女性性・男性性をどう表現していくかが問題なんだという空気になってきた。この20年で、ようやく世界が『ヘドウィグ』に追いついてきたと感じている」
──舞台や映画で、一貫して愛の大切さ、孤独や残酷さにどう立ち向かっていくかというテーマを描き続けている理由は?
「それはたぶん、自分がカトリックの家庭で育ったから。自由意志対文明という問題が僕をいつも悩ませるし、だからこそこうしたテーマと向き合っていかざるを得ない。ただ同時に僕は東洋的なスピリチュアルな世界観に共感もしていて、シンプルに罪や断罪といった面にフォーカスするのではなくて、ひと捻りする形で作品にしているんだ」
──ヘドウィグは作中で“イブ”になぞらえられますね。
「キリスト教の教義の中で、イブは悪ととらえられることもあるけど、僕は昔からそれがずっと納得できないでいた。僕から言わせればイブはとてもポジティブなメタファーで、あらゆるものに疑問を呈した彼女こそ、 “元祖パンク”と思える。元祖パンクは女性だったんだ」
──作品づくりで大切にしていることは?
「『未来は真っ暗だ』と語るのはとても簡単だけど、いまの世の中に必要なのは、みながお互いを愛し合い、協力し合えるような気持ちを醸成すること。社会のさまざまなトラウマに対するヒーリングが、僕の作品の大きな核になっている」
──来日に向けてメッセージを。
「アメリカでは当初、カルト的人気に過ぎなかった『ヘドウィグ』が、日本では大ヒット。日本人はいちばん最初にこの作品を理解してくれた観客だと思っている。ただ日本で不思議なのは、ポップカルチャーがあれだけ開放的なのに、実社会がまだがちがちに固まっているように見えること。なので今度行くときは、みんなで『オリジン・オブ・ラブ』(『ヘドウィグ』のテーマ曲)を歌い、なぜこの世に産み落とされたのかを一緒に考え、味わいたい。人の存在意義は愛し、愛されるためだから」
作:ジョン・キャメロン・ミッチェル
【出演者】
texte KAORI SHINDO